28.何処
初めて連れられてきた王宮という場所は、その外観の大きさから想像できるように、中は広く、侯爵邸とは比べ物にならないほど豪華な作りをしていた。
フレイアルドに抱き上げられたまま入口をくぐると、白い大理石の床がまず目に入る。その床を彩るのは赤い絨毯。真っ直ぐ奥の通路に向かって伸びる絨毯は、道案内にも見える。
入ってすぐ、玄関広間となっている空間は天井が高く声を上げても吸い込まれていきそうに感じた。
表にもいた大量の貴族達は広間にも溢れていた。敷かれた絨毯の上に収まりきらない彼等は、そこかしこの美しい綴織や彫刻の前で数人ずつ固まって談笑している。
そして大公を先頭に歩く一行を見つけると、一様に口を開けて固まるのだった。
(そんなにおかしいのかな)
目の前を通り過ぎる頃になって大仰な礼をとる人々の中には、まれに小夜を見つける人もいた。いずれも凝視してくるので、怖くてフレイアルドにしがみついてしまう。
律儀に抱き締め返してくれる男は真剣な顔をしていた。
赤い絨毯は何度も右や左に分かれながら、血管のように城を巡る。小夜達には案内などいなかったが、大公が目指す場所は一つだった。
「まだ謁見は始まらない。一先ず、僕の控室へ行こう」
その言葉の後、辿り着いた大公専用の謁見控室は奥まった場所にあったが、すでにここは謁見の間とは目と鼻の先だという。
身分高い人の控室ほど謁見の間に近しい場所に設けられているそうだ。
明るい色の木製の扉には女神らしき女性像が透かし彫りされている。一行の後方にいたシェルカが自ら進み出てその扉を手前に開いた。
中には、観葉植物のような鉢植えが多く置かれ、正面には明かり取りだろうか、大きく切り取られた窓がある。窓からはそのままバルコニーへと出られるらしい。
小夜の自室と寝室を足したほどの広さの部屋の中央には、いくつもの長椅子が置かれている。その一脚へと降ろされた。
「疲れていませんか?」
心配そうな声にゆるりと首を振った。
「大丈夫です」
大人達もそれぞれ好き勝手に腰を下ろしていく。シェルカだけは部屋の出入口を守るように扉に張り付いていたが。
今はフレイアルド以外の誰もが安堵の表情を浮かべ、寛いでいる。
(緊張してるのは、わたしだけじゃないのかも)
一番顔に出ていたのは、もちろん兄である。
隣の長椅子に座る兄の袖を引いた。
ちなみに小夜と同じ長椅子にはフレイアルドがちゃっかり座っている。
「兄様。兄様は王宮に来られたことがあるんですよね? そんなに緊張する場所なのですか?」
自分以外は初めてではないだろう。そんなにも緊張する理由がわからなかった。
兄はうーんと唸り、頬をかいた。
「場所というか……」
言葉を濁すラインリヒは、こちらをチラリと見てから、そのまま視線をフレイアルドへ向ける。
「フレイアルドは余計な恨みをあちこちで買ってるんだ。時々すごい目で睨んでくる奴とかいたの、気付かなかったか?」
「あ……」
自分が凝視されている、と感じていたその視線は小夜を抱く男に向けられていたものらしい。それに気づくと己の自意識過剰さに顔から火が出そうだった。その頬を隣から伸びてきた指がなぞる。
「どうせあれらは何も出来ませんから、心配は要りません。ーーそれよりは、この後の謁見が問題です」
フレイアルドが説明するところによると、謁見は城の前で列を成していた貴族達がみな城内に入場でき次第、謁見の間というところで行われるらしい。
最初に国王から集まった諸侯へ御言葉があり、それから各家の当主や当主代理が持ち込んだ遺物の検査となる。その検査は近衛や国王に仕える文官の仕事なのだそう。
「貴女を紹介する機会は一度きり。国王の発言の後、検査が始まるその前です」
「ーーは、はい」
