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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
三章

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04.不祥


「休憩中だったんだろ。悪いな」


 帰宅した兄はいつもの陽気さが翳り、どこか塞いでいた。

 フレイアルドはラインリヒを一目見るなり険しい表情をつくる。

 それまでの甘い空気はかなぐり捨てていた。


「……何があった?」


 二人と向かい合って長椅子に腰を下ろした兄は答えず、ぐしゃりと髪を掻き上げた。

 前屈みになっていてその表情はわからない。

 マルクスが淹れてくれたお茶には見向きもしなかった。


「兄様、本当にどうしたんですか?」


 小夜の問いかけにやっと顔を上げたラインリヒの目には、涙の膜が張っていた。

 

「……助けられなかった」


 息を呑んだ。

 医者である兄が助けられなかったということはまさかーー。

 小夜は立ち上がり卓の向こう側へ移動する。

 兄のすぐ側で、汚れるのも構わず床に腰を下ろした。


(いつも明るい兄様がこんな)


 こんなに憔悴しているところは、見たことがない。


 膝の上で力無く組まれた兄の手を取る。

 いつも温かいその手は、今は氷のように冷たくなっていた。

 少しでも温めようと両手で包む。


「どなたか、亡くなられたのですか……?」


 張り詰めていた息を吐き出す音がした。

 ラインリヒは悔しむように小夜の手の中で拳を握り締める。静かに首を振った。


「……いや、命は助かった。でももう、これまでみたいな生活は出来ない体になっちまった」

「兄様のお知り合いですか?」

「ああ。……サフォルナ男爵って人だよ」


 小夜の記憶にはない名前だったが、フレイアルドやマルクスは顔色を変える。


 名を言ったあと、兄は堰を切ったように話し出した。

 その顔は悲痛と義憤とに満ちていた。


「……サヨの治療に、遺物を貸してくれた人なんだ。すごく、いい奴なんだ。エラが死んだ時もーー泣いてくれて、一緒に、怒ってくれた……なんで、なんであの人が、こんな目に遭うんだ……!」

「にいさま……!」


 ラインリヒは涙とともに怒りを噴き出していく。

 こんなにも感情を爆発させている兄を見るのは初めてだった。

 

「許さない……許せない……! オレは絶対、国王を、許さない……!!」

「っ……」


 血の滲むような叫びに、小夜の体が勝手に動いた。頭を抱えて泣く兄を抱き締める。


「兄様は、きっと出来る限りのことをされたはずです。だから……」


 小夜がそう言った途端。


 一際強く泣き出した兄は、小夜を掻き抱いた。

 そしてそのまま、小夜の肩に顔を埋め、聞いている方が泣きたくなるような嗚咽を漏らす。

 

(ごめんなさい)


 寄り添う以外何も出来ない無力さが歯痒い。

 今の自分には、兄の背を撫でることしかできない。

 せめて少しでも兄の痛みが和らぐようにと、祈るのだった。


 ***


 小夜に慰められている友人を眺めながら、フレイアルドは衝撃を隠せないでいた。


(馬鹿な。そんな情報は少しも入ってきていない)


 友人の言葉を掻き集め得た結果に、フレイアルドは頭を素早く回転させる。

 男爵は小夜の治療に遺物を貸してくれた。確かにラインリヒはそう言った。


 遺物について、バルトリアスは大公と一部の貴族以外、借り受けた相手の名を自分にも漏らさなかった。

 それは彼らの安全の為でもあったはずだ。


 明らかに有名な遺物に関しては出所を言われなくとも分かっていたが、男爵はその中には入らない。

 フレイアルドが知らなかったことから、男爵は遺物を秘宝として大切にしていたのだろう。


(サヨの治療に使った遺物は、全て祝福に満ちた状態で返した。男爵はその一人だったか)


 王宮に伺候せずとも侯爵である自分の元にはある程度情報が流れてくる。

 しかしサフォルナ男爵が捕らわれたなどという重要すぎる情報が入って来なかったことに、背を汗が伝う。

 何か、この短期間で異常事態が起きているとしか考えられなかった。

 

