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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
二章

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16.使命


 夫妻と共に出掛ける前、小夜はマーサから何度も何度も言い含められた。


「よいですかサヨ様。決してご両親と護衛から離れてはいけません。一人でふらふらと路地裏などに入ってはなりませんよ」

「わかりました……」


 こくこくと頷く小夜にマーサはようやく外出させる決心がついたらしい。

 今日の小夜は以前のような町娘の扮装ではなく、薄いレースを幾重にも重ねて日除けをしながらも、風通しの良い桃色のワンピースだった。

 そこにつばの大きな白い帽子を合わせる。

 

 マーサが小夜の仕上がりを満足げに眺めていると、自室の扉が叩かれた。

 フロルが対応すると、どうやら夫妻の護衛が小夜を迎えにきてくれたらしい。


 扉の前で敬礼する護衛の顔に小夜は見覚えがあった。


「昨日、応接室の前にいらっしゃった方ですね」


 水色の髪を一纏めにした長身の女性騎士は小夜の前に膝をついた。


「シェルカと申します。お嬢様」

「お、お嬢様?」


 小夜は呼び慣れぬ呼称に戸惑うが、女性騎士は譲らなかった。


「私は伯爵家に仕える騎士でございます。伯爵家のご令嬢となられる貴女様は私にとってお嬢様でございます」


 まるで歌劇団のトップスターのような出で立ちの騎士に言われ、小夜は赤面した。

 女性騎士は立ち上がり、小夜に手を差し出している。


「ご夫妻はすでに準備を整え馬車に向かわれました。そのため、私がお嬢様のお迎えの任を仰せつかったのでございます。参りましょう」

「はい……」


 ただ馬車に向かうため迎えにきた。それだけなのにまるで歌劇の名場面のようである。


(フロル、大丈夫……?)

 

