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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
二章

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19.接近


 伯爵夫妻はまだ控室の扉の外にいる。

 小夜は押し寄せる不安から、シェルカに話しかけた。


「シェルカさん、外はどうなっていますか?」

「お嬢様。私のことは、どうぞシェルカとお呼び下さい」


 シェルカは自身に対する呼び方を修正すると、警戒を続けながらも教えてくれた。


「外は北東大広場に向かう者と逃げ出す者で混乱しております。馬車はおろか馬すら進めないでしょう」


 小夜は首を傾げた。

 向かう者と逃げ出す者が両方いる状況というのがよく分からなかったのである。


 先ほど一階にいた人々はおそらく逃げ出した人たちなのだろう。

 では、向かう人たちは?

 

「向かう人は、何のために広場へ向かっているんですか?」

「申し訳ございません。私の口から申し上げることはできません」


 シェルカにそれ以上訊くことはできなかった。

 伯爵夫妻が戻ってきたのである。

 入れ替わるようにシェルカが外の護衛に戻っていく。

 

 伯爵もアマーリエも、変わらず硬い顔をしている。

 二人から見た小夜がよほど不安そうにしていたのか、アマーリエが励ますように小夜の肩に手を置いた。


「サヨ、体調は悪くないかしら? 人が引いたらすぐ帰りますからね」

「母様は大丈夫ですか?」

「ええ」


 控室には一人掛けの椅子がいくつかある。

 伯爵はそれぞれ椅子に腰掛けたアマーリエと小夜を守るように、椅子と扉の間に立っている。

 その無骨な手は剣に掛けられたままだ。


 どれくらいの時間そうしていただろうか。

 不意に、伯爵が腰の剣にかけた指をぴくりと動かした。


「アマーリエ。サヨを連れて隠れておれ」


 アマーリエは伯爵の言葉にさっと立ち上がると小夜の手を引き、控室の調度の中に隠れるよう指示した。

 衣装箪笥のような調度の中に入った小夜からは何も見えなくなる。


 視界を塞がれ、鋭敏になった耳は階段を駆け上がるような足音を拾った。


(なに?)


 誰かがこの部屋に来たようだ。

 焦ったようなその声には覚えがあった。仕立て屋だ。


「ーー王太子殿下が表に」


 あとは声が小さくて聞こえない。

 伯爵の声もするのだが、潜めているようで内容はわからなかった。


 どうにか聞こえないかと狭い箪笥の中で体勢を変えようとしたところ、小夜が隠れていた箪笥の扉が急に開かれた。

 開けたのは伯爵だった。


「父様」


 恐ろしい顔をした伯爵は無言でサヨを掴むとそのまま担ぎ上げる。

 あっという間に控室を出て二階の奥まで進むと、来た時とは異なる階段を駆け降りた。

 小夜を担いでいるにも関わらず、伯爵の足音は恐ろしく静かだ。


 伯爵の左肩に後ろ向きで担がれた小夜は、二人の後をシェルカがついて来ていることに気づき、ここにいないアマーリエを気にした。


「父様、母様は」

「母上ならば問題ない」


 伯爵はそれだけしか答えなかった。答える余裕すらないように見えた。

 やがて薄暗い、店舗の奥まった場所に辿り着くと小夜は肩から下ろされた。

 飾り気のない扉がすぐそばにある。


 伯爵はやや腰を落とすと、小夜の肩を掴み言い聞かせる。


「サヨ。そなたにシェルカをつける。ここを出て、侯爵邸を目指すのだ」

「あの、なにが」

「すまぬが一刻を争う。後のことはシェルカに指示した。行きなさい」


 それだけ言って伯爵は踵を返し、どこかへ行ってしまう。

 状況が飲み込めず泣きそうな小夜の手をシェルカが握った。


「お嬢様。参りましょう」


 握った手を引っ張られる。

 シェルカが飾り気のない扉を開くと、そこは路地裏のようだった。

 おそらくは、店の勝手口もしくは裏口なのだろう。

 シェルカは周囲を警戒したあと、小夜を振り返る。

 

「ご心配なく。旦那様と奥様でしたら後ほど必ず合流されます。今は御身のことだけお考え下さい」


 そして有無を言わさぬシェルカの手に引かれ、小夜は店を脱出した。


 ***

 

 伯爵は小夜を逃したあと、店の二階へ戻った。まだ王太子達の姿はない。

 おそらくアマーリエが一階で引き留めているのだろう。

 なるべく小夜が遠くに、出来れば侯爵邸まで逃れる時間を稼がねばならない。


 伯爵は剣をいつでも抜けるよう準備してその場へと挑んだ。


 階段を降りた先でアマーリエが王族への礼をしているのが見えた。

 アマーリエが形だけの礼をする相手は、紛れもなく王太子である。

 王太子は階段を降りる伯爵に気づくと、その口元を笑みの形に歪ませた。


「おお! やはりザルトラ、お前か。老けたな」

「……殿下はお変わりないようでございますな」


 通じないと分かっていてもつい皮肉を言ってしまうのは、娘との楽しい時間を邪魔された苛立ちのせいだ。


 バルトリアスよりもやや褪せた金髪を後ろへ撫でつけた男は側室を連れず、一人だ。

 その背後には付き従う護衛か側近のような男達が控えている。

 王族特有の海の底のような群青色の瞳は、今は緩みきって見るに耐えないほど濁っている。


 あの精悍な、見ているだけでも惚れ惚れするようなバルトリアスとは正反対である。

 

 伯爵は階段を降り、妻の横に立つと、同じように王族への礼をとった。

 

