17.自省
伯爵夫妻とシェルカ、小夜を乗せた馬車はそのまま橋を渡り運河を越え、王都の北東側に出た。
どうやら以前フレイアルドと訪れた市場のある下町は南東側らしい。
こちらは南東側に比べ、道は広く立ち並ぶ家の壁は白くて綺麗だ。
歩く人々の格好もより貴族に近い。
「この辺りは下町でも裕福な商家が住んでいる。だから店も色々あるのだぞ」
伯爵の言う通り、この辺りは貴族向けの高級店が多く立ち並んでいるらしい。
伯爵家の馬車は、その店の一つの前で止まった。
小夜は夫妻がここで買い物をするのだと思った。
「あの、お買い物でしたらわたしは馬車の中で待っております」
もちろん馬車だから冷房は付いていないが、窓を開ければ待てないことはない。
扇風機のみで日本の夏を乗り切ってきた小夜にはこちらの夏の暑さはどうということもないのである。
アマーリエは困ったように笑った。
「あなたの衣装を揃えるのに、肝心のあなたがいないと始まらなくてよ。さ、行きましょうね」
「わ、わたしのですか?」
伯爵に続いて降りるよう、アマーリエに促される。
小夜の後から降りてきたアマーリエは小夜を馬車に戻さないとでも言うように、その背に手を当てた。
「あの侯爵様のことですから、きっと溢れんばかりに衣装は用意していると思いますけれど、それはそれとして娘の服を選ぶのは、親の楽しみですよ」
「うむ、好きなだけ選びなさい」
「え、え……」
アマーリエに押されながら店の中に入り、小夜の着せ替え地獄が始まったのである。
***
小夜が出掛けた後、フレイアルドは自己嫌悪から自室でひとり沈んでいた。
執務机に肘をつき、その手に顔を埋める。
原因はもちろん今朝のことだった。
(獣か、私は)
小夜から「今度は、フレイアルド様とも一緒に朝ごはんを食べたいです」と言われた瞬間、頭が真っ白になってしまった。
そして気付けば小夜を寝室に連れ込もうとしていた。
男を朝食に誘う意味を、あの小夜が知るわけがない。
冷静に考えれば分かりきったことなのに、連日の寝不足と直前の小夜の発言からつい箍が外れてしまった。
直前の小夜の発言とは、もちろん過去の二人の約束である。
『朝も昼も夜も、ずっと一緒にいる』
少年だったフレイアルドは確かに小夜とそう約束した。
生涯忘れるはずもない。
小夜はまだ小さかったから、きっともう覚えていないだろう、だが自分一人が守っていければそれでいい。そう思っていたのに。
その子供の頃交わした言葉を、約束を、小夜は覚えていてくれた。
フレイアルドは、それだけでどうしようもなく、泣きたくなるほど嬉しかったのだ。
フレイアルドは伏せていた顔を上げる。
マルクスも侍従も追い払った部屋は静かなものだ。
ふーっと長い息を吐き、背もたれに深く身を沈めれば、一人の部屋に椅子の軋む音が大きく響いた。
反省と自己嫌悪で頭がいっぱいだ。
(悪いのは……教えようとしなかった私だ)
こちらでは女性が男に朝食を共にしたいと言えば、それ即ち朝まで共にいたいという意味になる。
簡単に言えば閨の誘いだ。
当然ながら小夜がその意味で口にするはずがない。
なのにあの時の自分は、そんなことすら気づかずーーいや、気づこうとすらせず、マルクスが止めるまで止まらなかった。
マルクスがいなければきっと、小夜に対して唾棄すべき行為を働いただろう。
フレイアルドは、自分で自分が許せなかった。守ると言っておきながら傷つけようとした自分が。
(愚か者。……サヨはまだ十八だ)
しかも長年の栄養失調と二年にわたる監禁で心も体も成長しきっていない。
見た目だけなら十四くらいにしか見えないのだ。
そんな娘をどうこうしようなどと思う男は、はっきり言って鬼畜だと思う。
ーー小夜が自分を男として見ているか、それすら分からないというのに。
自分が小夜を求めていないといえば嘘になるが、大人としての分別くらいある。
