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第33話「エルドの想い」

 王都の空が、まだ淡い朱に染まる頃。

 冒険者ギルド──ヴェルム王都支部の前には、既に人だかりができていた。

「聞いたか? 昨日の昇格試験で、ガルドラスが倒されたらしい」

「馬鹿な、あんな凶暴な魔獣を……新人の昇格試験で、だぞ?」

「信じられねえが……救護室に担ぎ込まれたガイラスの姿は見た。噂じゃ、三人組の新人が仕留めたらしい」


 好奇心に駆られた冒険者たちが、口々に噂を飛ばす。

 真偽はどうあれ、その名に挙がる三人は、今まさにギルドへ向かっていた。


 冷たい朝の風を受けながら、エルド、ルーク、レイナの三人は石畳を踏みしめる。

 昨日の戦いが、まだ身体の奥底に残っているように。


 レイナは無意識に昨日の光景を思い出した。

 森の中、牙と爪に追い詰められたあの瞬間。

 彼女を救ったのは、目の前を歩く少年の剣だった。

(あの剣……何だったの? ただの技じゃない。音が響いて……いや、怖い。怖いけれど──)


 視線を落とし、唇を噛む。

 だが同時に、その「怖さ」に守られたことも事実だった。


 一方、ルークは背負った槌の重みを確かめながら、眉をしかめていた。

 自分はただ足を引っ張っただけではなかったか──そう思う瞬間が、何度も頭をよぎる。

(いや、違う。俺はまだ始まったばかりだ。昨日だって、俺なりに戦ったはずだ。けど……次はもっと強くならなきゃ、あの二人に置いていかれる)


 悔しさと憧れが胸に混ざり、拳に力がこもる。


 そして、二人の少し前を歩くエルドは、静かに背負った剣へと意識を向けていた。

 昨日、オルディアの柄を握った瞬間に走った、あの感覚。

 刃を通じて何かが共鳴し、音が、記憶が、自分に訴えかけてきたような……。

(あれは何だったんだ。……俺は、また一歩、この剣の奥へ踏み込んでしまったのかもしれない)


 人々のざわめきが近づく。

 三人がギルド前に差し掛かると、集まっていた冒険者たちの視線が、一斉に彼らへ向いた。

 ノイズのような声を掻い潜ってギルドの扉をくぐった瞬間、受付の女性が慌ただしく呼びかけてきた。

 昇格判定の窓口へ案内されると思っていた三人に向かい、彼女は静かに首を振る。

「お三方。すぐに支部長室へお越しください」


 周囲の冒険者たちが、ざわりとどよめいた。

 通常なら、昇格判定は窓口での確認と審査員の報告書で済む。

 支部長直々の呼び出しなど、まず聞かない。


 三人は無言で視線を交わし合い、奥の階段を上がっていく。

 廊下の先、重厚な扉の前に立つと、既に中から声がかかった。

「入りたまえ」


 扉を開けた瞬間、空気に緊張感が走った。

 朝陽の差す窓辺に立つ初老の男──バロック・ゲイン。

 筋骨たくましい体躯に刻まれた深い皺は、ただの老いではなく、戦場を知る者の歴史を物語っていた。


 彼はゆっくりと三人を迎え入れ、椅子に腰を下ろすと真剣な眼差しを向けた。

「昨日の報告と証拠により、討伐は疑いようがない」


 低く、しかし穏やかな声が部屋を満たす。

「だが、それ以上に注目すべきは──君たちが協力し、それを成し遂げたことだ」


 緊張が、三人の胸を締めつけた。

 支部長の口調は柔らかい。けれど、その眼差しは鋭く、冒険者としての本質を射抜いている。


 しばしの沈黙ののち、バロックはルークに視線を向けた。

「ルーク・エステバン。君は、この戦いで何を学んだ?」


 問われたルークは、拳を握りしめ、やや唇を震わせた。

「……自分が、まだまだ未熟だってことです。けど……仲間と背中を預けて戦えば、自分にも役割があるって気づけました。もっと強くなりたい。昨日より、今日……そして、明日はもっと」


 バロックは小さく頷き、今度はレイナへ視線を移した。

「レイナ・モルドリーフ。君にとって、仲間とは何だ?」


 レイナは息を飲む。昨夜の恐怖と救済が、胸をよぎった。

「……怖かったんです。正直、私はあの瞬間、死ぬかと思いました。でも……仲間がいたから、立っていられました。だから私にとって仲間は……“逃げ場じゃない支え”。そう言えると思います」


