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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
二章

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27.決起


 フレイアルドは、夫妻の実子となって泣く小夜を眺めていた。


 その気持ちは上手く表現できないが、小夜にしか抱けない温かなものであることは、間違いない。


「あの……聞いても、いいですか?」

「ええ。何かしら」


 小夜は涙を溜めた目でラインリヒを見てから、目を伏せた。


「家系図の……光っているのは、生きている方、なのでしょうか」


 小夜は家系図の遺物を見ている。

 家系図に載った人名は金色に光るものと、黒くなったものと二種類ある。

 聡い小夜はもう気がついたのだろう。


 そこに書いてある事実は、フレイアルドは知っていたことだが、おそらく小夜もバルトリアスも知らなかったこと。


 アマーリエは小夜の背を労るように撫でている。


「……そうよ」


 レイナルドとアマーリエの間には、小夜を入れて五つの名がある。

 そのうち光っているのは三つのみ。


「貴女の兄達……次男のアシュレイは戦争で、三男のウォルターは流行病で亡くなってしまったの」

「……ごめん、なさ……」


 小夜は小さな声で謝ると、堪らずアマーリエに抱きついた。

 抱き合う二人にそっと近づいたのは、ラインリヒだ。

 ラインリヒは小夜の頭を撫でた。


「……きっと今頃、こんな可愛い妹ができたぞって、その辺で喜んでるさ」

「にいさま……が?」

「うん、兄貴達もーー俺の、死んだ奥さんも」


 フレイアルドは、知っていた。

 だからバルトリアスが家系図を見た途端息を呑んだ理由も分かっていた。


 伯爵とアマーリエの下に続く名前。

 そのうち婚姻して相手の名前が書いてあるのは二人きりだ。

 それは長男と、ーーラインリヒ。


 金色に光るラインリヒの隣の名は、黒くなっていた。


 ラインリヒは小夜の頭を撫でながら屈託なく笑う。

 そうやって笑えるまでかなり時間が必要だったことを、どれだけの人間が気づけるだろうか。


「可愛いものが大好きなやつだったんだ。きっと俺ばっかりサヨを可愛がってる、羨ましいって文句言ってるよ」

「……っ……に、さま……」


 小夜は何かを口にしようとしている。だが言葉にならず、アマーリエの肩に顔を埋めると、しゃくり上げてしまった。


 伯爵と奥方、そしてラインリヒが、そんな小夜を優しく見守っていたのだった。

 

 ***


 フレイアルドは小夜が泣き止んだのを見計らい、アマーリエと視線を交わす。

 聡い貴婦人はそれで何かに気づいたらしい。


「サヨ、良ければアマーリエ殿に当家の庭をご案内してもらえませんか。今が一番見頃ですから」

「? はい……」

「とても嬉しいわ。ちょうど外の空気を吸いたいところだし」


 自分でも唐突すぎるかと思ったが、そこは流石の伯爵夫人である。上手く小夜を誘導し、この場から離れてくれた。


 ここからは、小夜には聞かせられない会話となる。


 女性騎士が二人の護衛として共に出ていき、部屋にはバルトリアス、伯爵、ラインリヒ、そして自分だけになる。

 マルクスはお茶を淹れかえてから、席を外していた。

 おそらく扉の外を守っているだろう。


「……まずはこちらをご覧ください」


 フレイアルドが密閉した容器ごと卓に載せたのは、昨日ばら撒かれた印刷物(ビラ)である。

 フレイアルドが手に入れていたものは水に濡れてしまい用をなさないが、たまたま辻馬車の御者が一部持っていたのを譲ってもらったのだ。

 三人の反応からして、この存在に気づいていたのは自分だけらしい、とフレイアルドは確信した。


「内容はエマヌエルの処刑について書いてあるだけの他愛もないものです。が、このインクにはヒュプスが使われています」

「ヒュプスだと!?」


 バルトリアスが拳で卓を叩いた。

 見なくてもわかるほど、激怒している。


「なぜそんなものが!? 禁じているはずだぞ!!」

「だが実際に使われているのです」


 そしてフレイアルドは、これが下町に配られたこと、それにより人々が処刑に殺到したことを述べた。


「ご承知のとおり、ヒュプスは葉のままならば鎮痛剤として有用な薬草です。しかし一旦加工することで、幻覚、幻聴、記憶の喪失等をもたらす劇薬となります」


 三人は息を呑む。

 フレイアルドは構わず続けた。


「また、加工次第で粉末にも液体にもできます。今回はインクに混ぜられ、印刷物を読む間に気化したヒュプスを吸い込むことで効果が現れるようになっていたのだと考えられます」


 印刷された記事は、エマヌエルがどれだけ残忍な行いをしたのか、という点に焦点が当たっていた。

 読んだ者が「こんな行いをする者は処刑されて当然だ」「処刑しろ」ーーそう、思わざるを得ないように。


 伯爵とラインリヒはこういう事例を初めて見たのか、容器に入った印刷物を凝視している。

 フレイアルドとて、インクに混ぜたのを見たのは初めてだが。


「この記事を読んだ者が何としてでも処刑を見届けたいという気分になるよう誘導し、煽り、そうしてあの群衆が出来上がったわけです」

「あれはそういうことだったか……」


 伯爵も異様な群衆を見た当人である。

 薬物のせいだと言われ納得したように唸る。


 フレイアルドは話すうちに再燃してきた怒りを口にする。


「ーーサヨもこの記事を読み、香りにあてられました。記憶を取り戻したせいで、恐怖と、二人の侍女を殺させてしまった罪悪感から強い幻覚を見たようです。その結果、幻覚から逃げるため、運河に身を投げた」


