18.王子
どうやってバルトリアスを王宮に入れるか。それが難題なのだという。
小夜は悩む大人達をぐるりと一周見回した。
「王宮は近衛だらけだもんなぁ……」
フレイアルドを睨みつけるのをやめたラインリヒは唸っている。
そのフレイアルドはといえば。
まるで他人事のように優雅にお茶を飲んでいた。
「当家に侵入できた大公閣下の手腕をもってしても、殿下を王宮へ入城させることはかないませんか?」
(あ、もしかして嫌味かな)
そう思っていたら渇いた笑い声が響いた。
「言うねぇ」
頰を引き攣らせた大公の反応を見るに、嫌味で間違いない。
おそらくフレイアルドは侵入されたことがいまだに許せないのだろう。
大公は足を組んで長椅子の背凭れにゆったりと体を預けた。
「もちろん侵入させる経路ならいくつもあったさ。けどどうも《猫》に下見をさせたら近衛が張り込んでる。兄上のご指示だろうね」
遺物で造り出された猫達はあんなに可愛い上、とても働きものであるらしい。
「……そう言えば、大公閣下と殿下はどうやってこの屋敷に侵入したのですか?」
ずっと気になっていた彼等の侵入方法。
それを知れば何か案が出てくるのではないかと思って口にした。
訊ねられた大公は、フレイアルドと散らしていた静かな火花を一旦おさめる。
「えっとね、この屋敷に食材を毎日運び込む運送屋のお兄さんを簀巻きにして眠ってもらって、僕が代わりになったんだ。で、バルトにはじゃが芋の箱に入ってもらった」
「じゃが芋……」
「うん。じゃが芋美味しいよね」
じゃが芋、と口にしながらバルトリアスの方を見たら目があってしまった。その瞬間激しく舌打ちされる。
「二度とするものか」
「こんな調子だから、王宮に行くのに同じ手は難しくてねぇ」
同情的な眼差しを向ければ向けるほど怒りは増すらしい。隣のフレイアルドの袖を躊躇いがちに引いた。
「フレイアルド様、何か良い案はありませんか?」
問いかければ、その横顔は顎に手を当て思案する。こちらに再び向けられた時は不安そうな眼差しを伴っていた。
「あるにはありますが……サヨはどんな手を使っても、私のことを嫌いになりませんか?」
「え? なりませんよ?」
間髪入れず返せば、咽せて咳き込む音がした。
手巾を口に当てていることから、音の出所は兄だろう。
とりあえずそれは見なかったことにする。
「策があるのですね」
「えぇまあ。下衆な策ではありますが。閣下、詳しくお教え出来かねますが私に一任頂ければ手配いたします。如何されます?」
誰もがその中身が気になって仕方ない。
が、フレイアルドは多くを語らず大公に許可を求める。それに待ったをかけたのはバルトリアスだ。
「待て。俺には教えろ」
よっぽど、じゃが芋の箱に詰められたのが嫌だったのだろう。少し焦ったような声だった。
「では後ほど二人で」
バルトリアス以外には頑なに教えようとはしない。
しかし大公からも伯爵夫妻からも異論は出なかった。
このまま会議がお開きになる気配を感じ取り、小夜は疑問だったことをつい訊ねてしまった。
「……あの、もしもそのまま王宮に入ったら殿下はどうなるんですか?」
そもそもバルトリアスは悪いことなんて何もしていない。近衛という警察のようなものまで駆り出して捕まえたとしても、罰するとは考えられない。
小夜の疑問に難しい顔をしたバルトリアスは嘆息する。開いていた脚の上で肘をつくように身を屈めた。
「俺が国王と近衛に追われているのは分かっているな? 罪状など国王ならば寝ていてもでっち上げられる。今の状況で正面から行けば間違いなく俺は囚われることだろう。俺は一人、近衛は数百人。レイナルドとラインリヒとアスランがいてもまず正面突破は不可能だ」
「オレを頭数に入れないで下さいよ!」
「この馬鹿者!」
勝手に想定戦力にされて抗議した兄を父が「情けない」「ザルトラの男が」と叱りつけていた。
(兄様、強いらしいのに暴力は嫌いなんだよね)
そんな親子を呆れた目で見ていたバルトリアスだったが、小夜に視線を戻して続けた。
「仮に俺が囚われたとして、その状況で其方のことを公表すればだ。俺の身柄、若しくは命と引き換えに其方を引き渡せ、とその場で国王に迫られるのがオチだろう」
「な、なんでそうなるんですか?」
理解し難かった。バルトリアスはこの国にとって大切な王子であるはずだ。いくら祝福の力があるとはいえ、ただの伯爵令嬢である自分を得る為の交渉材料にしていいはずがない。
「……簡単なことだ。国王も王太子も、機会があれば俺に死んで欲しいと思っている。其方と俺を天秤に乗せた結果など、見ずともわかる」
自嘲気味なその呟きにぎくりとした。
触れてはならない場所へ触れた。そんな気がした。
「殿下……あの」
「大叔父上。後はフレイアルドに一任でよろしいですね。これ以上は結構。明日に備えて俺は先に休ませて貰いましょう」
掛けられた声を振り切るように、一方的に宣言する。そして二度と小夜の方を見ることなく、バルトリアスは立ち上がる。
「フレイアルド、後で説明に来い」
バルトリアスはマルクスに客室の場所を聞くと、案内するという申し出を断り一人応接室を出ていってしまった。
何もかも突き放すような背中に、不安が噴き出す。
(どうしよう、嫌な思いをさせたのかも)
