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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
一章

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04.背中



「姉ちゃん、頑張って」

「う、ん」


 小夜は息を切らせながら、弟の背中に必死についていく。

 長年の監禁生活は小夜から体力だけでなく筋力も奪っていた。


 既に全身が千切れそうに痛い。


「とにかく警察署まで行こう。朝まで保護してもらって、そのあと役所に行く」

「役所で、どう、するの」


 弟は左肩に小夜の荷物を持ちながら、反対側で姉の手を引いた。


「婚姻届の不受理申出書を出すんだ。そうすればあいつらが勝手に書いて出すこともできなくなる」


 小夜はいつの間にか、自分の背丈を超した弟に恥ずかしくなった。


(わたしは姉なのに、弟に助けられてばかり)


 ーー聡一がいなければ、おそらく明日の朝にはおぞましい結婚をさせられていただろう。


「痛っ……!」


 歩いている途中、脛に強烈な痛みを覚え小夜はその場にしゃがみ込んだ。

 痛みの走った右足をだらりと地面につける。


「見せて!……くそ、ひびかな……」

「ごめ……ごめんね、そうちゃ……」


 度重なる栄養失調と運動不足で小夜の骨は脆くなっていた。

 触れると強い痛みの走る足では、歩くことなどできはしない。

 聡一は小夜の鞄を一旦置くと、背中を差し出す。


「おぶる。乗って。もう少し大通りに行けばタクシー拾えるから」


 小夜は心から申し訳なく思ったが、躊躇う時間はないとその背中に身を預けた。

 小夜をおぶって立ち上がった聡一は心の中で舌打ちする。


 ーーあまりにも、軽すぎる。


 警察よりも先に病院か、と一瞬逡巡するが即座にその考えを否定した。

 病院に行っても両親が回収に来ればすぐ引き渡されてしまうことを、身をもって知っていたからだ。


「しっかり掴まっててね。姉ちゃん」

「ごめん、ごめんね……」


 聡一は小夜をおぶったまま、夜の道を先ほどよりもずっと速く進んだ。


 ***


「クソガキが!!」


 小夜と聡一が消えたことに気づいた男は持っていた酒盃を床に叩きつけた。

 ーー明日の朝までに小夜を連れ戻さなければ。


(俺は終わりだ……!!)


 大きな物音に何事かとやってきた男の妻は、粉々にされた酒盃を見て文句をたらす。


「ちょっと……何やってるのよ!! これバカラよ!?」

「ーー少し、手が滑っただけだ」


 もう、と立腹する妻が部屋から出ていく。

 おそらく掃除機でも取りに行ったのだろう。


 地元名士の一人娘だった妻と結婚しておよそ二十年。

 美しかった妻への興味は妻の加齢に伴って失せ。

 入婿として常に妻と義実家の顔色を伺う生活で溜まった男のストレスは、娘に向いた。


 ーー出来損ないの、おかしな文字ばかり書く娘。


 妻も気味悪かったのだろう。娘を殴っても特に男を咎めることはなかった。


 娘が高校受験に失敗した時は、これ幸いと部屋に閉じ込めた。

 男は常々、その機会を狙っていたのである。

 それというのも娘が男の妻の若い頃にだんだん似始めたからだ。


 妻に逆らえない男は、妻に似た娘の顔が苦痛に歪む瞬間を見るのが、何よりの快楽だった。

 それなのに。これからずっと自分の気が済むまで捌け口にしてやるつもりだったのに、計算違いが起きた。


『……先輩? 先輩じゃないですか。こんなところで、奇遇ですね』


 それは、ずっと会っていなかった大学の後輩だった。

 二人が邂逅を果たしたのは、繁華街の奥。ホテルが居並ぶ、路地。

 妻と何年も関係を持っていなかった男は、経営する会社の社員と密かに逢瀬を重ねていてーーそれを、見られてしまった。


『あれれ……先輩。奥さんはもちろんこれ、知らないですよね……?』

『お前こそ、その女と来たんだろうっ』

『やだな、僕まだ独り身ですよ。しかも彼女はただのトモダチです。……先輩と違ってね』


 男は強請られた。

 初めは少額の金銭だったが、回を重ねる毎に要求は増し、そのうち首が回らなくなり、ーー思いついた。


『娘をやる。だからこれで終わりにしてくれ』

『……娘さんなんていましたっけ?』


 ーー食いついた。

 男の中の悪魔が、舌舐めずりした。


『ーーああ。来週十八になる。病弱で高校には行ってないが母親に似てきたところだ』

『へぇ……』


 男は知っていた。

 大学時代、自分を強請っているこの男が己の妻に懸想していたことを。


 そうして男は、自分の娘を売り渡すことで清算しようとしたのだった。


 ーーなのに、その肝心の商品がいなくなるとは。


 男はやにわに立ち上がると、グラスの破片を片付ける妻に少し出掛けてくる、と告げた。

 おざなりな返事をする妻を背に、スマホのアプリを起動する。


(俺から、逃げられると思うなよ)


