第35話「五人の世界」
食事処の木の椅子に腰を下ろした五人。温かなスープと焼き立てのパンの香りが漂う中、しばし沈黙が続いた。周囲では客たちが賑やかに声を上げ、器のぶつかる音が響いているはずなのに──その音が遠のいていくように感じられる。
マユリは目を見開き、息を呑むように言った。
「……グルマルに…ガルドラス?ほ、本当に……そんなことが?」
その声音には驚きと同時に、仲間を案じる響きがあった。
ルークが肩をすくめ、わざと明るさを混ぜながら答える。
「いやあ、正直……命がいくつあっても足りないかと思ったよ。群れだけでも骨が折れたのに、あんなのが控えてるなんて聞いてなかったって」
レイナも深く息を吐き、わずかに口元をゆるめる。
「罠で数を削ったけど、群れの勢いを止めきれなかったわ。ボスやガルドラスの一撃なんて、まともに受けていたら今ここに座っていないもの」
そこで、ふいにマユリの視線がエルドへ向けられる。
「……それにしても、あなたの剣技…相当なものだったのね?」
ルークも身を乗り出して言葉を継いだ。
「ああ。あれは……正直、俺、背中がゾクッとしたよ。あの一閃、ただの技じゃないって感じたよ」
レイナも小さく頷く。
「普段のエルドと違うというか、あのときのエルドは……別人のようだった」
エルドはわずかに目を伏せ、手元の器に指先を添えた。
「……大したことじゃない。試験の中で、ただ……無我夢中だったんだ」
そう口にしたが、彼の胸の奥では、仲間に見られたあの瞬間をどう言葉にすべきか迷いが渦巻いていた。受け入れるべきか、否か。沈黙は言葉以上に雄弁で、彼の戸惑いを示していた。
その静かな間を破るように、ノルドが口を開いた。
「……実は、俺たちも王立図書館で改めて情報を集めていたんだ」
低く抑えた声が、食事処の喧騒を遠ざける。まるで五人の卓だけが、別の世界に切り離されたかのように。
彼は資料を机に置き、ゆっくりと視線を巡らせる。
「結社──シーフレットに関してだ」
その言葉に、空気が一気に凍りついた。
エルドの胸裏には、かつて牙ネズミの異常個体と対峙したときの感覚が甦る。あのとき現れた「博士」と名乗る男──。
奴は異常個体を造り出す技術を持ち、さらに一般の魔法では見たこともない転移術を平然と使った。あの一瞬のやり取りだけでも、常軌を逸した組織力と技術力を垣間見せられたのだ。
──見て見ぬふりをしていたが、確かにそこに在り続ける影。
そして、いずれ世界を巡るなら、必ず向き合わねばならない存在。
ノルドの言葉を合図に、五人を包む空気は、もう後戻りできないものへと変わっていった。
「結社……シーフレット?」
沈黙を破ったのはルークだった。眉をひそめ、馴染みのない響きを口にする。
ノルドは視線を落とし、低く応じた。
「その名を初めて聞くのも無理はない。……オモテでは聞かない名だからな」
マユリが小さく頷き、身を乗り出すようにして話しはじめる。
「前に、エルドと一緒に騎士団からの調査依頼を受けた時、エルドが“博士”と名乗る人物に遭遇したらしいわ。その背後に、この結社が関与していることが分かったの」
ルークが不思議そうに反応する。
「博士……? そんな怪しそうな人とエルドが直接話したってのか?」
エルドは小さく頷き、少し遠くを見るように目を細める。
「サリオン支部のギルドで、騎士団の依頼を受けた時だった。牙ネズミの巨大な巣穴みたいな……いや、研究施設だった。そこで会ったよ」
彼の脳裏に、仮面の男たちに護られた博士の姿がよぎる。
『強化? 違いますよ。あれは“異常”です。“エナジア同調因子”の偏食によって偶然変異しただけ。実験は失敗に近い。でも、異様な進化を遂げた極めて珍しいケースです……観察価値はある』
ぞわりとした違和感が、今も残っていた。
博士は笑いながらそう語り、牙ネズミを大型獣並みに変異させていた。ガルドラスに迫るほどの巨躯──結社が生み出した異常個体。
さらに思い出す。
『禁詠官様に怒られてしまう』と軽く口にしたこと。
『エナジア』という聞き慣れない言葉。
そして、騎士団を率いていたフィレーナが「“エナジア”だと? それは何を意味している……?」と問うた時、博士が返した薄気味悪い一言。
