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第23話「語られなかった想い」

 宿屋《月見の棟》の窓辺に、夕陽が斜めに差し込んでいた。

 読書の疲れが残る頭をほぐすように、エルドは椅子にもたれて大きく息を吐いた。

「……目が、しょぼしょぼする」


 隣の寝台で転がっていたノルドが、腕を組んだまま軽く笑った。

「それは知識の副作用だな。慣れてないなら、軽く飲んで抜けた方がいい」

「……え?」

「酒場に行くぞってことだ。せっかく王都に来たんだ。雰囲気くらい楽しめ」


 言うや否や、ノルドは立ち上がり、旅装を整える。

 部屋の外では、レイナとマユリの足音も聞こえてきた。どうやら、二人も声をかけられていたらしい。


 ──やれやれ。

 荷物を軽くまとめ、エルドも腰を上げた。

 宿の玄関を出た瞬間、王都の夕風が頬を撫でた。


 サリオンとは違う。どこか乾いていて、それでいて微かに花の香りが混じっている。

 白い石畳の通りには、屋台の灯がともり始め、金属細工のランタンが店先で揺れていた。街の喧騒は遠く柔らかく、日常の賑わいが、街そのものの余裕を物語っている。

「……やっぱり、王都ってすごいね」


 レイナが目を輝かせながら、通りを見渡す。

「術師には、あまり向かない空気だけどね。乾燥してるし、術の流れが少し荒れてる」


 とマユリがぽつりと言った。

「そうか? 俺は、ずっとこっちの方が馴染むけどな」


 ノルドが肩をすくめながら言うと、誰からともなく笑いが漏れた。

 そして四人は、一本裏通りにある、灯りの柔らかな小酒場へと足を運ぶ。

 木造の扉を押すと、鈴の音が静かに響き、温かな光と人の声が迎え入れてくれた。

 騒がしくない、落ち着いた空間。旅の商人や学者風の男たちが、静かに杯を傾けている。


 元冒険者だという店主が「お好きな席へどうぞ」と促し、四人は奥の丸テーブルに腰を下ろした。

 木製の椅子は少しきしんだが、それもまた味だった。

 メニューには、煮込み料理や香草焼き、軽いワインや果実酒が並んでいる。

「俺は果実酒でいい。軽くな」

「じゃあ私も……旅で喉が乾いたし」

「お酒ってあまり飲んだことないけど、ちょっと試してみようかな」

「エルドは?」

「……じゃあ、俺も同じやつで」


 やがて、各々の前に皿と杯が並ぶ。

 それは、王都での新しい一日を、静かに労う儀式のようでもあった。

 果実酒の香りが、少し乾いた喉を心地よく潤す。

 四人が腰を下ろした丸卓の中央には、煮込み料理と温かいパン、淡い香草のついた鶏肉の皿が置かれ、軽く湯気を立てていた。

「……じゃあ、始める?」


 マユリが小さく言う。誰が言い出すでもなく、自然な流れだった。

 あくまで“雑談”という名目での報告会──だが、ここに集まった誰もが、それぞれに得た知識を、簡単に胸にしまえるほど軽いものだとは思っていなかった。


「私は……ほら、水属性術の“メディウス”。あれの範囲制御に関する文献があって」マユリが、両手の指を組みながら言った。「意志の集中と術式の反響範囲を一致させれば、単位面積の操作が可能になるって……その技法、母からは教わってなかったの」


「へえ。俺は“グリーヴァイン”の拡張例が印象的だったな。エクシナの術式で、蔦の伸ばし方もまだまだ特徴が広がりそうだ」


 ノルドが自分の杯を回しながら、さりげなく言う。

「発動者の精神集中と、“術の輪郭”をどう描くかで、術自体の形状が大きく変わる……それが練度の差ってやつらしい」

「ふーん。あんたらの話、半分くらいしかわかんないけど、何かすごそうってのは伝わるね」


 レイナがパンをちぎりながら言った。けれど、その口調に嫉妬や皮肉は一切ない。

 むしろ、静かな関心──あるいは、何かを秘めた余裕のようなものすら感じられた。

「私は、薬品調合と薬理罠の記述を読んでた。あそこ、素材の性質に関する分類がかなり細かく載ってて……予想以上に収穫があったよ」

「罠に使えるってことか?」

「うん。どう使うかは、まあ……今はまだ、内緒で」


 レイナは軽く笑うと、杯をひとくち傾けた。

 視線が一瞬、テーブルを挟んで向かい側──エルドへ向けられる。

「で、エルドは?」


 マユリの問いに、全員の視線が自然と集まった。

 一拍の沈黙。

 エルドは杯を見つめながら、少し考える素振りを見せた。

「……属性のことを、もっと知りたいと思ってた」


 それは嘘ではない。けれど──全てではなかった。

 (本当は……)