 地図の上を動く点を確認し、車に乗り込んだ。


 ***


 大通りに出たところでタクシーを拾った二人はそのまま警察署へ向かう。

 その道中、小夜は既視感を覚える。


(この道、あの建物……)


 気づいたら口にしていた。


「ーーすみません、次の信号の手前で少し止まってください」

「姉ちゃん?」


 痛む脚を引き摺りながら車から降りる。

 目の前の店舗を見ながら、小夜は通りで棒立ちになる。


 ーーやっぱりそうだ。


「姉ちゃん……?」

「ごめんね、そうちゃん。少し寄っていっていい?」


 そこは入試の日に揺り椅子を見つけたあの骨董店だった。


 聡一に支えて貰いながら骨董店に入ると、あの時の店主が出てきた。

 彼は怪我をしている子供が入ってきて驚き、それが小夜であることを見て二度驚いていた。


「きみ……」

「……あのあと、これなくて、申し訳ありませんでした」


 小夜が涙ぐみながら頭を下げると、店主ははっと気付いたように椅子を勧めてくれる。


「ーー何か、事情があるんだろうとは思っていたんだよ。ちょっと待ってなさい」


 そう言って、奥へ消えた店主はーーあの、揺り椅子を持ってきた。

 小夜は両手で口を押さえた。


 そうしなければ叫んでしまうところだった。


「きみがあんまり必死だったからね。嘘を言う子にも見えなかったし……あのお客さんと話して、これはキャンセルしてもらったんだよ」

「〜〜っ」


 ーーそれからずっと、とっておいてくれた。

 ーー商品なのに、売れないように。


 小夜は堪えきれず嗚咽を漏らした。


「ーーあ、ありが……っ、ありがとう、ございまっ……」


 小夜はそのまま大泣きした。

 一度しか会ってないーーそのうえ迷惑な行為をしたはずの自分に向けられた、無償の優しさ。

 

 ーーそれが嬉しくて、自分なんかには勿体なくて。


「事情を、聞かせてくれるかい?」


 しゃくりあげて会話にならない小夜に代わって、聡一が店主に説明した。

 聡一は揺り椅子が小夜にとってどんなものか知らなかったが、入試の日から今日まで小夜が監禁されていたせいでここに来られなかったのは知っている。


 店主はすべて聞くと涙ぐみながら、小夜と聡一に「よく頑張ったね」と声を掛けた。


「そういうことなら店仕舞いだ。今から警察を呼んであげるから、保護してもらいなさい」

「! オレも手伝います」


 店主と聡一は手際良くシャッターを下ろしていく。

 二人の作業を見守る小夜は、持っていた鞄をぎゅっと抱きしめた。



 閉店作業を終えた店主は警察へ電話してくると言い、小夜と聡一に飲み物を置いてその場を離れた。

 久しぶりの缶ジュースをくぴくぴと飲んでいると、聡一が話を切り出してきた。


「その、揺り椅子だけど……オレ家で見たことある気がしてさ」


 当時聡一は三つか四つだ。

 小夜ほどではないが、覚えているらしい。


「オレずっと自分は夢を見たんだって思ってたんだけど……一度、姉ちゃんがその椅子に座った後消えちゃって、家中探してもいなくて……朝になったら姉ちゃんが椅子の上で寝てたことがある」

「!」


 驚き、言葉がない小夜の様子に聡一は確信した。


「夢じゃ、なかったんだ。姉ちゃんはあの揺り椅子が何なのか知ってるんだよな?」


 小夜は缶をきゅっと握る。

 あの揺り椅子が何なのかーーそう問われても、小夜は答えを持たない。

 けれどこの身の上に起きた事実を話すことはできる。


 小夜は決心すると、幼い頃フレイアルドのいる世界へ行っていたことを包み隠さず話した。

 聡一は終始口をぽかんと開けていたが、小夜の話を遮ることなく全て聞いてくれた。

 話し終えた後の聡一の第一声は、フレイアルドについてだった。

 

「……そのフレイアルドって人は本当に信用できる?」

「ーーうん」

「姉ちゃんに暴力振るったり、嫌なことしたり、飽きたからって追い出したりしない?」

「た、たぶん……?」


 子供の時は少なくともなかった。

 何よりも小夜を大切に大切にしてくれた記憶しかない。

 小夜が顔を赤らめながらそういうと聡一は腕を組みしばし考えていた。

 だがすぐに、自分の中で考えをまとめたらしい。

 いま弟の目には強い決意が浮かんでいる。


 聡一は、まっすぐ小夜に向かって頼んだ。


「姉ちゃん……今すぐ、向こうの世界に行ってくれ」



 

 



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