『ははっ。そうか、それはまだ“こっち側”の話でしたね』
エルドは小さく息を吐いた。
「……あの時のやり取りは、今もひっかかってる。結社は、牙ネズミをただ研究してたんじゃない。意図的に“異常”を作ってたんだ」
マユリは唇を引き結び、ノルドは腕を組んだまま難しい顔をする。レイナは眉を寄せ、静かに周囲を見回した。
そして、ノルドがゆっくりと口を開いた。
「……やっぱり、ただの盗掘団や流れ者の集団じゃないな。結社──シーフレット。掘り下げる価値はある」
ノルドは腕を組み、言葉を続ける。
「奴らの拠点も、構成人数も不明だ。構成員の名前すら分かっていない。ただ、王立図書館の古い記録を漁った時……“転移術をはじめ、極めて高度な魔法を使う組織”の記述を見つけた。マユリの情報と断片的に繋がる」
エルドの胸裏に、ほんの一瞬のやり取りで垣間見た、常軌を逸した出来事が蘇る。ありふれた魔法の域を超えた技術力──そして転移術。現実から目を逸らしてきた影が、いま改めて輪郭を帯びて迫る。
「……作り話だといいのだがな」
ノルドの声が重く響く。
彼は小さく息をつき、テーブルの縁に手を置いた。
「実は俺自身も……兄から一度だけ、その名を聞いたことがある」
マユリがわずかに目を見開き、ルークとレイナが息を呑む。
ノルドの表情は、これまでにないほど険しかった。
「兄は言ったんだ。“結社シーフレットだけは関わるな”と。それからしばらくして、連絡が途絶えた。……数年後、兄は死んでいた」
声を落とすと、食事処のざわめきが遠のいたように感じられた。テーブルに置かれた皿の温もりすら、どこか冷たく感じるほどに。
「結社と兄……一見、無関係にも思える。だが、どうしても引っかかるんだ。奴らの名を聞くたびに」
ノルドの瞳が鋭く光る。その色を映すように、他の四人の胸にも静かなざわめきが広がっていった。
暫くの沈黙の後、レイナが小さく「あ」と声を漏らした。
「思い出した……駆け出しの頃、サリオンでのこと。酒場で、三人組の冒険者が話しているのを聞いたの」
三人が視線を向ける。レイナは少し言いにくそうに言葉を探しながら続けた。
「結社って名は出してなかった。でも──ギルドには流せない“裏依頼”があるって。内容は『実験の協力依頼』……報酬も高額で、中途半端な冒険者なら、飛びつきたくなるような額だったみたい」
彼女は小さく肩を竦める。
「実際、その三人組は乗り気だった。でも……何度か酒場に顔を出しても、二度と姿を見かけなかった」
マユリが眉をひそめる。
「……つまり、その“裏依頼”とやらが、結社と繋がってる可能性があるってこと?」
レイナは静かに頷いた。
「断言はできない。でも、偶然とは思えない」
テーブルに沈黙が落ちる。結社の暗い影が、再び四人の前に浮かび上がってきた。
重い沈黙に、周囲の喧噪が遠ざかった。食事処の木の椅子がきしむ音だけが、しばらくのあいだ静寂を割る。
ノルドがゆっくりと息を吐き、低い声で口を開く。
「──兄さんは、あれだけは関わるなって言い残して死んだんだ。軽い冗談でも意味でもなかった。だから、俺には放っておけない理由がある」
言葉の端が揺れたが、すぐに彼は表情を引き締めた。
「感情で突っ走るつもりはない。だが、真相をひとつずつ潰していく。」
エルドはスプーンを置き、静かに眼を伏せる。声は小さいが一本芯の通ったものだった。
「あの“博士”と直接話したとき聞いた『エナジア』という言葉と、研究施設の光景が頭から離れない。オルディアに触れると、記憶の“断片”が震えるんだ。これは単なる偶然じゃない。世界の危機に関わるかもしれないと思う。だから、この目で確かめたい。」
マユリは手を組み、目を伏せたまま続ける。
「家の伝承にも、外から入ってくる“異質な術”を警戒する記述があったの。私は術士の家に生まれ、それを守る教えを受けてきた。あの転移術も、牙ネズミの“異常”も、教わったどれとも違う。術士として放置できないのよ──誰かが弄んでいいものじゃない。」
レイナは小さな声で唇を噛み、拳をテーブルの縁に押し当てる。
