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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
三章

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05.凶悪

 

 フレイアルドもラインリヒも黙り込んでしまった執務室の空気は、どれだけ窓から暖かい陽射しが入り込んでも冷たいままだった。


「……マルクス。殿下からお預かりしていたあれを」


 小夜を膝に乗せた体勢で命じるフレイアルドの表情は硬い。

 今朝まで、いや昨日まではみな笑えていたのに、どうしてこうなってしまうのだろう。


 兄が語った話は見えない刃となってこの胸に突き刺さっている。

 自分の祝福のせいで、罪なき人が拷問されてしまった。

 そしてバルトリアスも逃げなければならなくなった。


(……まるで、疫病神みたい。わたし)


 いるだけで人に迷惑を掛けている自分の存在が本当に嫌になる。

 あちらで弟にしていたことと、何も変わらないじゃないか、と。

 胸を激しい痛みが何度も襲ってくる。気を抜けば涙が出そうだった。


(ーー泣くな)

 

 ここには兄もフレイアルドもいる。泣けばきっと、彼等は慰めてくれるだろう。小夜のせいじゃない、と言ってくれるだろう。


 でも元凶の自分がそんな甘やかされて良いはずがない。


(泣きたいのは男爵と、そのご家族なんだから)


 血の味がしてくるほど唇を噛み締めていると、何かを取りに部屋の外へ出ていたマルクスが戻ってくる。

 その手にあるものを見て、小夜はあっと声を上げた。


 それは先日、バルトリアスが持ってきた首飾りだった。


 美しい絹張りの台座に載せられた首飾りは、再び小夜の目の前に置かれる。


「ーー出来ることなら、これを身につけて欲しくはなかったのですが」


 フレイアルドが渋々といった表情で手に取る。

 青い宝石の首飾りは、確か休眠中の遺物だったはずだ。


「殿下より非常時には貴女に使わせよとお預かりしていた、ゲムミフェラの最上位品です」


 ゲムミフェラ。

 その女神の名前に、小夜はマーサから借りた絵本の記述を思い出した。


「《護持(ごじ)貞淑(ていしゅく)の女神》ーー?」

「よく勉強していますね。ラインリヒ、マルクス。後ろを向いていろ」


 勉強の成果を褒めたあと二人に鋭い声で命じたフレイアルドは、小夜を膝から下ろした。

 途端、兄が焦ったような声を出す。


「お、おま、お前、まさかサヨにーー」

「うるさい。首飾りを着けるだけだ。後ろを向かないなら、外へ出ていろ」


 外へ出るか。後ろを向くか。

 その二択を迫られた兄は、ぶつぶつ言いながら後ろを向いた。

 

「サヨ! なんかされたら、声を上げろよ!」

「はい……?」


 そうこうしている間にも、小夜の背後に座るフレイアルドの手は丁寧に長い黒髪を纏めて除けていく。首飾りを着けるためだろう。


 思えばこの世界に来てから髪を結いあげたり纏めたりしたことはない。

 理由を尋ねることすらしなかったが、何となく周りを見ると若い女性は髪を下ろしているのでそういう慣習なのだと思っていた。


 うなじをみんな晒すと、フレイアルドの雰囲気が強張った気がした。

 小夜には見えない位置から、彼の声がする。


「……首飾りを着けますが、以前他の遺物を試した時のように何かしらの違和感があるかもしれません。その時は教えて下さい」


 こくり、と頷けば冷たい金属の感触を鎖骨に感じた。

 植物の蔦を模した鎖が、肌に吸い付くように小夜の首に寄り添う。

 見た目ほど重くはないーーそう思った瞬間だった。


(……な……なに? これ……)


 その異変は唐突に現れた。

 まるで首飾り自身が、触れている肌の下を無遠慮に掻き混ぜ、引きずり出していくような。

 皮膚の下を温度のない生き物が這い回るようで、ただただ気持ち悪い。


「……っ、ん……」

「サヨ?」


 しかしフレイアルドが異変に気づいて首飾りを外そうとした時には、もうその感覚は引き潮のように遠ざかっていた。

 呼吸することを思い出して、思い切り吸った。

 気持ち悪さに耐える間息を止めていたので、酸素を補充出来た脳が喜んでいる。


「だ、大丈夫です。ちょっと、変だっただけで、もう終わりました……」


 無理矢理笑顔をつくって振り向けば、フレイアルドは眉間に皺を寄せていた。

 何かを言おうと開かれた彼の唇が、真一文字に結ばれる。

 

「このくらい、何ともありません。ほんとに大丈夫なんです」


 へらりと笑ってみせると、彼は睫毛を伏せるように視線を落とし、小夜へと手を伸ばした。

 鎖骨の下辺りに届いたその手が宝石を撫でていく。それはほんの一瞬のこと。


「……起動しました。これで、貴女に許可なく触れる者には、死よりも辛い痛みが与えられるでしょう」

「は、はい?」

「試した方がいいですか?」


 フレイアルドは至極真面目な顔で言ってくる。

 小夜の頭を彼の言葉が駆け抜けた。


 試すーー死よりも、辛い痛みを?