ごくりと唾を飲み込む。
(ちゃんと挨拶して、余計な発言はしない)
頭が真っ白になって挨拶を間違ってしまわないかが心配である。
ややあって、侍女らしき人達が音も立てずにお茶とお菓子を運んできたが、それに手をつける者はいなかった。
***
しばらく長椅子でゆっくりとした後だった。
部屋にいつの間にか入ってきた黒猫を撫でた大公が、一つ溜め息を吐いてみせる。
「兄上の動きは読めないか……」
あの黒猫も、おそらくは造兵の遺物で造られた猫なのだろうと思いながら、触りたい欲求に駆られていた。猫はしかし、大公の膝の上で丸くなってしまう。
「今日は手間取っているようだね。まだまだ待たされそうだ」
謁見の時間まではまだ猶予があるらしい。続きの部屋で休むかと大公に問われて、とても驚いた。
「まだお部屋があるのですか?」
「そうだよ。手前の部屋ではおちおち眠れないからね」
待つための部屋とは思えないくらい広くて豪華なのに、これだけではないらしい。隣の部屋には寝台まであるという。
今朝は支度のために早く起きたこともあり、確かに少し疲れはあったが、眠るとなると別である。髪や化粧を自分では直せないので横になるのは躊躇われた。
「ありがたいのですが、マーサがいないのでーー」
そう、自分が口にした時。父が飛び起きるように立ち上がった。そして腰の剣を抜き払う。
「ラインリヒ!!」
父の鋭い一声に兄まで立ち上がり、隣に座る自分の壁となる。何事かと声を上げるその前に扉が開く音がした。シェルカの鋭い声がする。
「無礼者!! 入室の許可も得ぬとは!?」
何も見えない自分には、何が起こっているのかわからない。ラインリヒが壁となり、フレイアルドにも長椅子に押し付けられているため身動きが取れないのだ。
静かに息を殺していた。
「ここは王宮。国王陛下の御心によって動く我々には入れぬ場所などないのですよ。元気なお嬢さん」
「ーーぐっ……!」
シェルカのうめく声が聞こえ叫び出しそうになった。
(シェルカ!?)
大公が立ち上がり、自分の視界から遠ざかる。
「カーサンダー、そのお嬢さんを放しなさい」
いつもは飄々とした大公の静かな命令に部屋の空気ががらりと入れ替わる。
初めは和やかだった空気が、緊迫へ。今は冬の朝のように冷え冷えとしたものに。
「何の用か、聞こう」
これまでの大公は随分と優しかったのだと気づくには十分だった。
控室に断りもなく入ってきたことを怒っているのだろうか。
「用というほどのことではございません。大公閣下がお珍しい方々とご一緒だったもので、お忙しい陛下に代わって、ご挨拶に参上したのみ。ああそれから、お見舞いを申し上げます」
「……見舞い?」
「おや、そのご様子では、まだ御存じではいらっしゃらない?」
会話に耳を澄ませることに集中している間にも、数人の近衛の格好をした男が部屋の中へと静かに入り込み、小夜達を取り囲んでいた。
一番近い場所を陣取った近衛兵は、こちらを見てにやりといやらしい笑みを浮かべた。ぞっと背筋が粟立つ。
「西の空の黒煙。閣下もご覧になられたでしょう。その出所は閣下のお屋敷でございますよ」
「何だと!?」
父が叫び、母が息を呑む声がした。大公の声は聞こえない。
「私の部下達が迅速に消火に向かい、間もなく鎮火いたしましたのでご安心を。ですが一人、犠牲になったようで。おい、運べ」
男の命令する声のあと、床に何か重い物を落とすような音がした。
ついで室内に響いたのは、母の小さな悲鳴。
心臓が嫌なくらい速くなり、胸を突き破りそうになる。
「……バル、ト?」
焦げた刺激臭が、鼻をついた。
三章はこれにて完結です。エピローグなしで、次の四章へ続きます。お読みいただきありがとうございました!