「王太子殿下におかれましてはご機嫌麗しく。女神の導きに感謝いたします」

「よいよい、楽にせよ。ところでな」


 王太子の許しと同時に顔を上げた夫妻は、飛び出した言葉に表情を崩さぬよう、顔の筋肉を総動員する必要があった。


「お前らの娘とやらはどうした。俺の部下がこの店に、そこらでは見掛けぬ美しい娘がお前らと共に入って行ったと報告に来たが」


 伯爵は内心舌打ちをした。

 側室も処刑も放り出してこの男がここに現れた理由を察したのである。


「なんのことやら……我が家には娘はおりません」


 嘘ではない。まだ小夜とは正式な手続きを交わしていないのだ。

 王太子は気に食わないのか、ふんと鼻を鳴らす。


「……おかしい。おかしいぞ伯爵。この店は若い娘向けだぞ? 流石にお前の奥方にはもう必要ない店だろうが。答えろ、娘はどこだ」


 好色な瞳が店の中を探るように動くのを見逃す伯爵ではない。


(貴様のような色狂いに、誰が答えるか)


 伯爵が用意していた適当な答えを言う前に、王太子は付き従っていた男達に命じた。


「おい、探せ」

「はっ」


 命じられた男達は荒々しく店の中を捜索し始める。

 店の二階だけでなく通常は客が立ち入れぬ奥まで踏み荒らしていく男達に夫妻は激しい嫌悪感を覚えた。

 店の奥からは仕立て屋の女中達の悲鳴が聞こえてくる。

 それまで隅で怯えていた他の客は我先にと店から逃げ出そうとするが、王太子の護衛が出入り口を固めてそれを許さない。


「全員動くな!!」


 伯爵は歯軋りした。

 この狼藉を止められるものならば止めたかった。

 だがこの場の支配者は、この男である。

 切って捨てて良いなら、どんなに楽だったことか。


「調度の中まで、よーく探せ」


 緊迫する周囲に反して間延びした声で命じる男に、伯爵は額の血管がぶち切れそうだった。


「……何度も申し上げますが、我らに娘はおりません! 斯様(かよう)なことをなさらずとも」

「いいや、お前はあのバルトリアスの剣の師をしていたからな。実は娘がいるのをこの俺に隠していてもおかしくはない、そうは思わないか?」


 にやにやと夫妻を見下ろす王太子の横には、同調するように頷く側近がいる。痘痕(あばた)の残る顔には見覚えがあった。

 王太子が貴族院に通っていた頃から腰巾着としても、悪行の斥候としても有名だった男である。


「左様でございます殿下。わたくしは間違いなくこの目で見ましたとも。腰まで伸びた黒髪が美しい、どこの夜会でも見かけたことがない娘でございます」

「それはそれは楽しみだ。一体どのような声で()くかな」


 ーーその言葉に、伯爵は一瞬で頭に血が昇った。

 もう後先など考えられなかった。腰の剣を抜き払い今すぐこの下種(げす)どもを殺してやろうと指を動かす。

 しかし、それをアマーリエがそっと(とど)めた。


 妻とて自分と同じくらい頭にきている筈だが決して表には出さない。

 品位を損なうことなく、毅然と胸を張り主張した。


「殿下、夫が申し上げたとおり私どもに娘はおりません。何かの見間違いでございましょう。この店には娘時代とても世話になりましたので、通りがかりについ懐かしくて足を運んでしまいましたの。年甲斐もなく、このような店に入るなどお恥ずかしい限りでございますわ」


 妻は本当に心から恥ずかしく思っているような風情で堂々たる嘘を吐いた。

 伯爵の苦手とする腹芸である。


 そこへ店内を捜索し終えた王太子の部下達が戻ってくる。

 すでに店外へ逃した小夜が見つかるはずもないが、伯爵は彼らが何か見つけてはいないかと、じっとりと背中に汗をかいていた。

 

「申し訳ございません。隅まで探しましたが、娘はおりません」

「……まぁいい」


 娘がいないと分かって興味を失ったのか、伯爵夫妻へ声を掛けることもなく、王太子は男達を引き連れて店を出ていった。


 店内は、誰ともなしに発せられた安堵の溜め息で満ちた。


 それまで息を潜めていた客も店の者も、緊張から解放されその場に座り込んでいる。


 見渡した店内はまるで嵐が通り過ぎたかのような有様であった。

 調度や引き出しは中身をひっくり返され、仕立て屋が丹精込めて縫ったであろう、作品と言って差し支えない衣装も踏みつけられていた。

 仕立て屋は可哀想なほど肩を落としていた。


「アンリ、本当にごめんなさい。まさかこうなるなんて」


 アマーリエが近づき、肩を落とす仕立て屋に詫びる。

 アンリと呼ばれた仕立て屋は力無く首を振る。


「店も衣装もまた作り直せば良いことでございます。それよりも……」

「大丈夫、あなたのおかげです」


 誰がどこから聞いているか分からないため二人は口には出さなかったが、小夜のことに間違いなかった。

 

 仕立て屋はその答えに胸を撫で下ろすと、店内の被害確認に戻っていく。後で必ず詫びと礼を兼ねて見舞いを贈ろうと、伯爵は脳裏に刻んだ。

 

 妻が振り返る。

 その顔には、今すぐ娘を探しに行きたいと書いてある。


「あなた……」

「ーーうむ。行こう」


 伯爵もアマーリエも小夜がうまく逃げたか、それだけが気がかりでならなかった。


 小夜達を逃した裏口から出て、シェルカの選びそうな道を辿り娘を追いかけたのである。

 

あと10話くらいで2章も終わります。

もう少しだけどうぞお付き合いくださいませ。

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