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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
二章

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22.腐食


 ーーどうして、わたしは、こうなんだろう。


 道行く人がまばらになる頃、やっと小夜はその身をゆっくり起こした。

 ふらつきながら立ち上がり、空を見上げる。

 夕方の少し赤みが差した空に、ぽろぽろと涙が溢れた。

 もう枯れた、と何度思っても、涙というのは尽きない。


 ーーどうしてわたしは、こんなに無力で、何の役にも立てなくて、そばにいる人を不幸にしてしまうんだろう。


 導かれるように道へ出た。もう群衆はいなくなっていた。

 彼らのように必要とされるところへ帰りたかった。

 けれど今は自分のゆくべき場所が分からない。


 あてもなく歩き出した小夜を止めるものはなかった。

 

 ***


 伯爵が見つけた時、女性騎士は二人目の男を切り倒したところだった。

 駆け寄れば酷い返り血を浴びている。


 近づいてきたのが伯爵だと気がつき警戒を解いたシェルカは、その場に膝をついた。

 

 敬意からではなく、疲労から。

 肩で息をするほど激しく戦ったのだろう。

 

「ーー申し訳ありません。一人、痘痕の男を逃してしまいました」

「構わん。よくやった」


 伯爵に労われてもシェルカの顔は暗い。


「……お嬢様を守りきれぬと思いこの通路の奥に逃げていただきました。北東大広場から運河へ向かう人波が見えましたので、それに乗れば脱出できるかと……」


 シェルカの行動を伯爵は責める気になれない。

 倒れた二人の男と痘痕の男、計三名を相手に小夜を守るのは並大抵のことではない。

 苦悶の表情を浮かべる女性騎士が苦戦した相手は、王太子の懐刀とも言える手練れ達なのである。

 

「この通路の奥だな。儂が行く。そなたは少し休んでおれ。アマーリエもじき追いつくだろう」

「申し訳、ございません……」


 そのまま壁にもたれて休み出した女騎士を横目に、伯爵は通路の奥へと進んだ。

 通路の奥は確かに広めの道に出れるようになっていた。

 すでに人足はまばらになっている。


(サヨが真っ直ぐ運河へ向かって行ったなら良いが……)


 小夜には土地勘がない。

 人波にのれば帰れることなど分からないはずである。

 もしかするとどこかで迷っている可能性もある。


 伯爵はとにかくしらみ潰しにあたるつもりで走り出した。

 

 ***


 小夜は一人だった。

 歩くうちに周囲の人も建物も朧げになり、日が暮れたように先が見えなくなっていく。

 まるで真っ暗な闇の中だ。


 泥水の中を歩くような抵抗感に小夜は胸の苦しみを覚えた。

 行けども行けども呪いの言葉が泥水のように小夜に纏わりついてくる。


『お前は我が家のゴミだ。ゴミが人間と話すな』


 何度目かもわからない呪いの言葉を、泥水の底から這い上がってきた父が耳元で囁く。

 伯爵ではない。小夜を苛んできた父だ。

 疲れ切り項垂れながら、その言葉を受け入れる。


「……はい」


 そうだ。父の言うとおり自分はゴミだ。

 小夜にはそれを否定することが出来ない。

 なぜなら実の父にも母にも、とうとう愛しては貰えなかったからだ。


 本当は心の奥底で期待していた。


 いつか、朝起きたらおはようと言ってくれるのではないか。 

 食卓に、小夜の分も温かいご飯が並ぶのではないか。


 聡一と同じように、愛してくれるのではないか。


 どれくらい前だろう。給食のない長期休暇に小夜はお腹が空いて動けなくなったことがある。

 その時彼らは小夜に食べ物を与えてくれた。


 だから、思ってしまった。

 普段は小夜をいないものとして扱うか殴るかのどちらかだけど、死なないで欲しいと思うくらいの情はあるのだと。


 けれど今なら違うとわかる。

 小夜が死体になるのを、彼等は面倒に思っただけなのだ。

 子を見殺しにした親だと裁かれるのが嫌だっただけなのだと。


 親にさえ愛して貰えない、必要として貰えない小夜に価値などありはしない。


 次に水の中から、あの少年が浮かび上がってくる。


『ほんとに、お前はこの侯爵家にとってゴミみたいな存在だよ。いや、ゴミなら使い道がまだあるから、ゴミ以下だよ。教えてやろうか。あの二人の侍女はお前のために死んだんだ』


 少年の言葉に、纏わりつく水の重さが増した。

 小夜は頷きながら、謝った。


「ごめんなさい……」


 彼の言うとおりだ。

 小夜は日本にいた頃からずっと無力で、人の役に立つことが何ひとつできない、役立たずだ。

 そんな役立たずのために、帰る家も家族もある二人が命を落とすだなんて、到底許されることではない。

 聡一だって、小夜さえいなければあの家の長男として普通に暮らし、大事にされたはずだ。

 いたずらに傷つく必要はなかったのだ。


「ごめんね……」


 小夜が幸せになろうと足掻いた結果、何人もの人間を不幸にした。


 ーーこれから、もっとたくさんの人を不幸にするのかも知れない。

 

 父と少年は、まだ小夜の周りを浮標のように漂っている。

 そう、きっとこれから小夜が何をしてもどこへ行っても彼等はずっとついてくる。

 小夜が戻ってくるのはこの場所とでも言いたげに、何度も何度も漂うのだ。


 ーーこの二人をそうさせたのは、小夜だ。


 誰にも望まれない人間が、望まれたいと思うこと自体きっと許されないことだったのだ。

 だって小夜には価値がないんだから。

 価値のない者が生きていること自体、許されないんだから。


「わたしは、どうしたらいいの?」


 漂う二人にそう尋ねた。

 二人は揃って小夜を指差した。


『お前は俺の人生を滅茶苦茶にした。お前が大人しく結婚してくれないから俺はこんなふうになってしまった。責任を取れ』


 小夜は頷いた。


『僕があの方にお仕え出来なくなったのはお前のせいだ。フレイアルド様のお役に立てないお前なんか要らないんだよ。責任を取れ』


 もう一度、頷いた。


 二人は小夜の背を押すと、青く漂う水面の前まで連れて行った。

 暗闇の中ぽっかりと口を開けて小夜を待つ水面を覗き込む。


 父と少年は、小夜をずっと見ている。

 彼らに何を望まれているのか分かり、涙が勝手に出てきた。

 

(わたしは、いらない人間なんだ、誰にも必要とされてない……)


 そんなにも望まれていたのなら、もっと早くこうしておけば良かった。


 ちゃぽん、と小夜は突き出した左手を水につける。


 青い水は、小夜に纏わりついていた泥水よりもずっと軽くて、柔らかい。


 小夜は安心した。

 この中ならば、もう二人は追ってこないだろう、と。



明日も二回投稿します

また、感想受付を試しにやってみようかと思います……

ほんとにびびりな作者で情けないです笑


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