第20話「昇格依頼報告会」
──ギルド本部・会議室
部屋の中は、妙な静寂に包まれていた。
木目のテーブルが中央に据えられた簡素な会議室。窓からは夕刻の光が射し込んでいるはずだったが、誰もそれに気づかない。重たい空気が、集まった者たちの背にまとわりついていた。
今日、昇格依頼に出かけた者たち──
D→C組:術士(水)マユリ・セレイド、斧闘士トラス・バレック、弓士エティア・ウィンセル、術士(自然)ノルド・ヴェインターク。
E→D組:双剣士カタニア・ウィンセル。
F→E組:剣士エルド・クラヴェル、手甲闘士ギロム・サンクロット、罠士レイナ・モルドリーフ。
八名の若き冒険者たちが、今、同じ空間にいる。
その中で、カタニアだけは、少しだけ視線を落としていた。言葉はなく、ただ肘を膝に乗せて座り、右手で後頭部を掻いている。その仕草はいつものような気安さではなく──どこか、所在なさげな“悔しさ”を滲ませていた。
リナが机の上に報告書の束を並べ、手早く確認していく。その背後では、引率担当のBランクの冒険者三名と、運営官ダナスが控え、黙して様子を見守っていた。
と、その時──「それでは、昇格依頼の報告会と昇格結果の通達を開始します」というリナの言葉とともに、緊張感が訪れた。
「まずは、D→C班、マユリ・セレイド──合格。支援魔法の応用と連携能力、共に評価されています。おめでとうございます」
「……あ、ありがとうございますっ!」
マユリは一瞬きょとんとした後、小さく両手を握って喜びを噛みしめた。トラスはそれを見て鼻を鳴らす。
「ふん。まあ、当然ってやつだろ。俺も──っと」
「続いて、トラス・バレック、合格。力任せのようでいて、展開と崩しのセオリーが的確だったとのこと。高評価です」
「へぇ……そりゃ嬉しいねぇ」
彼は照れ隠しのように首を回すと、天井を仰いだ。
「エティア・ウィンセル──合格。冷静な索敵判断と射線構築。特に、仲間の行動に合わせた補助が高評価を受けています」
「……ありがとう」
静かな口調に、わずかに笑みが滲んだ。
「ノルド・ヴェインターク──合格。自己推薦による挑戦であり、王都術学院出身らしい高度な魔術制御と迅速な行動判断が認められています」
ノルドは無言で、微かに頷いた。
「続いて──E→D、カタニア・ウィンセル。……本日、昇格は見送りとさせていただきます」
改めてリナが言葉を発すると、皆が一瞬だけ息を飲む。だが、カタニア自身はその宣言を受け止めるように、ぐっと唇を噛んで目を閉じた。
簡潔な手書き文字でひとつの結果が記された報告書を、リナがそっと声を落とすように読み上げた。
「技術に不足なし。ただし、戦闘中の判断力に課題。敵勢の動きを読み誤り、地形を不利に変えたことにより、戦局が長引いた。更なる戦術経験を要す」
誰も言葉を発しない。
ふと、カタニアが目を上げる。だが、その表情には驚きも怒りもなく、ただ──悔しさと、納得と、ほんの少しの自嘲が混ざっていた。
「……そっか。まあ……だよな」
小さく呟き、また背を丸める。姉のエティアが隣に座っていたが、あえて声はかけなかった。代わりに、わずかに視線を送る。それだけで、カタニアは頷いた。
その空気を切り替えるように、リナが他の書類に手を伸ばす。
「……しゃあない。俺の中で、どこかで“行ける”って思ってたんだろうな」
「では──F→E組の評価を読み上げます。
その言葉とともに、部屋の空気がまた、僅かに緊張した。
報告書の一枚をめくる音がやけに大きく響く。視線が集中するなか、リナは一段と丁寧にまとめられた報告書を読み上げた。
「本依頼においては、旧市街区跡地にて“トルピネ”の討伐を目的とする任務であった。昇格対象の三名は、Bランク冒険者アラン・デュルクの監督下でこれを遂行」