小夜が成人し髪を上げるその時まで、フレイアルドは待ち続けるつもりだ。
そこではたと気付く。
(そういえばサヨに『髪上げの申込』をしたことを、伯爵には言っていなかったな)
知られたら殺されるかもしれない。
伯爵も恐ろしいが、あの奥方も怒ると恐ろしい。最悪、小夜を伯爵領に隠されて会えなくなってしまう。
そうならぬ為には小夜本人、それから目撃者のラインリヒとバルトリアスには早急に口止めをしなければなるまい。
いま屋敷にいるのはラインリヒだけだ。
立ち上がり、早速口止めに向かおうと足を動かした時だった。
通信の遺物の鏡面が揺れている。
報せの音が鳴るのとほぼ同時に受信すれば、相手はバルトリアスだった。
揺れ動く鏡面がはっきりとその姿を映すと、間髪おかずバルトリアスは口を開く。
『ーー火急だ』
フレイアルドは一瞬で身構えた。
『サヨは屋敷にいるか? いるならば今日は外へ出すな』
「サヨは伯爵夫妻と下町へ出ております」
遺物越しにバルトリアスが舌打ちする。
遺物に触れる自身の指に力が入った。
『あの父がまた愚かなことを言い出した。エマヌエルの処刑を公開に切り替えるとな』
「!? どういうことですか? 王宮内で行う予定では」
死刑判決が下ったエマヌエルだが、その若さから処刑方法は毒杯を仰ぐことになっていた。
王宮内の牢で、密かに行われると。
しかしそれが今になって覆されたと言う。
『変更だ。北東の大広場で公開処刑となる』
それもおかしな話である。
王都の下町には大広場とされる開けた場所が四つあり、それぞれ北東、北西、南東、南西と方角の名がついている。
処刑が行われるとすれば、このうち南西の広場のはずだ。
南西は下町でも最下層民が住む地域が故である。
『聞いて驚くなよ? 父の側室の希望だ』
「……は?」
フレイアルドはバルトリアスが何を言っているのか一瞬分からなかった。
まさか側室の希望と言っただろうか?
『あの父にしてあの側室あり、だ。ーー今日誕生日を迎える側室がな、祝いに趣向を凝らして欲しいと父にねだった。その結果父は大犯罪者の処刑鑑賞という贈り物を用意したわけだ。側室は大喜びらしい』
「無礼のほどお許しを。ーー吐き気がします」
『俺もだ』
そんな男がこの国の王太子なのである。
自分でなくともバルトリアスに即位して貰いたいと願うはずだ。
『自分が足を運ぶのに最下層民のいる南西の大広場は相応しくない、北東にしてほしいとの側室の希望だ。これではどちらが犯罪者なのか分からぬ』
フレイアルドも同意見だった。
いくら人を殺したとは言っても、その命を玩具のように扱う王太子と側室を心の底から軽蔑した。
だが今はそれどころではない。
下町で今日処刑が行われるのならば、小夜が鉢合わせすることだけは避けなければならなかった。
エマヌエルにも、王太子にも。
『レイナルドがついているのならば、処刑が耳に入った時点で引き返す筈だが、混乱が生じればどうなるか分からん。だが俺は動けん。俺の配下に探させる訳にもゆかぬ。其方、後を追えるか?』
「すぐに出ます」
伯爵家の馬車ならば、足取りを追うのはそう難しくはない。
問題は時間だった。
『ならば急げ。昼の三の鐘と同時に始まるはずだ』
フレイアルドは頷き、通信の遺物から指を離す。
壁にかけている愛用の剣を取り、部屋を飛び出した。
廊下を駆け抜け、階段を降りるところで異常を感知したマルクスが現れる。
足を止めようとしない自分にぴったり付き従う執事長へ質問を飛ばした。
「マルクス、伯爵夫妻は今日どこへ行くか聞いていたか」
「本日は確か、サヨ様のご衣装を揃えに行かれると仰っていました」
バルトリアスでなくとも舌打ちしたい気分だった。
伯爵夫妻が小夜の服を揃えるならば北東の商家街しかない。
「説明はあとだ。サヨの後を追う」
「すぐに馬車を回します」
今は昼の二の鐘の手前。
一刻も早く追いつかねばならなかった。