 伯爵はただ落ちただけだと思っていたのだろう。目を見開き震えている。

 バルトリアスはフレイアルドを凝視したまま固まっていた。ラインリヒも同様に。


「当たり前ですが、サヨはヒュプスを鎮痛剤としてさえ使用したことがない。だからか覿面(てきめん)に効いたようで、この屋敷に帰ってきてもまだ香りの効果が残っていました」

「解毒は!?」


 ラインリヒが立ち上がり叫ぶ。

 してない、と言えばこの部屋から走り去るほどの勢いだった。


「してある」

「……よく解毒剤持ってたな」


 持っていた理由をこの場で語ることはなく、フレイアルドは容器に入った印刷物を持ち上げる。


「サヨに実害が出た以上、私はこれを作った者を許さない。そういうわけで、ご助力を願いたいのですが、よろしいでしょうか?」


 フレイアルドと同じくらい、いや今だけならばそれ以上に怒りの炎を燃え上がらせた伯爵は、物騒に顔を引き攣らせている。

 腕を組み、原因となった印刷物を射殺さんばかりの目で睨みつけていた。


「ーーよかろう。一族郎党、根絶やしにしてくれるわ」


 大の男でも逃げ出すほどの怒気を隠さぬ伯爵と対照的に、バルトリアスは冷静だ。


「サヨの件はわかった。其方らの怒りも(もっと)もだ。ーーだがこれは国王陛下が陣頭指揮をとり一掃に乗り出されてもおかしくない案件だ。王宮に任せんのか?」


 ふ、とフレイアルドは鼻で笑った。


「この手で抹殺せねば、こちらの気が済みませんので」


 エマヌエルは譲ってやった。

 その結果を、フレイアルドは絶対忘れないだろう。


「どこの誰が精製しばら撒いたか分からないのです。例え国王陛下でも信用しお任せすることはできません」


 少なくとも、バルトリアスさえ直前まで掴めなかった情報をあらかじめ握れた人物が関わっていることは明白だった。

 それは言われずとも分かっているのだろう。バルトリアスはそれ以上口を出すことをやめたようだ。

 頭痛がするのか、頭を抱えていた。


「其方は……本当にあの娘のこととなると、思い切りが良すぎる」

「殿下に言われたくはありませんね」


 大公の後ろ盾をもぎ取ってくるバルトリアスに言われたくはなかった。

 フレイアルドは腕を組み、バルトリアスを挑発するように横目で見た。


「ご静観なさいますか? それでしたら殿下の分もこちらで血祭りにあげておきますが」

「馬鹿者。俺の分は残しておけ」


 ギラリとした群青色の目にフレイアルドは肩を竦めた。

 参加したいなら初めからそう言えばいいのだ。


「では決まりですね。殲滅します。あとラインリヒ」

「な、なんだよ」


 三人の物騒な雰囲気にあてられたのか、突っ立ったままのラインリヒは怯えている。

 しかしフレイアルドは小夜で手一杯だ。ラインリヒが怯えていようが二の足を踏んでいようが配慮する気は毛の先ほどもない。


「ヒュプスの解毒薬を大量に作っておけ。作り方はあとで教える」

「だから何で知ってるんだよ……」


 ラインリヒの質問を避けるようにフレイアルドは立ち上がる。

 窓辺に近寄り、庭を散策する小夜達を見下ろした。

 小夜はフレイアルドに言われたとおり、アマーリエと女性騎士をきちんと案内しているようだ。

 護衛まで案内してしまうのが、あの子の良い所だと顔が緩む。


(……良かった。笑っている)


 小夜が笑っている。まだ涙の影は消えていないが、一生懸命に前を向いている。

 その笑顔を曇らせる者は誰一人容赦しない。


 フレイアルドは振り返った。


「私はまず、この版元をあたります。簡単には出てこないでしょうが、インクの出所を突き止めねばなりません」

「では俺はエマヌエルの処刑の経緯を詳しく調べるとしよう」


 フレイアルドは頷く。


 伯爵にもやってもらいたいことがあった。

 隣国との国境線を領地内に有するザルトラ家でなくては出来ないことを。


「ザルトラ伯はエブンバッハへ不審な出入りをする動きがないか、確認していただけませんか」

「エブンバッハ?」


 伯爵が不思議そうに片眉を上げる。尤もな反応だ。

 

「私が侯爵となった時、我が一族の愚か者があろうことかエブンバッハに加工したヒュプスを輸出していたことがあります。無論その家は取り潰し、販路も根絶やしにしましたが……一度あったものは疑ってかかるべきです」

「……よかろう」


 伯爵はフレイアルドに聞きたいことが山ほどあるようだったが、今ではないと思ったのか問いただすことはなかった。


 

 フレイアルドの背中は、窓から差し込む日差しで熱を帯びていた。

 真夏の日差しもやがては翳り、実りの秋と死の冬が待っている。


「冬までには終わらせます」


 その意図に気付かぬ者は、この部屋にはいなかった。

 重たい沈黙の中全員が頷き、その意思を固めたのだった。


気まぐれに本日2話目を投稿いたしました。

明日も2話投稿して、二章完結となります。

三章投稿時期等について明日活動報告をいたしますので良ければそちらもご覧ください。

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