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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
三章

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01.召集


 小夜が運河で溺れた翌々日の深夜。


 その晩は雲が厚く、月も星も地上に光をもたらさなかった。

 密談をするには好都合の夜だ。


 侯爵邸の離れ、その揺り椅子の部屋でフレイアルドは一人、その時を待っていた。


 マルクスに用意させた卓の上には四人分の酒肴。

 フレイアルドの手元には、件の密閉された容器がある。

 中身は言わずもがなだった。


 フレイアルドが待ち始めてからそう時をおかずして、マルクスに案内される形で三人の男が現れる。


 風体(ふうてい)も年齢もバラバラな男達だ。

 席を立って彼等を迎え入れるフレイアルドの顔は、苦いものを含んでいる。


「夜分に済まないな」

「閣下のお呼びとあらば、我等いつでも馳せ参じますとも」


 そう調子よく言ったのは、三人の中で最も体格良く、日に焼けた肌をした男。

 小麦色の髪を短く刈り上げている。

 白いシャツに分厚い布で出来た丈夫そうな脚衣(ズボン)を履いていた。

 ところどころ汚れ、擦り切れた脚衣(ズボン)は男の仕事着なのだろう。


 小麦色の髪をした男に賛同しているのか、残りの二人も頷いている。

 そして慣れたように、緊張することなく席へついた。

 そのうちの一人へとフレイアルドは話しかける。


「そちらの者には今回世話になった。礼を言わせてくれ」


 相手はきっちりとした詰め襟の黒い服を身に纏う老紳士だ。

 白髪混じりの黒髪を几帳面に撫でつけた老紳士は、滅相もございません、と畏まった。


「閣下には、我らまだまだご恩がございます。この程度のことでは、到底返しきれませぬ」

「だが、本当に助かった。あの時彼がいなければ取り返しのつかないことになっていた。彼にこれを」


 フレイアルドは小さな包みを老紳士へ手渡す。

 老紳士は恭しく受け取ると、それを胸元へしまった。


「確かにお預かりいたしました」


 そして全員が酒肴に手をつけ始める。

 一杯目を飲み干したところで、フレイアルドは本題へと移った。


「これを見てほしい」


 それは、密閉された容器に入った印刷物だ。

 三人は食い入るように見つめる。


「閣下、これは?」

「先日北東大広場で処刑があったことはみな承知のことだと思う。これは民衆を煽動し、処刑場へ集めるために配られたものだ。念の為聞くが、運送組合に依頼は?」


 小麦色の髪の男は丸太のような腕を組み、首を振った。


「ありませんな。しかしまぁ、物騒なもんを配りますなぁ」

「とは言えこれだけで、人が集まりますか?」


 やってきた三人の男のうち、疑念を口にした最後の一人は、とりわけ影が薄い。

 中肉中背、髪も目もごくありふれた茶色だ。

 目は細く唇も薄い。

 彼が群衆に溶け込んだら例え知り合いでも見つけるのは容易ではないだろう。


 ごく一般的な下町の中流階級の服を身につけているが、それが男の趣味だということをフレイアルドは知っていた。


「他言無用だが、インクにはヒュプスが使われている」

「ヒュプス……」


 誰かが衝撃を受けたように呟くと、三人の間には沈黙が流れた。

 それぞれがフレイアルドの言葉の意味するところを考えているようだ。


 最初に思案から戻ってきたのは老紳士だった。


「さて、それで我等は何をお調べ致しましょうか?」

「話が早くて助かる」


 フレイアルドが彼等を呼ぶ時。

 それは王都の情報を集めたい時だ。


 普段の彼等は王都でそれぞれ異なる組合の長として動いている。


 フレイアルドはまず老紳士から、依頼内容を伝えることにした。


「エイゼン、そちらでは辻馬車を使って下町へ頻繁に通う貴族がいなかったか確認して貰いたい。特に南西へ出入りの多かった者を優先的に」


 エイゼンと呼ばれた老紳士は、王都の辻馬車を全て束ねる組合の長だった。

 恭しく胸に手をあて、軽く頭を下げる。

 その口端は楽しむように上がっていた。


「承りました」

「それでは俺は何をお調べしましょうか? 閣下」


 待っていられないとばかりに、小麦色の髪の男が身を乗り出す。

 男が乗り出した分だけ、フレイアルドは上体を反らした。

 いつもながら、熱気が暑苦しい男である。

 

「……不審な、と言ってもきりがないな。この材料がどこから入ってきたか知りたいのだが」


 フレイアルドが示したのは印刷物だ。


「ほう。材料ですか。すでに刷られた状態ではなく?」


 フレイアルドもその可能性は考えたが、すぐに否定した。


「時間が無さすぎる。処刑の日時が決まって、それから正確な情報を刷り人の手で配るとしたら王都の外では間に合わないだろう。転移の遺物は人しか運べないからな」

「なるほど……」


 転移の遺物で運べるものは人と、人が身に付けているか、持っている状態の物だけだ。

 

