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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
三章

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17.難題


 フレイアルドに手を引かれて応接室へ戻れば、むっすり不機嫌な父と照れながら喜ぶ母、そしてじっとりした目でフレイアルドを睨む兄が待っていた。

 それぞれの反応がやたらと恥ずかしくて、フレイアルドの背に慌てて隠れる。


(なんでこんなに恥ずかしいの……?)


 対するフレイアルドの声は自信に満ちていた。

 

「この通り、滞りなくサヨは私と婚約いたしました。これで宜しいですね? 閣下」

「僕、そこまでしろって言ったかなぁ……」


 席に着けばまじまじと各方面から視線が注がれる。

 主に小夜の結われた髪へと。


「僕はごく一般的な婚約をしてくれれば良かったのであって、そこまで求めてなかったんだけど……」

「サヨにとって生涯に一度のことを、おざなりに済ませよと? 有り得ませんね」


 どうやら自分達が交わした婚約は、大公が求めていた形と少し異なるらしい。そしてフレイアルドがそこまでするのは大公にとって予想外だったみたいだ。

 赤くなってるはずの自分の顔をあまり見られないよう、限界まで俯いた。


「……まぁいいや。時間がない。今後のことをさっさと決めてしまおう」


 大公が空気を切り替えると同時にお茶が運ばれてきた。

 小夜の目の前に茶器を置いてくれたマルクスの背中からは喜びが溢れている。

 普段しっかりと引き結ばれている口許が緩んでいたのを小夜は見逃さなかった。


「国王が僕達の誰かを詮議し始める前に、サヨのことを他の貴族の前で公表する。殴り込むなら明日がいい」

「明日とはまた急な」


 流石の伯爵夫妻にも動揺が見られた。

 だがそこは譲れない、と大公は念を押す。


「明日が一番多くの貴族が集まる日なんだ。それも末端の。逆を言えば、梃子(てこ)でも動かない大貴族や有力貴族は少ない。そこを狙う」


 国王の孫と大公が揃っていても、国王派の大貴族の力は侮れないということなのだろうか。

 派閥のことをまだあまり教わっていない小夜には大公の策の良し悪しが分からない。


「この機になるべく多くの離反があればそれに越したことはないしね。とにかく、僕らの派閥にサヨがいるという事実が肝要になる。その為の婚約だ。ーーこれでひとつ、準備すべきことは終わった」


 顔の前に親指から中指まで、三本の指を立てた男が、その一本を折り曲げた。


「次に決めておかなきゃならないのは、こちらがどこまで譲れるかの線引きだ」

「と、おっしゃいますと?」


 母が首を傾げて訝しげな顔をする。


「この先、ある程度はサヨに頑張ってもらわなきゃいけなくなるってことだよ」

「ーー意味が分かりかねますが?」


 フレイアルドが瞬時に剣呑な雰囲気を漂わせて大公を睨みつける。

 一触即発。激しい口論でも始まるかと思われたそこへ、それぞれの目の前に美味しそうな匂いを纏った出来立てのフレンチトーストが提供された。

 夫妻と大公、バルトリアスは見慣れぬ料理が突然提供されたことに目を丸くしている。


 マルクスが貴人たちに恭しく腰を折り、間食の時間であると告げた。

 

「僭越ながら。時折はご休息も必要なものと存じます。こちらはサヨ様の料理法にて当家の料理長が腕を奮いました『フレンチトースト』でございます。どうぞ、ご賞味を」


 マルクスと甘い香りが場の空気を和ませる。

 隣で肩をすくめるフレイアルドも執事長の意図を正確に拾い上げたのだろう。口を閉ざした。


「まぁ、サヨ。貴女には料理の才もあるのね」


 嬉しそうな声をあげて早速カトラリーを動かしたのは母だ。

 一口頬張ったその顔が輝きに満ちるところなど、ラインリヒそっくりである。


「ーーんまぁ! なんて美味しいのでしょう!」

「む。どれ」


 アマーリエに釣られて、初めて見る料理に気圧されていた伯爵も口に運ぶ。アマーリエよりも大きな一口だ。


「ーーうむ。うむ、良い」


 どうやら、父の口にも合うらしい。むっすりしていた顔が緩んでいた。

 父と母の反応を見ている合間に大公とバルトリアスも食べ始めていた。

 ちなみに兄はもう完食している。


「其方の国の料理か? パフタを甘くするとは、贅沢極まりない」

「こちらでは甘くして食べたりしないのですか?」

「まずないな」


 よく考えたらジャムのような甘いソースも目にした記憶がない。

 きっと、ジャムを作るには大量の砂糖を使うからなのだろう。

 

(大公様はどうだろう)


