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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
三章

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10.甘味


 フレンチトースト()とても上手くいった。


 小夜にとっての懐かしい味は、兄には雷で打たれるほどの衝撃だったらしい。


「うっま……なんだコレ、美味(うま)……」


 ラインリヒは目を輝かせ、勢いよく皿を空にしていく。

 もう三度おかわりをしていた。

 



 近衛の来訪騒ぎの後、料理長から準備ができた、と連絡を受けた小夜達は食堂へと場所を移した。

 朝も両親と使ったはずなのに、食卓を囲む相手が変わるだけで、随分違って見える。


 すでに食堂で待っていた料理長は、小夜を見るなり跪きそうな勢いで迫ってきた。

 マルクスとそう変わらない二の腕を持つ彼は満面の笑顔だ。


「サヨ様!! この度も素晴らしい料理法(レシピ)でございました!! ささ、どうかご確認をお願い致します」


 目の前に並ぶ料理長のフレンチトーストは、見た目だけなら向こうのものを忠実に再現できている。


 小夜は小さく切って一口分を運んだ。

 じゅわりとした甘味が、口に広がる。噛む必要がないほど柔らかく、それはとろけていく。


 再現どころではなく、自分が口にしたフレンチトーストの中でもかなり美味しいものだった。


 軽く口を拭いて、料理長に向かって笑顔で振り返った。


「あの、想像以上に美味しくなってると思います。やっぱり、料理長の腕前は、とても素晴らしいです。急なお願いだったのに、ありがとうございました」

「こ……光栄の至りに存じます」


 目元を真っ赤にして涙ぐんだ料理長は、地面から体が浮き上がりそうな勢いで帰っていった。

 

(わたしなら、読んだだけじゃ再現できない。ううん、レシピは書けても作れないかも)


 提案した付け合わせの果物や蜂蜜も聞き入れられたようで、最初は何もつけず食べた兄は次のおかわりで全て制覇するようだ。

 朝から何も食べていなかったというラインリヒが満足してくれたこと自体は、とても嬉しい。


 フレンチトーストは成功した。それはいい。

 問題は別にある。


「……これはまた、サンドイッチとは違う趣向ですね。サヨの国の料理は、本当に面白い」


 優雅に咀嚼するフレイアルドは、ラインリヒを挟んで円卓の正面に掛けていた。

 平然とそう言って、こちらもおかわりを所望している。

 これが今朝までなら、食にさして興味を持たないフレイアルドがおかわりをしたことを、小夜は子供のように喜んだだろう。


 勿論今も嬉しく思っている。

 けれど心の大半を占める気持ちは、喜び以外だった。


(せっかくこんなに美味しいのに……集中できない)


 小夜にとんでもないことをして出て行ったフレイアルドは、あっさりと何でもない顔で戻ってきた。

 それからまともに顔を合わせることが出来ないでいる。

 ここへ来るまでの廊下も兄の影に隠れてやり過ごすくらいだ。


「お、お口に合って、良かった、です……」


 俯いたままそう言うのが精一杯だった。

 

 食堂には三人が手にしているカトラリーが皿に触れる音と、マルクス達が給仕する物音しかしない。

 早いところ自室に戻りたい。


「サヨの国には他にも色んな飯があるんだろうな……くそっ、オレも揺り椅子で向こうに行きたい……」

「馬鹿言うな。サヨ以外があれで移動できるならとうに私が使っている」


 胸中に嵐が吹き荒れている小夜と比べて、二人はのん気なものだ。


 こうしてのんびり昼食を取ってはいるが、先ほどこの屋敷を近衛が訪ねてきたことといい、バルトリアスが避難していることといい、小夜達の状況は芳しくない。


 フレイアルドが小夜にした言動も頭から離れないが、そちらの方が余程差し迫っていた。


 警察、というものがいないこの国では近衛がそれに最も近しいだろう。

 先程の出来事も日本の警察に置き換えれば家宅捜索を追い返したようなものだ。いくら小夜でも悠長にしていられる状況ではないことくらい、分かる。

 それでも彼等に慌てる素振りは見えなかった。


「あの」


 小夜が声を発すれば「もう一回おかわり」だの「いい加減にしておけ」だの言い合っていた二人がこちらに意識を向ける。


 とっくの前に動かなくなっていたカトラリーを皿の淵に置き、小夜は俯いたまま、こわごわと訊ねた。


「あの……これから、どうなりますか? 殿下や、わたしに遺物を使わせてくれた他の貴族の方は、大丈夫なのでしょうか? また近衛がきたら」


 こちらの事情をまだよく知らない小夜は、これからどうなってしまうのかが想像出来ない。

 ただおそろしいことが起きている。

 小夜が父に殴られてきた事とは比べ物にならないほどの。


 フレイアルドがカトラリーを置いた。

 小夜を落ち着かせようとしている声音は、まるで静かな森のようだ。


「殿下は何某(なにがし)かの方法で今後のご指示を下さるはずです。私はそれを待っています。近衛は何度来ても追い払いますから、この屋敷から出ぬ限り貴女に害なすことはありません」

