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第24話「初めての杖」

 ヴェルム王国──その中央都市にそびえる王都ギルド支部は、サリオンとはまるで別の顔を持っていた。

 陽光を浴びた白灰色の石造りの建物は三階建てで、堂々とした正面玄関の扉には、王国ギルド連盟の紋章が刻まれている。

 昼前の時間帯でも、多くの冒険者が出入りし、装備を整えた戦士や魔術装具を携えた術士の姿が目立った。

「……雰囲気、全然違うね」


 レイナがぽつりと漏らす。彼女の眼は、入り口横の掲示板を囲むように集う高ランク冒険者たちに向けられていた。

「見ろよ、あれ……ギルドカードが金色だぞ」


 エルドの視線の先には、Aランクを示す金縁のギルドカードを持った男がいた。背には巨大な剣を背負い、腕には術式の刺繍が縫い込まれたバンデージを巻いている。

「王都の支部は、王国本部と繋がってるんだ。特別な任務も多いし、冒険者の質も……まあ、段違いだな」


 ノルドが淡々と口を開いた。彼の足取りは自信に満ちていて、まるでここが自宅であるかのように迷いがない。

「ふぅん……入りにくいわけじゃないんだよね?」


 レイナがやや緊張気味に尋ねると、マユリが小さく笑った。

「大丈夫よ。ギルドカードを持っていれば、どの国の、どの支部でも受け付けてくれるから」

「ギルドは、王国間協定で繋がってるんだ。国を越えて活動する者も多いし、記録さえちゃんと残っていれば再登録は不要。……お前たち、ちゃんと記録されてるよな?」


 ノルドの言葉に、エルドが慌てて懐からギルドカードを取り出した。黒銀の縁取りに、〈E〉のランクが刻まれている。

「問題ない……と思う」

「ふふ、心配しすぎよ」


 マユリはそう言いながら、自分のカードを見せた。水色の模様が中央に組み込まれており、術士を示す文様が微かに浮かび上がっている。


 ギルドの扉をくぐると、そこには広く高い吹き抜けのホールがあった。中央の受付カウンターの他に、資料閲覧のスペースや任務分類の掲示板、奥には面談用の小部屋も並んでいる。壁沿いの一角では、依頼の登録や報酬換金などの専用窓口も設けられていた。