「小型複数匹の討伐に加え、出現したボス個体──通称“群れの主”に相当する個体や、ボスに引けをとらない大きさの夫婦個体を、連携により討伐。その後の安堵の隙を突く形で、“未探知”の異常個体──ボスのつがいのメスと思われる“女王トルピネ”が出現」
その瞬間──会議室の空気が震えた。
「……女王、だと?」
誰かの声が、低く響いた。
女王個体。通常の群れにおいて出現することは極めて稀であり、同等ランクの冒険者では対処が困難とされている。だが、それがF→Eランクの昇格依頼の中で現れたのだ。
「同女王個体は、先に討たれた“ボス個体”のつがいであると推察され、極めて高い跳躍力・攻撃性を持つ異常種。監督ですら気配を察知できなかったこの個体を、剣士エルド・クラヴェルが“自身の武器”を通じて感知。その後の急襲を予知し、チームを指揮して迎撃に至ったことは、高く評価されるべきである」
その場にいた者たち──特にD→C組の冒険者たちが、一斉にエルドを見た。
誰も言葉を発さない。ただ、その視線に、驚愕と、敬意と、疑念と──混じり合った感情が含まれていた。
「……まじでか」トラスが低く唸る。
「その“武器”って……何?」マユリが小さく呟いた。
レイナも、ギロムも、その事実に驚いた顔を隠せなかった。
だが──エルド本人は、まっすぐ前を向いていた。
「……あの剣、やっぱり何かあるのかもね」
エティアの声が、ぽつりと漏れる。
彼女の言葉は、まるで問いかけのように響いていた。
「ギロム・サンクロット──評価:合格。制圧力に優れた前衛の闘士として、敵陣を突破する力を発揮。武器の特性を生かした接近圧力が、群体戦闘において極めて効果的であった。特に、自己の体格を活かした、柔軟性の高い体躯戦術と仲間の動きを両立させる順応力を高く評価。殲滅と防衛、両面において秀でた動きであり、昇格に値する実力と認められる」
「……っし」
ギロムは一言だけ呟いた。だがその横顔には、はっきりとした充足感が宿っていた。口角が、わずかに、だが確かに上がる。
その評価文に、周囲の冒険者たちの表情が変わっていく。
(あれが、Fだったのか?)
(あの巨手の闘士──ただの力任せじゃなかったのか……)
ささやかなざわめきが生まれる。
「次。レイナ・モルドリーフ──評価:合格。罠士としての技術と判断力、敵誘導のための動線管理、心理誘導の仕掛けは、Bランク冒険者からみても“思わず舌を巻く”と評する。行動の全てに計画性があり、かつ仲間への配慮が行き届いていた。冷静さ、技術、精度──そのいずれにおいても、昇格基準を大きく上回っており、昇格に値する実力と認められる」
「………………」
レイナは何も言わなかった。背筋を伸ばしたまま、ただ一礼を返すだけ。けれど、その静けさの奥にあった自信は、誰よりも鮮やかに空気を震わせていた。
──ざわっ。
今度は、誰もが視線を交わす。
(あの小柄な少女が……)
(策で敵を誘い、仕留めた?)
(俺たちDランクでも、あそこまで緻密に動けるか?)
無言の尊敬が、彼女の周囲に静かに積み上がっていく。
「最後に、エルド・クラヴェル──評価:合格。剣士として、戦場における柔軟な判断、冷静な分析、そして“成長性”が顕著である。特筆すべきは、強敵に対する観察と対応の早さ。自身の技量を把握し、周囲の連携を意識しながらの立ち回りにおいては、剣士としての成長が楽しみである。よって、昇格に値する実力と認められる」
エルドの胸に、静かに熱が広がった。
──あの戦いを、アランが……。
隣でカタニアが、目を見開いてエルドの横顔を見つめている。
そして──
「三名とも、特例評価により、Eランクへの昇格が確定されました」
その言葉が告げられた瞬間。
D→Cで合格した者たちの中に、見えない“ざわつき”が走った。
(特例評価──?)
