23.水際
フレイアルドは橋を渡りきった後、北東の下町を一人、小夜を探して回っていた。
最初に向かった商家街には伯爵夫妻も小夜も既におらず、その行方が全く掴めなかったのである。
北東の下町は三の鐘を過ぎても異様な雰囲気に包まれていた。
たまたま買い物に来ていた貴族、この辺りに住む富裕層、商家らは怯え隠れている。
逆に処刑を見るために集まった貧民は興奮が冷めやらぬ様子だ。
そんな状態だから、伯爵達の行方を聞いて回るのは困難を極めた。
そしてフレイアルド自身も身を隠しながら行動しなければならない理由があった。
王太子の手の者が下町をうろついていたのである。
フレイアルドもバルトリアスほどではないが王太子と敵対している。
ここで見つかるのは避けたかった。
何かを探すように行き交う男達の中、ひとり服に血痕をつけた者をフレイアルドは見逃さなかった。
(……痘痕のあの男は、確か)
王太子にかなり近い側近の一人だった。
ヒョロリとした背格好に似合わず、かなり剣の腕が立つ。そう記憶している。
どうやら負傷しているらしく、足元が不安定だ。
男に気付かれる前にフレイアルドは即座に物陰へとその身を隠した。
「ーーくそっ! あのアバズレ!! 次に会ったらただじゃおかんぞ……」
男が吐き捨てた言葉に、フレイアルドの脳裏に一人の女性騎士の姿が浮かぶ。
話したことはないが、伯爵が護衛にしているあの女性騎士は相当な腕だ。
王太子の側近に手傷を負わせられるような女性騎士などそうはいない。
今すぐ男の胸ぐらを掴んで、アバズレとは誰のことだと絞り上げたい衝動に駆られる。
が、堪えた。捕まえて問いただしたが最後、逮捕されるのはこちらだからだ。
フレイアルドは慎重に建物の隙間をすり抜け、その場を離れた。
(伯爵の護衛騎士が、王太子の側近と剣を交えた?)
嫌な予感にフレイアルドの足はおのずと速くなる。裏道に入ると一気に人気はなくなってしまった。
そこでアマーリエと遭遇できたのは、奇跡としか言いようがなかった。
「アマーリエ殿! サヨは……」
駆け寄れば憔悴した様子の婦人に、フレイアルドの頭の中で警鐘が鳴る。
「実は……」
アマーリエの語った内容にフレイアルドは戦慄した。
ついで、全身の血が沸き立つような怒りを覚える。
「ーー下衆が」
もし王太子が指一本でも小夜に触れていれば、フレイアルドは迷わず手を下していた。
王族だろうが、国王の愛息子だろうが関係なくだ。
そして王太子と同じくらい許せないのはその側近だ。
(あの痘痕の男、消しておくべきだったな)
小夜を王太子に献上しようとしたその罪をどう償わせてやろうか。
並大抵の苦しみを与えるくらいでは許せそうにない。
残念ながら今はそれどころではないが。
「サヨはシェルカと共に逃げました。私と夫は二手に分かれてあの子達を探していたのです。どうか頼みます、侯爵様もあの子を探してください」
「無論です。伯爵はどちらの方角へ?」
アマーリエが示した方向は運河よりもやや北西である。
フレイアルドはそれならばと南西を目指した。南西に出れば運河がある。一旦運河に出て北上すれば、南北から捜索範囲を絞り込める。そう考えて。
もしアマーリエが伯爵と合流できたら、運河に向かって南下しながら小夜を探してくれるよう伝言し、フレイアルドは駆け出した。
***
フレイアルドは南西へ向かいながら小夜を探したが、その姿はない。
処刑から時間も経ち、まともな眼をした人間が通りに増えてきた。
客のいない辻馬車を見かけたフレイアルドは、その御者に話しかけた。
「仕事中にすまない。腰まで黒髪を伸ばした、十四くらいの少女を見かけなかったか」
御者は唐突に話しかけられて訝しげな顔をしたが、フレイアルドの顔を見るなり慌てて御者席から降りた。
帽子をとり、恐縮しながら答える。
「これは閣下ーーいつも組合長が世話んなっとります。そういう女の子でしたら、さっき見かけましたよ」
「どこでだ!?」
御者は、小夜らしき少女は運河の方向へ歩いて行ったという。
「良ければ乗ってくだせぇ。今なら追いつけます。しかし、あの女の子は、ちょいと心配な様子でしたね」
御者の好意に甘えて乗り込んだフレイアルドに、不穏な言葉が掛かる。
「心配とは?」
「へぇ。なんと言いますかね、ぼーっとして、ふらふら歩いてましたね。それじゃ出しますんで」
掛け声と共に馬を駆り出した御者はそれ以上答える余裕がなさそうである。
常よりも急ぎ気味に馬車は運河を目指して走る。
フレイアルドは御者の言葉に悪い予感が止まらなかった。
ひたすら己の拳を握り締めて追いつくその時だけを待った。
運河までは本当に僅かな時間だったはずだが、とても長く感じた。
御者が声を上げる。
「閣下! いましたよ! あの子じゃありませんか?」
飛びつくように馬車の窓から覗けば、その後ろ姿は間違いなく小夜のものだ。
何故か運河の淵にしゃがみ込んで、水面に左手を浸している。
(なにをしているんだ)
そこは運河の渡し舟が集まる岸壁だ。
少女の周りには忙しなく動く舟の漕手達がいる。
馬車から飛び降り、まだ遠い小夜の後ろ姿に声を掛けようとしたその時。
小夜の体がゆっくりと運河に向かって傾いた。
「サヨ!!」
ーーそしてフレイアルドの目の前で、小夜は水に沈んだ。