「……わたし、自分のことは、別にいいんです」


 皆が小夜を守ろうとしている。

 けれど小夜が守りたいのは自分自身ではない。

 それがなかなか伝わらなくて、もどかしかった。


「わたしは、わたしの安全よりもーー優しくしてくれた人が、幸せな方がいいです」


 フレイアルドだけではない。

 バルトリアスも、ラインリヒも、両親も。

 この屋敷に仕える人みんなも、そこには含まれている。


「フレイアルド様。教えて下さい。わたしは、これからどうしたらいいですか? 何をすれば、ザルトラ家や侯爵家を国王陛下から守れますか?」


 (うつむ)けていた顔を上げ、ずっと合わせられなかった視線をフレイアルドへ向ければ、彼は柔らかく微笑んでいる。

 微笑まれる理由が見当たらなくて、小夜は首を傾げそうになった。


「ザルトラ伯が聞けば、お喜びになったでしょうね」


 そう言うとフレイアルドは、席を立った。

 食事が終わったらしい。


「何かしたいという貴女の気持ちは、得難いものです。けれど今は耐えて待つ時です。数日のうちには方針も定まるでしょう。その時きちんと動けるように準備しておくことこそ、今出来ることです」


 その泰然とした構えは、彼の執務風景を唐突に思い出させた。

 たくさん策を練って、実行して、領地を守るフレイアルド。

 その人が今は耐えて待て、と言っている。


 ならばそれが正しいのだろう。


「はいーー分かりました」


 小夜はフレイアルドに向かって、頷いた。

 円卓の向こう側から笑顔を返される。


「しいて言うなら、他の料理も思い出したら料理法(レシピ)を書き起こして下さると嬉しいです。殿下が次来た時にでも振る舞って差し上げられるように」

「レシピを……」


 バルトリアスがどんな状況か不明だが、美味しい食事で(ねぎら)われると嬉しいのは異世界共通事項なのだろう。

 小夜はまた、強く頷いた。




 ***


 フレイアルドは「マーサに言っておくので午後は休むように」と言い残して、先に食堂を出て行った。


 その言葉に、ほっとしたような、どこか残念なような気持ちになった。

 

 意識を切り替えようと食卓に視線を戻せば、そこにはまだ大量のフレンチトーストが残っている。

 ラインリヒも小夜もすでに満腹だ。


 小夜は給仕のために残ってくれていたマルクスへそっと伺う。


「マルクスさん、このフレンチトーストを他の方にも食べてもらうことは出来ますか?」

「他の方、と申しますと……使用人でございますか?」


 その通りだった。

 フレンチトーストならば、多少は冷めても美味しく食べられるだろうし、何よりもったいない。

 毎回綺麗な食器で取り分けて貰っていたから、食べ残しではあるが綺麗に残っているし、不衛生でもないだろう。

 

 そう思っただけだったのだがマルクスは驚いた顔でこちらを見ている。

 小夜は慌てた。


「あの、やっぱり不快に思われるでしょうか」

 

 どんなに綺麗とは言えやはりそこは食べ残しだ。

 お下がりを与えるようなやり方は傲慢だったろうか。

 そんな小夜の気持ちを見透かしたように、マルクスは瞬時に否定した。


「いえ、そのようなことは。サヨ様もお気付きの通り、フレンチトーストに使用した砂糖は高価なものでございます。主家の方々が召し上がるからこそ、ふんだんに使えたと言えましょう。それを、我々使用人にも与えて下さることに驚いただけです」


 日頃、動揺したり慌てたり、良い意味であまり表情を動かさないマルクスが微笑んだ。


「私の存じ上げる貴族のご令嬢ならば、砂糖を使った料理を使用人に分け与えることなど、まずありません」

「こんなにたくさんあってもですか?」

「ええ。例え手付かずでも、使用人に自らと同じ食事をさせるくらいならば、捨てることを選ぶでしょう」

「だろうなぁ」


 兄に視線を向けたら、強く頷いて同意していた。

 

「貴族のご令嬢ってのは、たいていが自尊心の塊だからな。ーーオレの大っ嫌いな女なんて、女神の加護がない庶民の使用人は家畜と一緒とまで言いやがったからな。ま、それは極端だとしても、サヨみたいなのは珍しいよ」


 ラインリヒのいう貴族のご令嬢の像を小夜はリリエスとアルルナで想像してしまった。

 だが死んだ二人を良くない想像に使ってしまったことを一瞬で恥じ入った。

 想像を振り払うように頭を振れば、小夜の急な行動に二人が驚いている。


「あ、ご、ごめんなさい。何でもないです。……それじゃあ、皆さんに食べて貰うのは問題ないですか?」

「はい。もちろんでございます」


 マルクスはその場で若い侍従に、フレンチトーストと余った付け合わせを下げ使用人全員で分けるよう指示した。

 若い侍従は顔を綻ばせると、ほくほく顔で下げていく。


 それを見て、これからも新しいレシピを書いたら、なるべく皆で試食できるようフレイアルドに頼もう。小夜はそう思った。

 

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