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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
二章

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52/85

21.越水


 小夜は人混みに身を投じたが、非力なため抜け出すことが出来なくなっていた。


 横からも後ろからも押され、前にしか進むことができない。


 気を抜けば押し潰されそうな群衆の熱気に小夜は上せそうだった。


(みんな、どっちへ行くんだろう……)


 会話をするでもなく、ただ前だけを見て一方向へ歩く群衆の姿は異様だ。

 そして彼らの多くは色褪せた服を身に纏っている。


 それは、以前小夜がお忍びのために身に付けた町娘の服よりも数段質が劣るものだ。

 行きの馬車の車窓から見えたような、北東の下町に住む人達が着るような服でもない。

 つまり本来はこの近辺に住んでいない人達が、この群衆の正体なのだろう。


 興奮した顔、生気のない顔、うっとりとした顔が迷いなく前を向いて行進する様は恐怖映画のようだ。

 まるで人ではないものに囲まれているような錯覚さえある。


 声を殺し、恐怖を殺し小夜は歩き続けた。

 立ち止まれば踏み潰されるかもしれない。


 しばらく歩くと人に酔ったのか軽い頭痛と吐き気が現れてきた。

 小夜は口元に手巾を押し当てそれに耐える。


(とにかく、どこか安全なところで待たなきゃ)


 小夜はお金を持ち歩いていない。

 一人で帰ろうにも、橋を渡るお金も、船賃もなかった。

 

 そんな中、ふと進む先を見ると、上手くすれば入り込めそうな建物の隙間があった。

 小夜は少しずつ少しずつ、前へ進みながらも群衆の側面に近づく。

 そして、奇跡的にその隙間に入り込むことが出来たのである。


 ほっと一息ついた。


(ここなら、きっと追ってくる人も分からない)


 歩く群衆が壁となって隠してくれる。


 すでに自分がどの方角を向いて歩いているのかさえ分からない状態では、これ以上進むのも躊躇われた。

 伯爵達やシェルカが来るまでは、ここにいよう。

 そう思って石畳の上に腰を下ろし体育座りをした小夜は、通りを行く人をぼうっと眺め続けた。


 まだ耳にこびりついて離れないのは、先ほどの鐘の音と、そのあとに響いた歓声だ。


 鐘の音は小夜でも分かる。

 この王都で時を知るには鐘の音が頼りだからだ。


 毎日、夜明けから日暮れまで小夜の体感にして二時間おきに鐘は鳴る。

 午前の鐘は高い音で、午後はそれより低い音でそれぞれ一から四まで鐘がある。


 午前の四の鐘ならば、高い音が四回鳴らされる。つまり先ほどの鐘は午後の三の鐘、ということだ。


 しかしそのあとの歓声は何だったのだろうか。

 小夜はなんとなく、この群衆の声だったのではないだろうかと感じていた。


 じっと眺めていると、人々が何かを手に持っているのに気がついた。


(……紙?)


 こちらの世界は何故か印刷技術が発達しているので、平民でも文字を読める者は少なくない。

 だがこんなにも多くの人間が同じようなものを手にしているとそれだけで不気味さを感じてしまう。


「あ」


 風が一瞬、強く吹いた。

 その風に乗って、まるで悪戯のように一枚小夜の元に紙が降りてくる。

 自分の足元に落ちたそれを、小夜は興味から拾い上げてしまった。


 ざらついた質の悪い紙に黒く大きめの文字が見出しを飾っている。

 まるで新聞のようである。

 見出しはもちろん小夜の目にも入り込んだ。


 


『フェイルマー侯爵邸の殺人鬼、本日処刑』




 ーーその一文を見てしまった小夜の心臓は、痛いほど跳ねた。


(さつじんき?)


 どうしてか頭が割れそうなほど痛い。

 けれど目は勝手に文字を追ってしまう。


『……に、フェイルマー侯爵邸でリリエス・カーターとアルルナ・バーリトンの二人を殺害した大罪人エマヌエル・シャルマを本日北東大広場にて昼の三の鐘と共に処刑する。この少年は二人を侯爵邸にて無惨にも毒殺したものである。殺害された二人は侯爵邸へ行儀見習いとして奉公していた貴族令嬢であり……』


 ーーリリエス、アルルナ。

 毒殺。


「あ……」


 小夜は頭が痛くて痛くて、目を閉じた。 

 閉じた目の奥で光がチカチカと点滅し、強い吐き気に襲われる。

 

 ーーリリエス、アルルナ。

 死体。そう、二人の死体を見た。

 

(部屋がーー暗い部屋が、明るくなって)


 二人は部屋にいた。

 モノみたいに、床に捨てられて。

 頭が痛くて息が荒れる。小夜は後頭部を押さえた。


(違う、今じゃない)


 小夜が頭を怪我したのは今じゃない。

 ーーもうこの傷は治っている。

 