「私は──酒場で聞いた話が忘れられない。裏依頼に喰いついた連中が、そのまま消えた。冒険者を実験台にするような連中を放っておけない。仲間を守るためにも、ちゃんと知りたい」
場の視線がルークに向いた。いつもの軽やかな笑みはあるが、その目には覚悟が宿っている。
「──俺は、仲間が行くなら行くよ。理由が単純でスマンが、放っとけないんだ。誰かが一人で抱え込むようなことにはしたくない。俺は、そのためにここにいる」
言葉たちが重なり合い、五人の輪のなかに小さな決意の火が灯る。外からは、誰かの笑い声と皿のぶつかる音が届くが、五人の世界はもう一つの軸で動き始めていた。
スプーンが皿に触れる音が遠ざかる。
食事処のざわめきは確かに耳に届いているはずなのに、五人の卓だけが別の空気に切り離されていた。
ノルドはしばし沈黙を守っていた。
図書館で得た情報をメモした紙の端に触れたまま、視線は卓の木目を彷徨い、言葉を探すように。
そしてふいに、低く抑えた声が落ちた。
「……エステバン。いや、ルーク。改めてお前に頼みたいことがある」
そこで、ノルドは初めてルークを正面から見据えた。
その眼差しはまっすぐで、鋭い。だが同時に、頼るしかないという人間の弱さも帯びていた。
空気が揺れる。
レイナが息を呑み、マユリが眉を寄せる。
エルドも静かに視線を移した。
ノルドの声はさらに低く落ちる。
「王立図書館の“資料室”だ。禁書庫は俺たちには手が届かない。だが資料室なら……貴族家の名を持つ者だったら、扉が開かれるハズだ」
ルークは一瞬、言葉を失ったように固まる。
「ハッ……俺の家柄を使えってことか」
「ああ、頼む。結社の名が直接残っているとは限らない。だが、王都や騎士団、あるいは貴族が密かに調査した形跡……断片でも手に入れば、次に繋がる」
卓を包む空気は、もはや先ほどまで昇格結果に浮かれた冒険者の雑談ではなかった。
それぞれが抱える因縁と未来が絡み合い、ひとつの方向へ収束していく。
ルークは息を吐き、口元に苦笑を浮かべた。
「ったく……俺、そういうのは柄じゃねえんだけどな」
それでも彼は真っ直ぐに答えた。
「分かった。仲間のためだ。やってみる」
その言葉に、ノルドの瞳がわずかに揺れた。
それは氷の奥に差す光のようで──この場にいる全員が、その一瞬を確かに見た。
◇◇◇
王立図書館の石造りの扉前に立つ五人。武器を宿に置いてきた身軽さを感じながら、外の喧騒とは隔絶された、重厚な静寂が周囲を包む。
「……久しぶりだな、ここに来るのは。幼少期以来だよ。」
ルークが低くつぶやく。その声には、久々に訪れる場所への緊張と期待が滲んでいた。
石畳を踏み、扉へと近づくと、受付に厳格な空気を纏った初老の男性が立ちはだかる。白髪交じりの髪、深く刻まれた皺、鋭い眼光。彼は淡々とした敬語で問いかけた。
「入館許可証を拝見いたします」
ルークは足を止め、視線を落ち着け、胸を張る。背筋を伸ばし、髪を整え、言葉を選ぶ──まるで貴族のような立ち居振る舞いだ。四人は思わず視線を交わす。
「我々は一般閲覧区域に来たのではない。資料室を閲覧するために来た。ルーク・エステバンだ。父上、ダリウス・エステバンが保証人として署名している」
そう告げ、ルークは迷いなくギルドカードを掲示した。普段の軽やかな笑顔は消え、整った言葉遣いと落ち着いた所作が際立つ。
初老の男性は一瞬、手元の書類を止め、目を大きく見開いた。
「……あ、ああっ……ルーク・エステバン様でしたか。ようこそおいでくださいました。資料室、ご案内いたします」
先ほどまでの厳格で威圧的な空気は、嘘のように消え、男性の動作は自然に丁寧さと謙譲を帯びたものに変わる。五人は静かに館内へと進む。
石造りの廊下を抜け、資料室の扉が目前に現れる。ルークは一呼吸置き、ゆっくりと手をかけた。その指先に力を込め、押し開くと、静かで威厳ある空間が姿を現す。書物や古文書が整然と並び、五人の足音だけが反響する。
エルドは低くつぶやいた。
「ここに、きっと何か手掛かりがあるはずだ」
ルークの堂々とした振る舞いに引き締まった空気の中、五人はそれぞれの得意分野を思い浮かべ、静かに動き始めた。資料室はただの書庫ではない──結社シーフレットの痕跡を追う、最初の一歩となった。