(俺たちの時より、言葉が重い……)
(本当に、Fランクだったのか?)
誰もが知っていた。昇格依頼の難度に、大小の差はあれど──その評価に込められた「伸びしろ」や「可能性」は、時にランクをも超える。
リナが全体の報告を締めくくったあと、手元の報告書に視線を落としたまま、ふと補足するように口を開いた。
「──あ、ひとつ補足しておきますね。いま挙げられた三名の評価について、“特例評価”での昇格となりますが、これは通常の昇格とは別枠で、本部が定める“特例昇格推奨枠”に該当するものです」
数名の冒険者が、ぴくりと眉を上げた。あまり聞き馴染みのない言葉だ。
「もちろん、昇格自体は通常通り、FからE。ですが、“特例評価”を受けた冒険者は、次回の昇格依頼の受注において優遇措置があります。たとえば──」
リナは指を折りながら説明する。
「通常は、昇格後のランクで一定数の活動実績を積まなければ、次の昇格依頼の推薦はされません。でも、“特例評価”を受けた者は、その実績を待たずに、次回の昇格期間にて、すぐさまE→Dの昇格依頼を受ける“権利”が発生します」
「……つまり、間髪入れずに挑戦できるってこと?」
カタニアが腕を組んだまま、低く確認する。
「その通り。もちろん本人の意思次第だけど、本部側としては“逸材”と見ているわけね。だから、“今のうちに鍛えて育てたい”という意図があるの」
エルドの心臓が、ひとつだけ強く跳ねた。
──特例、という評価。
ランクはひとつだけ上がった。けれど、それは“次”を強く意識させる報せでもあった。
周囲の空気が、少し変わった。
「……ひとつの依頼で、そこまで評価されるなんて」
マユリが呟いた声に、周囲の冒険者たちが無言で頷く。
(次回の昇格依頼でも、彼らが先を行くかもしれない)
(油断は、できない……)
リナは最後にもう一言、優しく微笑んで付け加えた。
「いまはまだ、ただの“可能性”に過ぎません。でも──その“可能性”こそが、冒険者としての価値ですから。期待していますよ、三人とも」
その言葉が、静かに場に溶けた。
ノルドが、ちらりと横目でエルドを見る。
その視線には、焦りも、わずかな嫉妬も混じっていた。
(確かに剣士としては、まだ荒削りだった……だが、あの目──)
マユリはエルドの方を見て、微かに目を細めた。
(エルドくん……また、一歩、進んだね)
リナが手元の報告書をすべて閉じ、最後に言葉を添える。
「今回の昇格依頼は、全体として高い評価が引率者から出ています。特に、F→E組の三名に関しては、将来を嘱望する評価も届いています。これは──ギルド全体としても、大きな意味を持つでしょう」
部屋にいた全員が、もう一度三人を見る。
──読み上げられた報告書が、静かに閉じられた。
空気にはまだ熱があった。尊敬、驚嘆、そして静かな嫉妬と自負の入り混じった──冒険者たちの“心の揺らぎ”。
だが、会議はまだ終わっていなかった。
リナが一礼したあと、隣に座していた三名の引率者──ベルトラン、ナディア、アランへと目を向ける。
「では、各昇格依頼に同行された引率者の皆さまから、補足と所感をお願いします」
一番手、術士の中年男性──ベルトランが結ばれた黒髪をなびかせながら立ち上がる。
「……D→Cの昇格依頼にて、4名を引率しました。中でも、術士ノルドは基礎に忠実であり、発動速度と術式選定の正確さが光りました。支援を担ったマユリも冷静な判断ができており、適切な支援術を使って全体の安定を保った功績は大きい。エティアは偵察の精度、戦術判断、共に非常に優秀。トラスも、接近戦における制圧および盾役として戦線を押し上げました。全体として、合格に相応しい働きであったと認めます」
端的で無駄のない語り口に、納得の空気が広がる。
続いて立ったのは、ナディア・ブレム──双剣の女性冒険者。
