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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
三章

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26.導火

 

 フレイアルドは乗り込んだ馬車の中で、対面に掛ける伯爵の鋭い視線に晒されていた。

 理由は分かっていたし、歩く堅物である伯爵が怒るのは予想通りだ。

 しかし、自身が招いた結果とはいえ小夜の「大好き」を伯爵に取られてしまったのはいただけない。

 苛立ちというには可愛らしい拗ねるような気持ちに、自分にも人間らしいところがあったのだなと苦笑する。


「伯爵。そろそろ睨むのをやめて頂けますか? そのように怒っていては、サヨに怯えられてしまいますよ」


 そう頼んでも伯爵は怒りが収まらないようだ。つるりとした額に血管が浮き出ている。

 見事な形の血管が切れないか心配になり、ついついふっと笑ってしまった。そのせいで伯爵の我慢が限界を迎える。


「ーーふざけるでない!!」


 車輪の癖で時々跳ねる車体に合わせてその太い腕が素早く動く。

 目にも止まらぬ速さで伸びた伯爵の手がフレイアルドの胸倉を掴むと、隣にいた大公がぎょっとした声を上げた。


「レイナルド!?」

「貴様ーーまさか本当に、サヨに手を出した訳ではあるまいな!?」


(怒りの原因は、やはりそれか)


 伯爵の怒りの理由。

 それは、フレイアルドの紋章をあしらった小夜の髪飾りにある。

 今朝あの髪飾りを選んだ時から胸倉を掴まれることくらいは覚悟していた。

 真っ向からこちらを責める視線に向き合った。


「女神に誓って、何もしていません」


 最も重い誓いの言葉を口にしてやっと伯爵はその手を僅かに緩める。しかし相変わらず語気は強いままフレイアルドを詰問する。

 御者が驚いて馬車を停めやしないか。それが心配だ。


「では何故あのような物を身につけさせるのだ!!」

「もちろん、虫除けです」

 

 この国では女性の髪に男の紋章をあしらった髪飾りをつけるのは専ら婚姻後とされる。婚前につけるのは熱愛中の恋人同士くらいだろう。

 これが成人した女性ならば見た通り受けとめられるだろうが、そう捉えるには小夜はあまりにも幼く、自分は評判が悪すぎる。


「大公閣下。事情を知らぬ者が見たらどう思うか、閣下ならばお分かりではありませんか?」

「そこで僕に振らないで欲しいんだけど」


 矛先を向けられた大公は嫌がるが、しかし伯爵の眼力には勝てないらしい。

 気まずそうに視線を逸らしている。


「……婚前交渉しているようには、まず見えない。この侯爵の執着、いや独占欲かな? それが強すぎるんだろうな、くらいに思うだろう。父親である伯爵(きみ)の気持ちも分かるけれど、あの子にはこれくらいしなきゃ駄目かもしれないよ」

「くっ……」


 戦場で矢が刺さっても呻き声ひとつ上げなかったという逸話を持つ伯爵が、苦しげに呻いた。

 座面から浮かせていた腰を下ろすとそのまま項垂れてしまう。


 伯爵はいっぺんに何歳も老け込んだかのように疲労の色濃い顔を、大きな掌で覆った。


「ーー分かっておる。分かってはおるのだ……」


 フレイアルドは項垂れる伯爵の姿に、流石に申し訳なさを感じていた。


(男親には刺激が強すぎたか)


 けれど小夜を大切にするその姿は、庇護を頼んだ側としては有り難い。伯爵はゆらりと項垂れていた身を起こす。


「もう良い。其許の意図は分かった。だがもし其許の言動を理由に儂らの娘が心ない中傷を受けることがあれば、儂は赦さぬ。サヨがなんと言おうとも」

「責任は取ります」


 伯爵が大きく溜め息をつく。悲嘆に暮れるその顔を左右に振ってみせた。


「やはり殿下にご婚約して頂くのだった……」


 昨日の去り際の発言はやはりそういう意味で間違いなかったのだ。

 バルトリアスの言葉を伝えてやろうかと口を開くが、馬車が減速して行くのを感じ、閉ざした。


(始まったか)