 (ずっと、気になっていたことがある)


 ──あの剣。オルディア。

 音を伝えてくるような感覚、戦闘中にその剣は、自分の動きと連動するように震え、時に意思を示すような“音”を伝えてくる。


 だが、王立図書館において、“音を持つ鉱石”に関する明確な記述は、どこにもなかった。

 それでも──


 ある文献の中で、ほんの一節だけ、“記憶を宿す鉱石”について語られた伝承があった。

 それは、古代に用いられた技術とされ、今では失われた術技。

 そこに使われていた鉱石──それが、あの“奇妙な鉱石”の正体かもしれない。


 偶然では片付けられない、引力のようなものがあった。

 (まだ何も、分かっていない。けど──)

 (きっと、この剣は……何かを、知っている)


「……まあ、俺もまだ勉強中ってところかな」


 軽く笑って言うと、皆はそれ以上深くは詮索しなかった。

 ──誰もが、表には出さないものを抱えている。

 その空気は、杯の音が重なり、料理の香りが漂う中に、静かに沈んでいた。


 杯の音が少し落ち着き、料理の皿が空になっていく中──

 四人の間に、ひとつの静かな間が生まれていた。


 それは言葉の枯渇ではなく、互いの鼓動に耳を傾けるための、穏やかな沈黙。

「……エルドくん」


 小さく名前を呼んだのは、マユリだった。

 彼女はテーブルの隅に残ったパンの欠片を指で転がしながら、視線を向けてくる。

「今日、あの図書館で……何か目的は達成できたの?」


 一瞬、問いの意味に戸惑ったが、すぐにエルドは小さく頷いた。

「……うん。まだ、はっきりしたことはないけど、少しだけ手がかりになりそうなものはあった。……自分が、何に惹かれているのか。どこを見てるのか、少しだけ分かった気がする」

「そっか……それなら、よかった」


 マユリの声は柔らかく、それ以上を求めることはなかった。

 (マユリも、何かを探していた。けれど、それを口にすることはなかった)


 エルドは心の中でそう呟いた。

 ──誰かと共有しなくてもいい。けれど、同じ方向を向いていると、感じられることがある。


 その時──

「……ふぅん」


 横からくぐもった声が差し込んだ。

 レイナだった。彼女は椅子の背にもたれ、グラスを傾けながら、じっと二人のやり取りを見ていた。

「ふたりとも、口にしないけど、たぶん何かを持ち帰ったんだろうね」

「それは……別に、君もでしょ?」


 ノルドが淡く返す。

「俺たちは、語らないことで守ってるだけだ」


 レイナは一瞬目を細めたが、やがて笑った。

「……詩人みたいなこと言うんだね、術士って」

「詩ではない。事実だよ」


 ノルドはそれだけを言うと、グラスを空にして静かに席を立った。

「今日は、もう休む。明日はギルドに顔を出すんだろ? サリオンと違って、王都は一手間も二手間も違う。……覚悟しておけ」

「あらあら。怖い人」


 レイナがからかうように笑い、マユリも「そろそろ、ですね」と席を立つ。

 エルドも、最後にグラスを置きながら言った。

「じゃあ、明日。朝食のあとでギルド……それで、いい?」

「ええ」マユリが頷き、「忘れ物はなしよ」と付け加える。


 四人はそれぞれの歩幅で、灯の落ちた酒場を後にした。

 白い都の夜風は冷たく、それでいて澄んでいた。

 街灯の灯りに照らされる石畳の上、四つの影が、静かに伸びていく。


 その影のひとつひとつに、語られなかった想いが宿っていることを──

 まだ誰も、知らなかった。

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