 サリオンのような素朴さはない。だが、精緻に整えられたその機能美に、エルドは圧倒されていた。

「……ギルドって、こんなに違うんだな……」

「田舎者って顔してるぞ、エルド」


 ノルドが口角をわずかに上げながら言った。

 カウンターに立った受付員は、四人のギルドカードを順に確認し、優しく告げた。

「四名とも、ギルド規格にて正式に登録されておりますね。追加の手続きは不要です。今後、ヴェルム国内のほか、他国支部でも共通要領で任務を受注いただけます」

「そうか、ありがとうございます」


 エルドが軽く頭を下げると、ノルドが横で補足した。

「要するに、ちゃんと“記録”されてる奴は、どこに行っても認められるってことだ。これはギルドの原則……世界共通さ」

「なんだか、冒険者って……すごい職業なんだね」


 レイナが、どこか感心したような声で呟いた。

 受付員はさらに、登録済みのパーティ申請についても尋ねてきた。

「今後、継続的にご一緒される予定であれば、“パーティ”として記録をしておきましょうか?」

「……パーティ、か」


 エルドはレイナ、マユリ、ノルドと視線を交わす。

「ああ、記録しておこう」


 ノルドが淡々と頷いた。

「利便性が上がるし、何より……“今”をちゃんと残しておくのは、大事なことだ」


 こうして、四人の新たな冒険が──王都という舞台で、静かに始まった。


 ギルド内の掲示板前には、朝と昼の境界を行き交う冒険者たちが群がっていた。

 空気には、乾いた革と金属の匂い、そして魔具から発せられる微かな振動が混じっていた。まるでここだけ、異なる空間の層を歩いているような錯覚を覚えるほどだった。


 エルドは、他の冒険者たちに注意を払いつつ、一枚の依頼書に目を留めた。

「……これ、“クルスファン”の討伐依頼?」

「ふむ、中型獣種──知能は低いが、筋力が高く、突進の速度が厄介だな」


 ノルドがエルドの肩越しに覗き込み、簡潔に特徴を述べる。

「討伐指定数は三体以上。討伐数に応じて追加報酬あり。目撃されたのは王都西部のハンロス丘陵地帯。周囲に民家や集落はなし……安全圏内での任務ってことか」

「報酬も……Eランクにしては、悪くない額」


 レイナが横から呟いた。依頼書に記載された金額は、個人単価で銀貨六枚。四人なら、食費と宿代を数日分まかなえる計算だった。

「悪くないわね。初任務には、ちょうど良いくらい」


 マユリも頷いたが、同時に眉根を寄せた。

「でも、この“注意事項”……。“発情期にあたる個体である可能性があるため、警戒を怠らぬこと”って。これ、単なる中型獣じゃ済まない可能性もあるってことよ」

「いい目のつけどころだ、マユリ」


 ノルドが感心したように言う。

「実際、クルスファンは発情期に気性が荒くなり、外見の変化も伴う。額から生える“骨角”が湾曲し始めたら、それは突進の兆候だ」

「じゃあ、突っ込んでくる前に……罠で足止めするべきね」


 レイナの目に、かすかな光が宿った。

「それに、角の付け根。あそこに麻痺針を打ち込めば、動きが一瞬止まる。頭骨が硬すぎて貫通はしないけど、神経が走ってるの」

「へえ……。王都の図書館で、何を読んだの?」


 マユリがからかうように笑った。

「さぁ? ただの一般閲覧区よ。でも、ああいう構造の獣って、身体の動かし方に癖があるの。突進する前に、右後ろ脚に一度体重を乗せる……癖って、可愛いでしょ?」


 エルドはレイナのその言葉に、小さく笑みを返した。

 ──戦いの経験が乏しいはずの彼女が、こんなにも冷静に動物の挙動を読むことができるとは。

 この旅で得た知識と、観察眼。それらは確かに、レイナ自身を変えていた。

「……決まりだな。この依頼、受けよう」


 ノルドの一声で、四人はカウンターに向かった。

 受付員が依頼書とギルドカードを照合し、手続きを進める。冒険者登録のランクにより、受注できる依頼には制限が設けられているが、今回はEランク──四人全員が問題なく受注できる範囲内だった。

「すぐ出発すれば、早ければ日没までに帰還できます。もし宿泊となる場合は、緊急時用の野営キットを貸し出すことも可能です」


 受付員が淡々と説明する中、マユリが一つ訊ねた。

「クルスファンの狩猟報告って、最近も上がってますか?」

「直近では、南部の支部から二件。うち一件は、上級ランクとの協力任務でした。獣種の個体変異も報告されています。警戒を怠らぬようお願いします」


 全員の顔つきが引き締まった。

 ──単なる報酬稼ぎのつもりで、慢心すれば命取りになる。

「それじゃ、装備と物資の確認。出発は……一刻後、でいいかしら」

「了解。罠の構成、少し変えてみるわ。実地で試したいパターンがいくつかあるの」


 レイナが笑った。

「……頼りにしてるよ」


 エルドの言葉に、レイナは頷いた。

 ギルドの重厚な扉が、再び開かれる。

 この街に来て初めての“任務”が、今、始まろうとしていた──


◇◇◇


 王都初任務は、クルスファン討伐。

 ハンロス丘陵は、風の通りが早い。


 王都から東へ二刻。緩やかな斜面が幾重にも折り重なり、湿地と林地が交互に現れるその土地は、地形的な要因から霧が溜まりやすく、朝方には足元すら見えぬほどの白気に包まれていた。