 馬車はもう少しで王宮の堀が見える、という位置で停車した。

 

「何事だ?」


 同乗していた二人は何が起こっているか訝しんでいる。

 この時間が勿体無いのと、外の騒ぎから二人の気を逸らす為、フレイアルドは胸元から昨夜届けられたばかりの封書を取り出す。


「じきに動きます。その間こちらをご覧ください」

「む……」


 封書は二通。封筒から順に取り出し読み始めた伯爵は眉根を寄せる。

 横から覗き込む大公は白い顔で、文面とフレイアルドの顔を見比べている。どうやらバルトリアスはこの件を大公に打ち明けていなかったらしい。


「ーー先日のことです」


 処刑とヒュプスの一件。小夜がどのように巻き込まれ被害を被ったか。

 それらを順序立てて説明していくうちに、大公から見たことのない怒気がゆらりと立ち昇る。

 

「その封書は私の協力者からです。身元は申し上げられませんが、信頼できる情報です」

「どういうことだ? これではまるでーー」


 読み終わり顔を上げた伯爵の額には汗の粒が浮かんでいる。

 車内に沈黙が降りる。


 誰もこんなことは予想していなかったのだ。

 フレイアルド自身でさえ。


「どうやら国王派には近々(きんきん)に殿下の息の根を止めたい者がいるということでしょう」


 その国王派が渦巻く王宮へと、馬車は再び動き出す。

 窓の外では遠目に狼煙のような煙が見えていた。




 王宮に至る橋を大公の威光で押し通り、馬車は予定通り正面の車寄せへとつけられる。

 橋は複数あっても、貴人が使う城の出入り口は一つだ。ここを通るにも身元の確認があり、行列が出来ていた。橋を通るため待たされていた貴族達は馬車から降りてもまた待つのかと、疲れを隠さぬ顔で渋々並んでいる。


 フレイアルドが降りてすぐ確認したのは、後続の馬車だ。


 自身が乗っていた馬車と違いもう一台は伯爵家以下の身分の者しか乗っていなかった。

 橋を守る身分低い兵士に大公の付き添いであるため必ず通せ、と言い含め袖の下を渡したものの、通れるかは半々だった。

 だからラインリヒの手を借りて降りてきた少女の姿を目にし、密かにほっとしたのである。


「サヨーー」


 近寄ろうとした時だった。

 自分と目が合った小夜は、なぜか途端に顔を真っ赤にしてラインリヒの背に隠れたのである。


「……サヨ?」


 自分が一歩近づく度に、小夜が一歩後ずさる。

 瞬く間に血の気がひいた。


(な……なにが)


 起こっていることが理解できず、足元がふらつく。しかし既にここは王の膝下だ。倒れるような失態をおかすことは出来ないと気合いで踏み止まる。

 するとそこまで小夜が掴む服の付属物くらいにしか思っていなかったラインリヒが口を開いた。


「悪い、フレイアルド。……ばれた」

「何のことーー」


 小夜に知られて嫌われそうな隠し事なら山とある。一体そのうちのどの件かーーと狼狽していたら。予期せぬ声に邪魔をされた。


 

「貴方が私の大切な娘に、(けだもの)のような発言をしていたことですよ」



 全く周りを見ていなかったから、ごく近くまでアマーリエが来ていたことにすら、気がつかなかった。氷のような声にぎょっとして身を引くもすでに遅い。

 

 ーーバシン!!


 強い音が、王宮に集う貴族達の注目の中、響いた。

 じんとする頬に、叩かれたのだと察する。

 夫人の震える手には、豪奢な扇子が握られている。おそらくは、それで殴られた。


「……アマーリエ、殿?」


 伯爵に殴られることは覚悟していても、この貴婦人に殴られることは予期していなかった。

 何事もなかったかのように、貴婦人は広げた凶器で口元を隠す。その目は笑みの形をしていても、笑っていない。


「今回はこれで許して差し上げてよ。ーー私は、ですけれど」


 その言葉にハッとして小夜を見れば。

 小夜はその榛の瞳に、いっぱい涙を溜めていた。



 




 


 

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