「E→Dの昇格依頼にて、カタニア・ウィンセルの引率を担当しました」
淡々と語られるその声には、言葉にできない感情が潜んでいた。
「敵の制圧には成功し、斬撃精度も悪くありません。ただ──臨機応変さに欠ける部分があり、地形や敵の動きに合わせた判断に懸念がありました。特に後半、危険域へ踏み込み、追い詰められた獣種が仲間を呼ぶ行動に出はじめました。上位種やボス個体が来る可能性があったため、即刻中止。総合的に見て、今回は合格には至らず、保留とさせていただきました」
──その瞬間、カタニアの拳が微かに震えた。
しかし、ナディアの最後の一言が、それをそっと包む。
「……才能は、確かにある。だからこそ、“あえて”不合格にした。期待はしている。次が楽しみ──それだけは、伝えておきます」
カタニアの瞳に、静かな光が宿った。
そして──アラン・デュルクが立ち上がった。
「F→Eの引率を担当したアランです。……結論から言うと、報告書以上に、語ることの多い依頼でした」
アランはゆっくりと辺りを見渡し、いつもの飄々とした口調を少しだけ引き締めた。
「三名とも、単独ではまだ粗削りだ。だが、連携は見事だった。“ボス”や“つがい”の討伐の後、突発的に出現した“女王個体”──これは、私でも見抜けなかった潜伏個体だった」
周囲の空気が凍るように張り詰める。
「その存在をいち早く察知したのは、エルド・クラヴェル。剣を通じて何かを“聴き取った”らしい。詳細は不明だが、実際に正確な方向を指し、門を突破、女王個体と交戦に至った。ギロムの手甲は戦闘中に破損したものの、制圧力に長けていた。レイナの罠や毒や麻痺効果のある針で隙をつくり、エルドの斬撃で女王個体を仕留めた。私は介入せず、見届けたが──全員、命を懸けて挑んだ。……その意思と勇気に、敬意を表します」
言い終えると、アランは静かに腰を下ろした。
──静寂。
次の瞬間、ひとりの冒険者が、ぽつりと呟いた。
「……すごい、あの三人」
それが引き金だった。
「Fランクだったんだよな……?」
「……あれ、俺たち、昇格できたけど、実力的に抜かれてるんじゃ……」
「いや、むしろCランクになった俺でも、あの女王個体とは正面から戦いたくねえぞ……」
尊敬、驚き、そして何より──焦燥。
それぞれの目に宿る感情は、今までの“格”をすでに超えていた。
その中で、リナがふたたび声を発した。
「以上をもって、本日の報告会と昇格結果の通達は終了です」
そう言うと、机の横からいくつかの木箱を開け、袋を取り出した。
「これより、各依頼の報酬をお渡しします。昇格の合否に関わらず、討伐・制圧・探索に関わった方全員が対象です。順に受け取ってください」
報酬袋が、一人ずつ手渡される。エルドの袋には、「4800G」と記されたタグが括られていた。
その背で、カタニアが袋を受け取った瞬間、驚いたように目を瞬かせた。
「……俺にも、ちゃんと?」
「もちろんです」リナは微笑んだ。「敵を倒した記録は、ちゃんと残ってますから。合否とは別です」
──その言葉に、カタニアの肩の力が、少しだけ抜けた。
リナは最後に、ギルドの印章の入った別の箱を取り出す。
「そして、昇格された方は、ギルドカードを一度お預かりします。明日の朝、正式に更新されたものを、皆さんにお渡ししますね」
エルドは、自分のギルドカードを静かに手渡した。
──変わる。
まだ、一歩。
けれど、その一歩の重みを、今、確かに実感していた。
その日、会議室を後にした冒険者たちは、それぞれの歩幅で階段を降りていった。
新たな道、新たな試練、そして、未知の“何か”へ──。
そして、誰もが心のどこかで、エルドという剣士の名前を、静かに記憶していた。
“ランク差”と“実力差”が、必ずしも一致しない現実。それが、今この空間に明確に示されたのだった。