 ひゅっと喉が鳴った。咄嗟に喉を抑え、自分の手にびくりとした。

 ーーこの手じゃない。


「……っ」


 幻の痛みと苦しさで体勢が保てず、その場に転がる。

 胃の腑がひっくり返るような吐き気に、小夜はせり上がってきたものを全て戻した。


 薄ら目を開ければ、その紙が、目の前にあった。


(……どうして、忘れていたの)


 紙に震える指を伸ばし、掴む。

 皺くちゃになってしまったその紙を顔の前で広げた。

 何度も何度も、繰り返し読んだ。

 胃液でひりつく喉が、ひくひくと痙攣していた。


「ふっ……、う……っ……!」


 ーーリリエス、アルルナ。

 襲撃なんかじゃない。

 二人は、殺されてしまった。自分のせいで。


 ーーあの夜。

 暗くて痛くて真っ赤な、あの夜に。

 あの、少年に。



「ーーう、あ、ぁぁあああ!! あああああ!!」



 一枚の紙を抱き締めるように体を丸め込んで、小夜は石畳の上で一人絶叫した。


 壁となった群衆は、誰一人として、泣き叫ぶ小夜を見咎めない。


 建物と建物の僅かな隙間で蹲った小夜は、ただ一人泣き続けた。



 ***


 バルトリアスは苛立ちの中、自身の宮の執務室でフレイアルドからの通信を待っていた。

 指先で執務机を叩く。


(遅い……とっくに処刑は始まったぞ!)


 フレイアルドへ連絡したのは昼の二の鐘の前だ。

 次の三の鐘から始まる処刑までに小夜を回収して欲しいと思い連絡したはいいものの、それから一向に音沙汰がなかった。


 待つしかない身が歯痒く、いっそ探しに出るかと迷うバルトリアスにそっと声を掛けたのは護衛のアスランである。


「なりませんよ」

「分かっている!!」


 忠実な護衛はバルトリアスをどんな時も最優先に考える。

 昔から理性と衝動がぶつかり合うこのような時には嫌味なくらい的確に進言してくるのだ。

 それゆえに腹立たしいのである。


 動揺という感情さえどこかに忘れてきたように、アスランは淡々とこちらを嗜めてくる。


「最近の殿下は危ない橋を渡りすぎかと愚考いたします。侯爵家のことは侯爵に、伯爵家のことは伯爵にお任せなさいませ」

「……危ない橋か」


 確かにバルトリアスが常ならぬ行動をとれば、それだけ目立ってしまうだろう。

 特に最近は小夜のことで動き回りすぎた感は否めない。

 他の誰かに任せることも出来ない事案だからと、随分と首を突っ込んでしまった。


 その結果バルトリアスが頻発に出入りした侯爵家は国王から目を付けられている。あのフレイアルドは気にも留めないだろうが。

 

「大公閣下からは色良いお返事が頂けたのです。侯爵にもあちらのご令嬢にも、もう十分お力を尽くされたかと。殿下が直接手を回される必要などこれ以上ございません」


 それは暗に、今後直接侯爵家に出向くのは差し控えろという意味なのだろう。


 アスランのいうとおり、昨夜侯爵邸から直接大公邸へと向かったバルトリアスは大叔父へ事の次第を打ち明け、小夜の後見を無事獲得した。

 しかしいくつか条件付きだ。

 これまで以上にバルトリアスが忙殺されるような条件だったが、迷わず引き受けた。


 アスランはそれに対して、今朝からずっと嫌味を言ってくる。


「なぜ、王族である殿下が、たかが伯爵令嬢のために新たな政務を引き受けねばならぬのですか」

 

 主人を想ってのアスランの主張は、とても耳が痛い。


 バルトリアスは国王の孫として大量の政務を抱える身だ。

 特にここ数年はゆっくりと休んだ記憶がないほどに。

 そんな中、睡眠時間を削ってまで侯爵家に向かう時間を作ることを、この護衛は度々非難していた。

 そこへ追加の政務である。

 引き受けたバルトリアスも、どう捌いていくか頭を悩ませていた。


「……だが」

「そろそろお立場を自覚なさいませ」


 それ以上反論する材料を持たず、バルトリアスは黙した。

 今はこの護衛を説き伏せる術が見当たらない。

 バルトリアスは椅子から立ち上がった。


「ーー少し休む。フレイアルドか伯爵から連絡があれば起こせ」

「畏まりました」


 自らを落ち着けるように一度嘆息し、バルトリアスは執務室の長椅子にごろりと横になった。

 眠れる時に眠らなければ、いざという時動けない。


 しかしバルトリアスの期待を裏切るように、この日通信の遺物は一度もその報せの音を鳴らさなかったのだった。

 


午後にもう一話投稿しますので、ぜひご覧下さい。

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