08.再会
「ーーサヨ!!」
小夜は自分の名を呼びながら入ってきた男性が誰なのか、最初分からなかった。
ぽかんと見つめていると、男性はつかつかと大股で寝台の側までやって来てーー小夜の前に跪いた。
大きな手が小夜の手を取り、握りしめる。
「私です。フレイアルドです」
「え……」
小夜の記憶の中の『フレイアルド』は少年なのだが、目の前の男性はどう見ても成人していて、背も高く声も低い。
小夜はそこではたと気づく。
(わたしバカだ……わたしと同じ時間フレイアルド様だって成長したに決まっているのに)
小夜の記憶にある彼は線の細い儚げな少年だった。
長い髪を一つに結っていて、声も高いから格好を変えれば女の子に見えるほど。
当たり前だが、彼が男性である以上いつまでもそうではない。
けれど小夜が辛い時思い出す彼の姿はいつも優しい少年だったので、突然成長した姿で現れた彼を見ても小夜は気付けなかったのである。
改めて見ると彼は大きく変貌を遂げていた。
線の細い少年は、上背のあるしっかりとした肩幅を持つ青年となり。
少年期特有のソプラノ声は、低音が心地良いバリトンへ。
一番変わったのは、その眼だった。
花開いたばかりの菫のような美しい瞳は、あの頃いつも優しく小夜を映していた。
けれど今の彼の眼は違う。
もはや菫ではなく紫炎と呼ぶのに相応しい烈しさと熱を孕んで、小夜を捉えている。
強すぎる瞳に気圧され思わず身を引こうとするが、寝台の上では上手くいかなかった。
「ーーサヨ、どうか声を聞かせてください」
「っ……フレイアルド……さま?」
喋ってほしいと懇願してくる相手の前で声を出すのは、小夜にとって非常に恥ずかしいことだった。
必死に絞り出した声は、今にも消え入りそうな弱々しさである。
男の手がぱっと小夜の手を離した。
解放された、と思ったのも束の間。
今度は小夜の顔を下から支えるように、両手で包まれる。
手は小夜の顔を上向かせた。
彼の彫像のように整った顔と真正面から向き合い、小夜は赤面する。
フレイアルドは、見たもの全てを魅了するような微笑みで小夜に迫った。
「ーーやっと、会えましたね」
そのまま降ってくる彼の唇に、小夜はぎゅっと目を閉じた。
その閉じた目の上を、柔らかいものが何度も何度も着地する。
柔らかいものが何か分かり、小夜は何とか止めてもらおうと身じろぐが効果はない。
「〜〜っフレ」
「サヨ……サヨ、……サヨ」
「ーーっ」
唇以外の顔の皮膚全てに彼の唇が触れたのではないだろうか。
怖くはないが、とにかく恥ずかしくて逃げたい。
せめて自分の顔を抑える手を離そうと力を入れるが、全く敵わなかった。
「んっ……フレイアルドさま、まって、くださ」
「……サヨ、嫌ですか?」
そう言って、まるで捨てられるのを察知した仔犬のような顔をするので小夜はたじろいだ。
「ち、ちがうんです! フレイアルド様にされてイヤなことは、何もない、です……けど」
「けど?」
いつのまにか、フレイアルドは小夜の寝台の上に乗って片手は小夜の腰を捕らえている。
もう片方の手は小夜の頬と耳を往復していた。
小夜にはこれが限界だった。
「は、はずかしい、です、から……こ、これ以上は」
フレイアルドは「はずかしい……」と、何故か何度も小夜の言葉を復唱して噛み締めている。
何かに気付いたように自身の口元を掌で覆うと、彼は名残惜しげに小夜から離れた。
「……すみませんでした。貴女に会えたことで、ーー少々、抑えきれませんでした」
申し訳なさそうにするフレイアルドに、小夜は首を振った。
彼の怒りは仕方ないものだと思った。
「フレイアルド様が怒るのは、当然ですから」
「ーーいまなんと?」
「え?」
フレイアルドは小夜の肩に手を置き、身を屈めて目を合わせた。
「貴女は……私が、まさか怒ってこのような振舞いをしたと思っているのですか?」
先ほどとは別の意味で激しくなった彼に、小夜は困惑した。
「は……い」
「私が貴女に怒りを覚えることなどあり得ません。なのになぜ、そのように思うのですか」
ーーフレイアルド様は、怒っているわけではない?
てっきり先ほどの行為は彼の怒りの表現だと思っていた小夜は、じゃああれは何だったのだろうと首を傾げつつも、内心ほっとした。
「わたし、ずっとこちらへ来られませんでした。だからフレイアルド様がお、怒ったりしているのではと……あと、もしかしたら、わたしのことなんてもう忘れてしまったんじゃないかって、ずっと考えて、いて……」
話す内に小夜は自分が泣いていることに気づいた。
慌てて止めようと目を押さえても、なぜか収まってくれない。
「あ、あれ? ごめんなさい、すぐ止めま」
ペシペシと目を押さえていた手は、次の瞬間には手首ごとフレイアルドに取られていた。
「サヨ」
名前を呼ばれフレイアルドを見ると、彼は真剣な眼差しで小夜を射抜いた。
「何度でも言いますが、貴女に怒りを覚えたことなど一度もありません」
それに、と続けるフレイアルドの眼の色が、ぐっと深まった気がした。
「私が貴女を忘れることなど、これまでもこの先もあり得ぬことです」
フレイアルドは、小夜をそっと抱きしめた。
抱きしめながら、彼は小夜の後頭部を、下ろされた髪の筋に沿って撫でる。
ーーその撫で方は、彼が幼い日の小夜を労る時と全く同じもので。
小夜の中の少年の彼と目の前の青年の彼が、ようやくぴたりと重なった瞬間だった。
(あぁ、フレイアルドさま、だ………)
彼の胸に顔を押し当てながら、小夜の涙腺は決壊した。
「ふ、……ぅ、ふれ、あるどっ、さま、」
子供のように泣きじゃくる小夜をフレイアルドは決して笑ったり責めたりしなかった。
ただ寄り添っていた。
「一人で、よく耐えましたね」
その言葉の後、小夜は耐え切れず号泣した。
小夜が泣き疲れて眠るまで、それは静かな屋敷に響き続けた。