皺になる程スカートを握りしめる。
応接室の空気は重くて息苦しいほどだ。
するとそれまで沈黙していた大公が、思い悩む小夜にそっと教えてくれた。
「ーーバルトはね。国王にも王太子にも疎まれているんだ」
大公が語り出したのは、普段の姿からは想像もできないバルトリアスの過去だった。
***
バルトリアスはもうすぐ二十七歳。
諸外国からも評価の高い、堂々たるシリューシャの王子だ。
誰が見ても順風満帆な人生を送り、華やかな将来が約束されていると思うだろう。
しかしその実情は大きく異なるという。
「バルトの母君は、十六であの子を産んだ。そしてバルトが五歳になると、幼いあの子を連れて王宮の敷地にある離宮に閉じ篭もってしまった」
「閉じ篭もった?」
それは、母親側から見た事実なのだろう。
けれど幼いバルトリアスにとって、同じであったはずがない。
どくどくと耳の奥の血流が増していた。
「バルトは成人したばかりの父親を差し置いて王太子に望まれるほど優秀な子供だった。だから父親からも側室からも何度も刺客を送られて、あの子の母は守るために離宮にあの子を匿うしかなかったんだよ」
誰も言葉を発さなかった。
スカートを握り込む自分の手を、フレイアルドが上から包むように握る。
見上げた先には、深い傷を目にしているのに何も手当できないことが苦しい。そんな表情のフレイアルドがいた。
「ーー殿下は、ご自身を狙った刺客の手で母君がそのお命を落とすまで離宮から一歩も出ることが出来ませんでした。離宮から出たのは十の年だったと聞き及びます」
「お母様が……?」
五歳から五年間。それは、自分が監禁された二年など優に越す時間だった。
いつの間にか涙が頰を濡らしていた。
自分を狙った刺客に大切な人を殺められてしまった子供は、どんな思いで生きてきたのだろう。
(……そんな人に、わたしは)
フロルに彼女の父親のことを訊ねてしまった時から、一つも成長していない自分に幻滅した。
会話の端々にも、バルトリアスを取り巻く環境が温かなものではないと分かっていたのに。
自分が理由を尋ねたりしなければ、口にすることもなかったに決まっている。
(……殿下は、わたしの境遇を聞いて、どう思っていたんだろう)
自分が帰りたいと駄々をこねた時、バルトリアスは小夜の行きたいと願う場所は戦場だと言った。
帰るなら戦えと。
その言葉を、どんな気持ちで言っていたのだろうか。
彼はもしかして今も、戦いの中にいるのかもしれない。
「……申し訳ありません。わたしが、余計なことをお聞きしたせいで……」
自分の背を慰めるようにフレイアルドの手が往復していた。
バルトリアスと小夜。
二人の共通の後見人は、過去を見つめるような目で、小夜を見ていた。
「……バルトはね、あんな感じだけど、君に母君と同じ道を辿らせたくないと必死なんだ」
「え……?」
ふと、今日はいつになく不機嫌でぴりぴりしていたバルトリアスの様子を思い出す。
小夜と目を合わせるのを、彼は殊更避けていた。
あの行為に何か意味があったのだろうか。
「同じ道、ですか?」
大公は頷きを返してくる。
「僕からはこれ以上言えない。けれど、君を怒っているわけでも嫌っているわけでもないことだけは、分かってあげてほしい」
その場はそれでお開きとなった。
先に客室へ移ったバルトリアスと同じく大公も今夜は侯爵邸に泊まることになり、マルクスが案内していった。
両親はラインリヒを伴って一度転移の遺物で伯爵領の領主館へ戻り、明日の朝また来るという。
転移の間への道中むっすりしていた父は、別れ際に小夜を見ると、申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「そなたを連れ帰ってやりたいが……」
小夜の頭を撫でながら苦々しげにいうのは父だ。
「防衛という点では、悔しいがこの屋敷には劣る。しばらくはフェイルマー殿の元にいるのが良かろう」
「父様……」
顔を上げた父は小夜の後ろに立つフレイアルドを睨んだ。
「よいか。大公閣下のご意向があればこそ、此度、其許がサヨと婚約するのを見逃した。だが其許の振舞い如何によっては儂はこのような婚約は破棄させる」
「父親自ら、娘に消えない傷をつけるとでも?」
父の体が一際膨らんだ気がした。
「黙らっしゃい!! 儂はこのような、騙し討ち紛いの婚約など認めておらぬ! ーー殿下ならば儂の娘を日陰の身に落とすことなどなさらぬだろう」
(……それって、殿下なら婚約破棄されたわたしでも、嫁ぎ先を見つけてくれるってことかな)
父の言い回しは古めかしくて時々難しかった。
「あなた!! その辺になさって!!」
なかなか水盤に乗ろうとしない父を母が咎める。
そのままサヨへと向き直った母は、一度しっかり抱きしめてくれた。
「明日の朝また会いましょうね。今夜はきちんと眠るのですよ」
「は、はい」
母は父を引きずるように水盤に乗せた。
転移の遺物で帰っていく両親と兄を見送ったあと、ただ波紋をうつすだけの水盤の前で長い間佇んでいた。
明日はきっと、これまでで一番大変な日になる。そのことへの不安が小夜の足をその場に縫い留めた。
そんな自分を、フレイアルドは急かすことなく隣で見守ってくれていたのだった。