 昼を越えた今も、薄い靄が地面近くを漂っている。

「……目視確認。二体。体高は一メートル半、前肢の筋肉発達、突進型……依頼記録と一致」


 レイナが手信号と共に囁いた。

 彼女の眼は、前方の木立を通して獣の輪郭を正確に捉えていた。匍匐姿勢で地面に貼りつくように進み、風下の斜面から緩やかに距離を詰める。呼吸は静かで、足元の小枝すら踏まない。

「罠は三手。第一列の粘着、第二列の転倒式、第三は貫通杭。接近前に一体でも落とせれば勝率は跳ね上がるわ」


 その口調は冷静そのもので、指先に握られた石粉状の封薬が、緊張感を含んでわずかに震えていた。

 エルドは、草むらに身を沈めたまま、視線だけで確認した。

 丘陵の窪みを蹄で掘るように動く中型の獣──“クルスファン”。

 筋肉に覆われた前肢、隆起した背骨。灰褐色の体表は獣というより岩肌に近く、野生の突進には十分すぎる破壊力があった。

「問題は……突進に至るまでの“合図”よ。こいつら、頭が悪い代わりに動きは単純。その瞬間を、絶対に見逃さないで」

「わかってる」


 エルドが頷いた。オルディアは未だ鞘に収まっている。今この場面では、視線を外した瞬間が“死”に繋がる。

「合図を出せ。罠に合わせて仕掛ける」

「──了解」


 マユリとノルドも、それぞれのポジションへと分かれていた。

 丘の稜線上、風を遮る大岩の背後に身を隠したノルドは、杖に力を込めていた。

「エクシナ:生成──“グリーヴァイン”」


 地面にひび割れが走り、そこから蔦が姿を現す。

 ……通常、この術は敵の動きを封じる補助術として用いられる。


 だが、ノルドは“動かした”。

「ッ──」


 蔦が突如、弾丸のように前方に射出された。まるで杭を打ち込むような速度でクルスファンの脚を襲う。

 狙いは、後肢。獣の突進直前の“重心移動”を見切った射出だった。

「──なるほど、“そっち”に使うのね」


 マユリがわずかに驚いたように呟く。

 “グリーヴァイン”は本来、射出術ではない。蔦を伸ばし、絡ませ、拘束する術。それをノルドは、鍛え上げた制御と圧縮発動で“殴打”に転化した。


 術の原理は同じ。ただ“使い方”を変えただけ──

「エクシナは、本来攻撃向きじゃねぇ。それは、わかってる」


 獣が、悲鳴に似た咆哮を上げた。右後脚を打ち抜かれ、突進の勢いを削がれ、前方に転倒する。

 ノルドは一歩も動かず、再び掌を広げた。

「だったら、俺のやり方で“倒す”まで持っていくだけのこと」


 その目に宿っていたのは、激情ではない。

 研ぎ澄まされた戦術家の眼光だった。

 別の一体が、突進の姿勢に入る。


 罠は──第二列。

「起動!」


 レイナの声とともに、地面に埋めた薬剤が破裂音を上げた。

 薄く張り巡らされた転倒線が、爆ぜる空気の圧で獣の膝裏を砕く。

「任せた!」


 エルドが駆け出した。斜面を跳ね、刀身を抜きながら踏み込む。

「オルディア──!」


 鋼が唸り、風を裂く。

 獣が最後の抵抗で前脚を振り上げたその刹那──


 刃が閃き、獣の咽喉を切り裂いた。

 血飛沫が草原を赤く染めた。

「──完了、二体とも」


 エルドが息を吐いた。

 クルスファンは、蹄を空に向けて沈黙した。風が再び草を撫で、丘陵は元の静けさを取り戻していく。

「……上出来だ。戦術通り、完璧だった」


 ノルドが呟き、蔦を地面に還す。

「ええ。まるで教本通りの展開だったわ」


 マユリの声に、レイナが小さく笑った。

「ふふ、少しは“王都で勉強した”成果が出た、かな?」


 四人の視線が交差し、わずかな笑みが生まれる。

 だが──


 ノルドだけは、誰にも気づかれぬよう、指先を見つめていた。

 その蔦が、わずかに赤黒い染みを帯びていたのは──偶然ではない。