 王族として甘味を食べ慣れている人はどう思うのかと視線を向ければ、そこには号泣する大公がいた。


「え……」


 口いっぱいにフレンチトーストを詰め込んで両目から滝のような涙を流す姿に、反射的にフレイアルドの袖を掴んだ。

 小夜と同じく大公のそんな姿を目にしたからだろう。流石のフレイアルドにも動揺が見える。

 気がつくと全員が手を止めてその光景を見ていた。


「……これ、僕のところの料理長にもレシピを教えてくれないかな。美味しいなぁ……」


 美味しい、おいしいと言って食べ進める大公にフレイアルドが声を掛ける。

 今日彼から大公に掛けた声のうち、最も優しい声音だった。

 

「フレンチトーストの他に数点サヨの料理法を纏めた本を出版します。よろしければ、出来上がり次第お届けしましょう」

「……他のレシピ?」


 それはなんだ、という期待の目がこちらに向く。


「サンドイッチと、ピザトースト、ホットドッグとハンバーガーです」


 本にするならばあともう少し種類を増やしたいところだが、それだけで大公はうっとりするような目をした。


「言い値で買うよ」

「お買い上げありがとうございます」


 フレイアルドはまるで遣り手の販売員だった。


「だから、おかわり」


 その後二回分のおかわりを大公が平らげてから、話は再開された。




 ***


「兄上達はまず、この子を王太子の正室にと言い出すだろう。だがこれは侯爵との婚約がある以上向こうは強く言えない。そうしたら次はあっちの派閥が所有する遺物を祝福しろって言い出すね。間違いなく」

「それで、わたしが頑張るのですね」


 譲る線引きというのはどこまでその要求を飲むか、というところだろう。

 バルトリアスも大公の意見に同調した。


「大叔父上の仰る通りだ。祝福の力自体が国益である以上、出し惜しみすれば非難の対象になる。ある程度こちらも譲る姿勢がなければ、奴らフレイアルドを消しにかかってもおかしくない」


 むしろその方が早い、と口にするバルトリアスが怖かった。


(こわい)


 意思も事情もお構いなしにこちらの大切なものを奪おうとするこの国が怖かった。

 手足が冷えて、腹の底から震えが走る。


 けれど元はと言えば自分が引き起こした災禍だ。

 震える腹に力を入れて声を出した。


「わたしがお引き受けすれば、おさまるのですね?」


 なるべく怯えを見せないよう意識してバルトリアスを見返せば、その群青色の目が細まる。

 

「そうだ。ある程度引き受ければ、諸侯も黙る。何しろ尻に火がついているのだからな。出来るか? サヨ」

「……はい」


 ここまでこの国が混乱したのは、自分の力のせいだ。

 出来ないという選択肢など初めからない。

 バルトリアスの目が、小夜の目から首元に光る遺物へと下がる。


「思ったとおり休眠中の遺物も問題なく祝福できるようだな。ならば先ずは国防と国政維持に必要で、かつ既に休眠した遺物を優先して引き受けるとしよう。それが一番角が立たん」

「休眠中の……」


 背筋に冷たい汗が流れた。


(あの気持ち悪いのを、たくさんするんだ)


 この首飾りを祝福した時のことを思い出して翳った小夜の顔を誰かが覗き込む。

 その誰かは、いつの間にか父と入れ替わって隣に座っていた母だった。


「母様……」

「サヨ、顔色が悪いわ」


 心配そうにサヨの額に手を当てて熱を測る母には言えない。


(誰にも、言っちゃいけない。黙ってなきゃ)


 休眠中の遺物を祝福する時のあの不快感も、これから訪れる日々への恐怖も。

 言えば庇われる。そして、小夜の代わりにまた誰かがツケを払う。

 そんなのはもうごめんだった。


「わたしなら大丈夫です、母様。遺物を祝福しても疲れたりするわけではありませんから」

「……そう? でも」


 母はまだ疑っている。その追及をかわすために、無理矢理大公へ体を向け、質問する。

 議題はまだ一つ残っていたはずだ。


「わたしの婚約と、祝福の譲歩、もう一つはなんでしょうか?」


 小夜につられるように、フレイアルドも伯爵一家も大公を見る。

 バルトリアスだけは目を瞑り腕を組んで黙していた。

 大公はぽりぽりと頰を掻き、目線を泳がせる。


「あぁ、うん、その……バルトなんだけど」

「殿下?」


 全員が身を乗り出して歯切れ悪い大公の言葉を待っていた。

 ちらりとそのルビーの目が隣の仏頂面を伺う。


「どうやって王宮に入れようかなーって……」


 大公に集まっていた五対の目がそのままバルトリアスへと向けられた。


「どうやって……」


 誰ともなしに呟かれたその言葉は、応接室の空気の中に溶けて消えていった。

 

 

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