「少なくとも南東と南西の広範囲に配られている。それだけ大量に運ぶには馬車しかないが、それでは必ず門を通る。これを見過ごして通す門番は流石にいないだろう」


 小麦色の髪の男は顎に手を当てしばし考えていたが、すぐににかりと歯を見せて笑った。


「では材料ではなく、運び先を調べましょうかね?」

「運び先か……」

「ええ。うちの者はみな優秀です。普段運んだことがない物を、運んだことがない場所に持っていけば必ず記憶しています」


 フレイアルドは男の言いたいことに気づく。

 紙やインクが版元に運ばれてもそれは異常ではない。

 しかしヒュプスが運ばれればそれは異常な行動だ。


 そう提案した男は、胸を叩いて請け負った。


運送組合(うち)の組合員全員に確認しましょう。まあ、お任せください」

「頼んだ。ローエン」


 ローエンと呼ばれた男は、王都内を網羅する運送組合の組合長なのである。

 荒くれ男達をその腕っぷしでまとめ上げつつも、意外と情報収集が上手いためフレイアルドはこれまで何度も力を借りていた。


 そしてフレイアルドは最後の男へと視線を向ける。


「ザガン。尋ねるが南東と南西の各戸へ、朝の一の鐘がなるより前にこれを配りきるにはどれだけの人手が必要だろうか」

「各戸の前ですか?」

「前だ」


 特徴の薄い顔は表情も乏しい。

 ザガンと呼ばれた男は、指を一本立てた。


「市兵の巡回を掻い潜って一の鐘までに配るとなると、ざっと百人は必要でしょう」

「百人か……」

 

 とんでもない人数が必要らしい。

 それだけの人間が動き回って目立たずに済む方法が果たしてあるのだろうか。


「あらかじめ配る者に現物を渡し、複数拠点から一斉に、というのが現実的です」

「調べられるか」


 問われた男はほんの僅かに片眉を上げた。

 

「やってみましょう。しかし、分かる保証はありません。何しろ今は王都の外からの流入が激しいですから」


 ザガンは口入屋(くちいれや)だ。

 組合、というには小規模だが王都に複数ある同業者をこの男が実質束ねていた。


 口入屋とは、職の紹介や斡旋、時には労働者の身元を有料で保証してやる業者である。


 王都にずっと住んでいる平民が仕事を探す時は大抵が口利きか縁故で見つけるので、口入屋が必要とされることはあまりない。

 だが外から入ってきた者、または後ろ暗い所がある者はそうはいかない。

 

 ザガン達口入屋は、そういった者にも仕事を斡旋している。

 無論、大きな声では言えないような仕事も取り扱っていた。


 ザガンはほんの僅かに不機嫌な気配を漂わせた。


「酷いものです。エブンバッハとの戦争が終わったというのに、一向に我々は暇にならない。却って最近は、貴族からの依頼が増えているときた」

「……貴族から?」


 苦々しく言うザガンは、自身の仕事が増えることを喜んでいないようだ。


「地方は本当に酷いらしい……食うに困ったものが日に何十人と王都へ流れてきているのですから。一体そこの領主は何をしているのやら」

「耳が痛いな」


 フレイアルドも侯爵領を預かる身として常に領民達が飢えぬよう最大限努めてはいるが、それでも不作の時はある。


 不作に耐えられる蓄えを作るのも領主の役目だが、戦争で人手と蓄えを取られた地方はそうもいかなかったのだろう。


「報酬は弾んで頂けますね?」

「無論だ」


 それで話は終わりとばかりにザガンは立ち上がった。

 出口へ向かうザガンの背に声をかけるのはローエンである。


「おい、まだこんなに残ってるのに帰るのか? 勿体無い!」


 卓に残っている酒肴を指してローエンはザガンを引き留めるが、引き止められた方は鬱陶しげだ。


運送組合(そちら)と違ってうちは人が少ないのでね。失礼します、閣下」


 それだけ言うとフレイアルドの返事も待たずにさっさと帰ってしまう。 

 ローエンはやれやれ、と肩をすくめるとザガンが残していった肴に手を伸ばした。

 

「相変わらず愛想がありませんなぁ。ん、これは美味い」

「あなたは相変わらず食い意地が張っていますね」


 呆れたような声でローエンの食欲を嗜めるエイゼンは、思い出したようにフレイアルドに尋ねた。


「そうでした。うちの組合の者から聞きましたが、運河で溺れた女性を不思議な(わざ)で蘇生させたそうですね? 漕手の間で噂になっていますよ」


 小夜を助けた時のことだろう。

 しかしそれは不思議な業でも何でもない、小夜の国では当たり前の応急処置だ。


 すでに噂が広まっていると聞き、フレイアルドは悩ましげに目を伏せた。

 

 遅かれ早かれ小夜のことは王都の上にも下にも知れ渡るに違いない。

 その時何が出来るのか、どうやってあの子を守ればいいか。


 フレイアルドの悩みはまだまだ尽きなかった。


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