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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
三章

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11.痘痕


 王宮にはいわゆる表と奥がある。


 表は簡単に言えば国王と王太子の執務室、謁見室をはじめとした政の中心部である。


 奥は国王の私的な領域だ。

 正室や側室がいればそこへ住まい、未成年の子がいれば自身の宮を持つまでそこで育つ。

 ゆえに現在は国王一人しか住んでいない。



 その表の一室、王太子の執務室には男が一人いた。

 王太子ではない。痘痕顔の男だ。

 その男は近衛がフェイルマー侯爵の屋敷から王宮へ逃げ帰ったと聞き、歯を剥き出しにして怒りを見せた。


「あのーー役立たず共がっ!!」


 叫べば傷に響いた。

 その傷は、先日男が女騎士につけられた傷だった。


(あの女、次会った時は必ず跪かせてやる……!!)


 痘痕の顔を憎々しげに歪めた男は、先日まで生死の境を彷徨っていた。

 女騎士につけられた傷が思いの外深く、血を失いすぎたのである。


 王太子が父王陛下に頼み込み男爵家の遺物を召し上げてくれなければ死んでいたかもしれない。

 昏睡していた時も起きた後も脳裏にこびりついて離れないのは、憎らしい女騎士の形貌だ。


 思い返すだに腹立たしい。

 男には、己の剣の腕は決して悪くないという自負があった。

 自分に比肩する剣の達人は何人この国にいるだろうか、とすら思っている。

 その己が部下二人を加えた状態にも関わらず手傷を負わされ、目標の娘どころか女騎士一人捕えることができなかったのである。

 

 屈辱だった。


 調べ上げたところ、女騎士はシェルカという名で、今はザルトラ伯爵家に仕えているらしい。

 あの時その背に隠していた娘が何者か。それは分かっていないが、恐らくはザルトラ伯爵の縁者だろう。


(娘でないのは確かだ)


 伯爵夫妻に娘がいないことは確認済みだ。

 あの日、主人である王太子は処刑から帰城してすぐ、王宮に保管してある伯爵家の家系図の写しを確認した。それで本当に娘はいないと分かったのである。


 アセファラの遺物である各家の家系図は、常にその最新の状態を王宮で閲覧することができるようになっている。

 閲覧できるのは王族と、王宮で重要な役職を得ている高位貴族のみ。

 それゆえに滅多に確認するものではないが、()()()()()()()()()()

 

 男はちらりと見えた娘の姿を思い出す。

 腰まで流れる珍しい漆黒の髪は絹糸のように真っ直ぐ。

 怯えた双眸は、これまた珍しい榛色。

 歳は十四か十五というところだろう。

 身体付きは子供の域を出ていなかったが、主人の食指は充分に動きそうだった。


 だが、ザルトラに連なる貴族の家をいくら調べてもそのような色合いの娘は出て来ない。

 もしかすると、貴族ではないのかもしれない。


 その足取りはあの日以来途切れていた。

 だが、あの娘のいるところにはあの女騎士もいる。

 何故だか男はそんな気がしていたのである。


(必ずだ。必ずや見つけてくれる)


 男は主人である王太子にも評価を受けるほどの執念深さをもって、まずザルトラ家を調べ上げた。


 ザルトラ伯爵はシリューシャとエブンバッハが触れ合う国境沿いの地を治める歴戦の将だ。

 

 猛将、名将として知られる男は同時に、バルトリアス王子の武芸の師でもある。

 ザルトラ家自体は中立派の立場を取っているが、実情は間違いなくバルトリアス派だろう。

 つまりあの仕立て屋で王太子に嘘を吐いていたとしてもおかしくない。


(あの奥方が産んだにしては歳が合わない気がするが)


 側室ももたず、奥方との間に四人も子を成した男がまさか庶子を押し付けるとは思えなかったが、現実とは得てして人が思う通りには進まないものだ。


 その伯爵の四人の息子のうち、一人は男でも聞いたことのある名だった。

 四男ラインリヒ。

 貴族院医師科を首席で卒業している。

 王宮に勤めるわけでも、どこかの家に雇われるわけでもない。貴重な遺物を無償で庶民の治療に使ってしまう変わり者の医師との噂だ。


 この男の名を覚えていた理由は一つ。

 あのフェイルマー侯爵と親交が深い数少ない人間という点だ。


(忌々しい者同士はやはり、近しいことが多い)