「……やっぱり、向いてねえんだよな、俺」


 エクシナは、“優しさ”の属性。

 自然と共に生き、守る力。

 だが、ノルドが欲したのは──もっと“剥き出し”の何かだった。


 彼はまだ、葛藤の只中にいた。

 そして、誰もがそれぞれの思惑を胸に──

 王都の大地で、一つずつ、“自分の戦い”を覚えていく。


 森がざわめいた。

 風でも獣でもない。大地の層が一段下がるような、重く鈍い空気の波が足元を揺らす。

「来る……!」


 ノルドが低く言った瞬間──視界の奥から、影が四つ、躍り出た。

 クルスファンの群れだ。正面からの突進は、盾持ちですら弾き飛ばされる凶暴な個体。

「四体……!」


 駆ける──

 地が鳴る。木々の枝葉が吹き飛ぶ。 


 視界を揺らす突進の波に、レイナが冷静に手を振る。

「──展開ッ」


 地面が、突如として牙を剥いた。

 クルスファンの前方で罠が炸裂。音もなく足元の地形が陥没し、先頭の個体がバランスを崩す。罠の底から突き上げたのは、鋼の矢──レイナ特製の〈逆槍起伏〉だ。

「一体崩した。エルド!お願い!」


 エルドが飛び込む。

 抜き放たれたオルディアが光を掠め、無防備な側頭部を捉える。


 ──ザンッ

 ギャギャギャギャッ!


 断末魔を上げる前に、一体が倒れた。

「二体目、左側に回った。足止めする!」


 レイナは腰の小瓶を抜き取り、針を滑らせる。毒──いや、麻痺作用のある調合だ。彼女が投げたその針は、回り込む個体の関節付近に突き刺さり、脚が痙攣する。

「うまい……!」


 ノルドがうなり、杖を掲げた。

「──《レギアグラス》!」


 地から喚起された蔦がうねる。通常なら補助や遮蔽に用いられる術。それが今──暴風のように地を薙ぎ、獣の胴を叩き伏せる。

 ドゴォン!


 角質を砕く一撃。

 もう一体も、蔦の一閃で吹き飛び、背を打って倒れた。

「──本来、守りに徹するはずの術を……」


 マユリが呟いた。

 彼が求めていたのは、本来〈ヴォルナ〉の持つ“破壊”の力だったのかもしれない。

 それでも、エクシナに目覚めた彼は──その枠の中で、攻撃という答えを捻り出した。


 歪んでいる。だが、それは──鋭い執念だった。

「最後の一体──!」


 森の奥から突き出た巨躯が、怒り狂ったように猛進してくる。標的は──マユリ。

「……ッ」


 避けるには間に合わない。

 その瞬間──マユリが杖を構えた。

「《スクリート》ッ!」


 水の膜が彼女を包むように展開され、突進の衝撃を相殺する。しかし──

 ビキィンッ!


 杖から、異音。

 マユリが手を離した瞬間、杖の中心部に縦裂けの亀裂が走り、魔力の光が漏れ出した。

「マユリ!」


 エルドとノルドが同時に走る。突進の勢いを逸らした敵に対し、オルディアの一閃と蔦の連撃が交錯し、最後のクルスファンが崩れ落ちた。


 静寂──

 戦いは、終わった。

「杖……」


 マユリが地面に落ちたそれを拾い上げる。細かく走った裂け目、端の装飾が砕けて散っている。

「……初めて持った、術士用の杖だったのに」


 声は淡々としていたが、掌の中で、何かが終わったような気配があった。

「魔力負荷と衝撃が重なったな。あの杖じゃ、もう無理だ」


 ノルドが言った。

「王都で、あつらえ直すしかないか」


 その言葉に、誰も異を唱えなかった。

 小さな戦いだった。だが、それぞれの歩幅と視線が確かに重なった、4人の本当の“初陣”だった。


 森を抜けた先には、夕暮れに染まる王都の影が、静かに広がっていた。

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