 その意味に気付いた小夜は千切れんばかりに首を振った。

 

「試しません!!」

「だそうだ、ラインリヒ」

「オレかよ!?」


 ほんの僅か空気を緩ませたそのやり取りに、小夜はそっと息を吐いた。


 ***


「冗談はさておいて……貴女がいま着けている首飾りは《騎士(きし)千眼(せんげん)》という銘が与えられるほど凶悪な遺物です。指先が触れただけでも効果は出ますので、気をつけて下さいね」

「凶悪……?」


 つまり今の自分は誰彼構わず、触れた瞬間痛い思いをさせてしまうのか。

 それは一体どんな罠だ。

 頭の天辺から血の気が引いていく気がした。


「あの、これっていつまで……」


 日常生活に大いに支障が出そうな危険物をいつまで着けておくのか。

 長くて二、三日だろうという小夜の予想は残念ながら外れることとなる。


「少なくとも、殿下が拘束される恐れがなくならないことには、許可できません。私が外すことを指示するまで常時着けていて下さい」

「常時……」

「就寝時も入浴時もですからね」


(あとで、マーサとフロルに注意しておかなきゃ)


 ごくりと唾を飲み込んだ小夜と同じ顔をしているのは兄だ。

 ともすれば、小夜よりも引いているかもしれない。


「なぁ、死よりも辛い痛みってどのくらいだ?」


 それは小夜も気になる。

 だが試すなんてことはできない。

 フレイアルドは少し考えてーーまるで今朝の朝食の内容の如く、淡々と語った。


「ゲムミフェラのすることだからな……軽くても、太目の縫い針で全身を一斉に刺すくらいには痛いだろう」

「ひえっ……」


 美しい見た目に反して随分と凶悪な仕様である。

 小夜は自分の首に触れている金属の塊が急に怖くなった。

 兄で試さなくて良かった。真剣に。


「お前、それをオレで試すとか冗談でも言うなよ……」

「それは悪かったな」


 全く悪びれていないフレイアルドに、兄はげんなりしていた。

 ふと、隣に座るフレイアルドが、小夜に向かって手を伸ばす。

 ぎょっと目を剥き上体を反らしても間に合わない。


「ま、待って下さーー」


 発動するーーそう思って小夜は強く目を閉じた。

 だが、指は何の抵抗もなくするりと小夜の頬を撫で上げた。


(あ、あれ?)


 目を瞬かせていれば、くすっと笑う声が耳朶に届いた。


「大丈夫です。貴女が嫌だと思ったら発動します。マーサやフロルが触れても問題はありませんよ」


 証拠のようにフレイアルドの親指は、まだ小夜の頬を撫でている。


(毎回許しますって言わなくても、いいんだ)


 思ってもいなかった便利機能に、小夜はほっとして肩の力が抜ける。

 ずっと気を張っておく必要はないみたいだ。


「じゃあフレイアルド様は、いつでも大丈夫ですね」


 良かったーーと自然と顔が緩んだが、それは自分だけだった。


 フレイアルドもラインリヒも、そしてマルクスも。

 小夜を除く全員、硬直していた。


 この空気には嫌というほど覚えがある。


 それはフレイアルドに朝ごはんを一緒に食べたい、と言った時と全く同じ空気だった。


(あ、あれ? なんで?)

 

 戸惑う小夜の頬から、それまで静止していたフレイアルドの指が名残惜しげに離れていく。

 小夜側へと傾いていたフレイアルドの上体も、既に正面を向くように直っていた。


 誰も何も言い出せない空気の中、執務室に響く一つの長い長い溜め息。

 その出所は兄だった。


「……お前、なんでこれ我慢できるの?」

「……」

 

 心底疲れたように肩を落とす兄。

 その兄に問われても、フレイアルドは無言で腕を組み目を閉じ続けていた。

 

 午後の一の鐘が、いつもよりも大きく聞こえた。


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