 支部長の目が細くなった。まるで彼女の覚悟を測るように。


 そして、最後にエルドへと向き直る。

「最後に、エルド・クラヴェル」


 低く重い声。言葉のひとつひとつに、重圧がのしかかる。

「君は、なぜ剣を振るう?」


 エルドはしばし沈黙した。

 重苦しい空気の中で、言葉を選ぶように視線を伏せ、そしてゆっくりと顔を上げる。

 その眼差しは支部長へ真っ直ぐ向けられていた。

「……この剣、“オルディア”を鍛えていた時から、ずっと感じていました」


 静かに、しかしはっきりとした声音だった。

 レイナもルークも思わず背筋を伸ばす。

「最初は、錯覚のように思いました。ただの鉱石から、微かな“音”のようなものが聞こえてきたような気がして。形を鍛えるたびに、その響きが僕の心に共鳴して……。剣が完成した時、確信しました。この鉱石は、ただの物質ではなかった。何かを宿しているのだと」


 エルドは柄へ手を添えた。

 その仕草は無意識ながらも、剣を慈しむ者のそれだった。

「それから、この剣と共に冒険者になることを決めました。理由は単純でした。……“世界の音を聴いてみたい”と。風や水や大地……人の生き様や歴史までも、もしかすると音になって響いているのではないか。そんな気がしてならなかったのです」


 言葉は次第に熱を帯びていく。

 支部長の鋭い眼差しを真正面から受け止めながらも、エルドの声は揺るがなかった。


「ですが、冒険を重ねるうちに、それが単なる音ではないと分かってきました。あれは……“記憶”だと思います。記憶が音となり、僕に何かを伝えようとしている気がします。昨日の戦いでも、確かに感じました。群れを成す敵の“恐怖”や“執念”すら、音として響いてきました」


 レイナが小さく息を呑む。ルークも目を見開いた。

 彼らはまだ理解しきれてはいない。けれど、エルドが本気で語っていることだけは伝わった。

「この剣──オルディアにも、宿った記憶があるのだと思います。遥か昔から積み重なってきた何かが、音として僕に語りかけている。僕にはそれを感じることが出来る。そんな気がしました。」


 言葉は淡々としていたが、その奥に秘められた熱は誰の耳にも響いていた。

「だからこそ、僕は剣を振るいます。敵を倒すためだけにではありません。世界に刻まれた記憶を辿り、その意味を知り、今を生きるための力に変えるために。それこそが、僕が剣を取る理由です」


 エルドの声は途切れ、部屋に静寂が訪れた。

 支部長は微動だにせず、その瞳でエルドを射抜いていた。

 レイナとルークは、かける言葉を見つけられずに黙り込む。

 だが、三人の胸に刻まれたのは同じ感覚だった。


 ──エルドは、ただの冒険者ではない。

 彼の剣の先には、この世界の深奥に触れる“何か”が待っている。


 支部長は、しばし黙してエルドを見つめていた。

 その眼差しには探る色も、恐れもない。ただ一人の冒険者として、真っ直ぐに相手を受け止める視線。

「……なるほど」


 低く穏やかな声が、部屋に響いた。

「君は強さを求めるために剣を持っているのではない。記憶を辿り、世界を知ろうとするために──その剣を手にしているのだな」


 言葉は断定に近い。それは否定でも肯定でもなく、ただ「理解」であった。

 エルドはわずかに目を見開く。言葉にしきれぬ思いを、そのまま支部長に掬い上げられたように感じた。

「……恐ろしいことでもある。記憶は、ときに人を惑わし、過去に縛りつける。だが同時に、それを感じ取り、受け止められる者は、この世にほとんどいない」


 支部長は、ふっと微笑を浮かべる。

「──私には、君が“選ばれた”ように思える。だから恐れる必要はない。剣に宿るものを抱きとめられるのならば、それは君にしかできぬ歩み方なのだろう」


 その瞬間、ルークとレイナははっきりと感じた。

 この場にいるはずのエルドが、自分たちと同じ新人冒険者であるはずの彼が──どこか遠い存在に思えた。

 年齢も近く、共に剣を交え、命を預け合った仲間である。それでも、いま支部長と交わしている会話は、まるで自分たちには届かない高みにあるもののように思えた。


 エルドは静かに頷き、支部長へ礼を尽くす。

「……ありがとうございます。いただいた言葉、胸に刻みます」


 支部長はうむ、と短く答え、穏やかな視線をエルドから二人へ移した。

「三人とも、よく戦った。昇格の可否は──このあと、正式に伝えよう」


 その言葉と同時に、扉が叩かれる音が響いた。

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