 恐らくはその予期せぬ事態の最中、男爵は国王に、手元の遺物が祝福された状態であることを知られてしまったのだろう。


 口の中が異様に渇いていた。


「ラインリヒ、男爵はーー尋問、いや、拷問されたのか?」


 自身の言葉で小夜がひゅっと喉を鳴らしたのが分かる。


「拷問……?」


 兄としてか医者としてか。

 小夜の変化を感じ取ったラインリヒは、瞬時に怒りの淵から戻ってきた。

 険しく歪んだ目元は真っ赤になってフレイアルドを睨みつけている。


「ーーおい、サヨの前でそれは」


 フレイアルドとて小夜に聞かせていいものか分からない話だ。

 だが小夜は首を振る。


「構いませんーーわたしのことは、気にせず話して下さい。む、無理だと思ったら、出ていきますから」


 その瞳が覚悟を決めているのを感じ取り、フレイアルドも腹を決めた。


 小夜の言葉にラインリヒは一度眉根を寄せ、両目を強く閉じる。もう涙は止まっていた。

 次に開かれたとき、その目は爛々と、だが静かに燃えていた。


「ーーその通りだよ。男爵は拷問された。それもただの拷問じゃない。……オレラセアの遺物をいくら使っても、無駄だった」

「なぜ拷問を受けたのか分かるか」


 部屋の中が一瞬、沈黙で満たされる。

 ラインリヒは言い淀んでいる。それが何よりの答えだった。


 こちら側にとって、喜ばしくない展開である。


「……祝福だな?」


 口にしなくて済むならばそうした。

 だがフレイアルド達は、正確な情報がなければこの後身動きがとれなくなる。


「まさか、わたしの……祝福……?」


 予想通り顔を蒼白にした小夜を、フレイアルドはラインリヒの腕から取り上げた。

 持ち上げた軽い体を膝の上に乗せ、その様子を窺う。

 

 唇が震えていた。


「サヨ、大丈夫ですか」


 フレイアルドは小夜が泣き出し、恐慌に陥ると思っていた。

 けれど想像に反して少女はその唇を噛み締めて耐えようとする。

 驚きに目をみはった。


「……構わないでください。わたしに、構わず続けてください……」


 体を震わせても涙を必死に堪える姿に、フレイアルドは胸を鷲掴みにされた。

 この二ヶ月で起こった事件は、確実に小夜の内面に影響を齎しているらしい。


 以前の小夜ならばすぐに泣いていた。


「無理だと思ったら、耳を塞いでいて下さい」

 

 小夜が青い顔でこくりと頷き返すのを確認してからフレイアルドは再びラインリヒに向き合う。

 

「殿下はどうされている?」


 国王が男爵を拷問し、何を聞き出したかはフレイアルド達には分からない。

 だがもし男爵が小夜やバルトリアスに繋がる情報を漏らさずにいられたのなら、バルトリアスはここに来ているだろう。


 いないということが何よりの証左となる。


「大公邸だ。……男爵は、遺物を祝福で満たす方法までは知らなかったらしい。けど、バルトリアス殿下が知っていて隠しているという事は、分かってたみたいだ。夜明け前に国王が殿下を拘束しようとしたってことは、多分そうだろ」


 フレイアルドは舌打ちしたい気分だった。


(老害め。とっとと引退するなり、くたばるなりすれば良いものを)


 もちろんその時はあの王太子を道連れに。

 口には出さなかったが、心からの願いである。


「オレは男爵家の馬車でここへ帰してもらったけど、殿下はそのまま大公邸へ向かわれた。しばらくは避難される」

「それしかないだろうな」


 ひとまずは無事であったことに安堵する。

 

 バルトリアスはフレイアルドにとっても、小夜にとっても防波堤だ。

 彼が国王側に拘束されれば情勢は一気に不利に傾く。

 それが分かっているからこそ、バルトリアスは大公のもとへ逃げ込んだのだろう。

 英断と言えた。


「大公様のところならば、殿下は安全ですか?」


 不安そうな小夜は、まだこの国の権力闘争の構図を知らない。

 アマーリエの授業でいずれ教える予定があったとしても、かなり先のことだろうと思われる。


「大公閣下は現状、国王派に比肩する派閥の頂点です。そして大公という身分となられてもいまだ王位継承権をお持ちである。ーーゆえに、国王が唯一その強権を振えない相手となります。大公閣下のもとにいる限り、殿下が危害を加えられることはありませんよ」


 小夜はそれを聞いてほっとしたらしい。


 有事とは言え、自分以外の男を心配したり、その無事を安堵する娘に醜い感情がわいてしまう。

 手が勝手に動き、膝に乗せた少女を胸に引き寄せた。


「フレイアルドさま?」

「ーー殿下のことは、心配ありません。心配なのは、貴女ですよ」


 きょとんとした小夜は分かっていないらしい。ラインリヒが大きく頷く。


「そうだな。国王はこれから血眼になって祝福の原因を探すに決まってる。まさかこんな女の子が祝福しているなんて思わないだろうけど……」


 ラインリヒの言うとおりだった。

 バルトリアスを詮議できない国王はまず、その周囲を調べ尽くすだろう。


 特に最近出入りが増えていた侯爵邸は必ず調査の対象となる。

 今日、明日に近衛が踏み込んできてもおかしくはない。


 無論、以前のように簡単には侵入できないが。


「しばらくは庭にも出ない方がいいでしょう。自室か、私のいる場所にいてください。兵も増やします」


 小夜はこういう時、聞き分けがいい。

 誰にも迷惑をかけないように、といつも気を張っている。

 この時もさしたる抵抗を見せなかった。


「わかりました。そうします」

「……すみません」


 そんな小夜の行動を更に制限することに、フレイアルドは罪悪感を覚えるのだった。



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