 ザルトラ家とフェイルマー家の繋がりはその一点であるように思われた。

 だからこそ何か手掛かりが見つかるのではと、今回の近衛には期待していたのだったが、結果は無残なものだ。

 


 男は今一度、ザルトラ伯爵家の家系図を確認しようと王太子の執務室を出た。


 昼間は姦しい王宮だが、陽が落ちるとその口をすっかり閉ざしたかのように静まり返る。

 男の靴音も足元の絨毯に吸い込まれて響くことはない。


 男が進んで行く短い回廊と入り組んだ階段は、この王宮を守る仕組みの一つだ。

 外敵から襲われた時に高貴な人間を逃すため、初見では何処へどう繋がるのかすら分からない造りになっている。


 立体の迷路でもある王宮の回廊の途中で、男は舌打ちした。

 面倒な女がいたのである。


「ご側室様が日も暮れてから出歩くのは感心しませんよ。アドリエーヌ様」


 王太子の前以外では、常に人や物に当たり散らす灰青色の髪をした側室が行手を阻むように立っていた。

 これまでに痘痕の男がこの側室に打擲(ちょうちゃく)されたのも、一度や二度ではきかない。

 アドリエーヌと呼ばれた女は、白粉(おしろい)を絶やすことのない顔を歪ませた。


「お前のせいよ。イェラカン」


 女は憎々しげに痘痕の男ーーイェラカンを睨む。


「あの日は私の誕生祝いだったのに、お前が殿下に余計なことを申し上げるからよ! それ以来、殿下が私のところへ来て下さらないのも、お前のせいよ!」


 アドリエーヌは喚いているが、そんなのイェラカンの知ったことではない。

 主人と側室の間を取り持つのは己の仕事ではないからだ。


(側室は側室らしく、夫が来るのを部屋で待っていろ)


 さっさと追い返さねば時間がない。

 だがその手段が悩みどころだった。

 この女は、女の父親である公爵が王太子の元へ差し出した正室筆頭候補だ。

 ある程度は機嫌を取っておいた方がいい。


 イェラカンの主人である王太子は、昔から男児を産んだ者を正室にすると公言している。

 この女は後は男児さえ産めれば正室になれるからと、あの手この手で王太子を惹きつけておこうと策を弄してきた。


 その度に周りが迷惑を被ることも多々あり、イェラカンでなくとも王太子の側近は辟易している。

 先日の処刑騒動などその最たるものである。


「お前が殿下を惑わせなければ、今頃は私のところへ来てくださっていたはずよ!?」


 イェラカンはとうとう心にもない言葉を言わなければならなかった。


「殿下は少々お疲れなだけです。よろしければ、殿下のお好きな御酒をアドリエーヌ様のお部屋へお届けします。その後はアドリエーヌ様が癒して差し上げればきっと、上手くいくでしょう」


 いま主人は新たな獲物の姿を捉えるのに夢中で、お前のことなんて眼中にない。そう言ってやりたい気持ちをぐっと堪えた。

 単純な女は、それでやっと癇癪(かんしゃく)(おさま)ったらしい。


「あらそう。では、必ず届けるのよ」

「勿論でございます。こうしている間にもお渡りがあるかも分からないのですから、お早くお戻り下さい」


 成果と指針を得られて満足したのだろう。やっと帰って行った女の背を見送り、男は廊下に唾を吐いた。

 腹立たしいことに、時間を取られすぎた。

 これから向かったとしても家系図の写しを閲覧できるような高位貴族はもう残っていないだろう。


(……待てよ。アドリエーヌの父親ならば)


 国王派の重鎮である公爵ならば、閲覧する権限を持っているかも知れない。

 何しろ、主人である王太子がその眼で一度確認した家系図を臣下の己が再度見るには、王太子以外の手を借りねばならないのだから。

 それが世渡りというものである。



 イェラカンはまずアドリエーヌの機嫌を取るために、今夜は王太子の背を押す必要がありそうだった。

 

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