 シェルカと小夜のやりとりを横で見ているフロルの顔は、可哀想なくらい真っ赤になっていた。変な扉が開かなければいいが。

 シェルカの案内で下に降りた小夜を、後ろから呼び止める声がした。

 フレイアルドである。


「サヨ、どこかへ行くのですか?」

「はい。父様母様と、王都見物してきます」


 実際王都のどこへ行くか聞いていなかった小夜は見物としか答えられなかった。


「ーーご夫妻と一緒ならば、何もないとは思いますが……伯爵とアマーリエ殿のいうことをよく聞くんですよ」

「はい、いってきます」


 最後に見たフレイアルドは少し寂しそうに微笑んでいた。



 本邸の正面玄関前に停められた馬車の前には、すでに夫妻が揃っていた。


「お待たせいたしました」


 小夜が詫びると夫妻は笑顔で応えた。


「急いでなどいなくてよ。さ、行きましょう」


 伯爵家の馬車は四人乗りらしい。

 長旅に耐えうるように座面は柔らかく押し戻すような感触さえある。

 背もたれの布も小夜の頭がすっぽり隠れる高さまで貼られ、すべすべと気持ちがいい。

 出入口からみて奥側にアマーリエと小夜が座り、伯爵とシェルカが手前側を固めた。


 滑らかに進み始めた馬車の中から小夜は外の景色を覗いた。

 前に出掛けた時よりも日差しは強く、どの屋敷も花々が短い夏を楽しむかのように咲き乱れている。


「今日は下町の中でも貴族御用達のお店をまわりますからね」

「下町、ですか?」


 初めて聞く呼称だったが、それはどうやら運河の向こうのことを指す言葉らしい。

 王宮と貴族街の周りをぐるりと囲む運河の外を総称して下町と呼んでいるのだと。


「下町にも貴族向けの商品を扱う店が立ち並ぶ場所と、市民向けの市場が立つ場所は全く違いますよ」

「そうなんですか……」


 どうやらこれから向かうのは、フレイアルドと訪れた市場とは全く趣が異なるらしい。

 それはそれで初めての景色が楽しみである。

 小夜はうきうきと窓の外を眺め続けた。


 ***


 アマーリエは楽しそうに窓の外を覗く小夜に、昨夜のことを思い出した。


 バルトリアスが退席し夫妻が案内された客室に移ってしばらく経った頃、侯爵が密かに夫妻の客室を訪れたのである。

 彼は小夜との出会いから今日に至るまでの事情を全て自分達に打ち明けるため、訪問したのであった。


 もちろん夫妻は息子からある程度の事情は聞いていたため、最初は驚かずに聴くことができた。


 しかし侯爵本人から語られた物語は、息子が話したものよりも生々しく、辛い現実だったのである。


 侯爵家秘蔵の遺物から現れた幼い小夜。

 その頃すでに実の親より虐待を受けていた幼子を、まだ少年だった侯爵は保護したいと思っていた。

 しかし侯爵自身が貴族院に寄宿生として放り込まれてしまい、それは叶わなかった。


「部屋にーー帰ってこない私を待つ手紙が、何通も何通もありました。どれだけの夜、一人で待っていたのかーー」


 アマーリエはもうそれだけで、胸が潰れそうだった。

 それまで頼る者がなかった子供が、やっと見つけた寄る辺。

 それすら唐突に奪われてしまったのである。


 そして約十二年の時を経て再会した時、小夜は衰弱しきった状態だった。


 今でも細すぎて、歩いているだけで倒れるのではと不安になるのに、その時の少女はもっと痩せていたらしい。

 繰り返された暴力の跡は、目を覆うほど酷いものだったと。


 思い返すだに、腹立たしいことだ。


 初耳だったのはそのような過酷な環境で、小夜がなんと医学書を翻訳していたということだった。


 侯爵に翻訳したものを見せて貰った夫妻は度肝を抜かれたものである。

 膨大な量だ。しかしそれすら一端だという。

 そして改めて、娘はどれだけその身の価値を理解していないのかと頭を痛くした。


(この功績だけで……サヨはどこへでも嫁げるでしょう)


 無論、本人が望めばだが。


 夫妻が衝撃を受けたのは更にその先だった。

 翻訳の中に紛れ込むように残された、小夜の実の弟が書いたという走り書き。

 それまで別の世界があると頭では理解したつもりだった夫妻は、その文字を見てやっと実感したのである。


 侯爵も夫妻もその走り書きを読むことは出来ないが、小夜が読んだ文を一言一句間違うことなく覚えていた侯爵によってその内容を知った。


 ーー外も見えない部屋に、二年も閉じ込め殴り続けた上、親子ほど歳の離れた男に嫁がせる。


 予め息子から小夜が凄絶な虐待を受けていたことを聞いていてもなお、夫妻はその生々しい嘆願に怒りを爆発させた。


「親ではないーーそんなものは! 親ではない!!」


 特に夫である伯爵の激昂は凄まじかった。

 同様に怒りを感じていた自分が止めに入るほどには。

 抑えきれない怒りを覚える自分達に、侯爵は驚くべきことを語った。


「小夜は弟を救うことを諦めてはいません」


 夫妻は絶句した。

 

 あんなにか弱い娘が弟を救おうと、一度は怪我を負った状態で帰ろうとしたと。

 それを殿下が止めたと聞き、夫妻は殿下への感謝の念をより深めた。

 件の遺物は殿下により封印され、小夜が帰れるのは弟が許した四年後となる。


 フレイアルドは、そこで二人に頭を下げた。


「ーー祝福のことを置いても、どうかこれら全て承知の上で、サヨの家族となって頂けませんか」


 侯爵は小夜の庇護者ではなく『家族』を自分達に求めた。

 その意味が分からない二人ではない。

 二人は一度、顔を見合わせた。


 身分の上では侯爵は伯爵よりもはるかに上である。

 その侯爵が膝を降り、頭を垂れる。

 この身分社会ではあり得ない、あってはならぬ事だ。

 だが夫は怯むことなく厳しい目で侯爵を見下ろした。


「なぜ其許がそれを願う。儂らが拒絶すれば、他にサヨを受け入れられる貴族など、そうは見つかるまい。その方が其許には都合がよいのではないか?」


 孤独な娘を言いくるめることなど簡単だろう。ましてや、親という後ろ盾も庇護者もない娘ならばなおさら。

 夫ははっきりと言わなかった。

 それはおぞましいことだからだ。

 もし僅かでもそれを望む気持ちを侯爵が見せたならば、夫は決して小夜を侯爵に預けなかっただろう。

 

 しかし侯爵は一切の揺らぎも、欲望も見せなかった。

 

「サヨが泣いて望む家族を、私は与えてやることが出来ない。それではあの子は永遠に満たされないーー私は全て満たされたあの子に、ただのフレイアルドとして望まれたいのです」


 そこには噂に聞くフェイルマー侯爵の姿はなかった。

 ただひたすらに、一人の少女と共に幸せになりたいともがく男の姿しかなかった。


 夫が珍しく、一瞬だけ困ったような目をしたのをアマーリエは見逃さなかった。

 しかし次に見たときには、決意の光が灯っていた。


「……サヨは、もう儂らの娘と思っておる。其許や、殿下に頼まれたからではない。儂らが望んだからだ」


 夫は口には決して出さなかったが、侯爵を見直したのだと思う。

 それゆえに侯爵の申し出を受け入れた。


 ーー途中までは。


「転移の遺物を繋げることは構わん。だがサヨが週に六日も王都で過ごすとはどういうことか。一日しか儂らと過ごせんではないか!」

「では五日で」

「多い。二日だ!!」

「それではサヨはほとんど伯爵領に行ったっきりではありませんか。四日です」

「貴様先ほどの殊勝振りはどこへやったあ!!」


 なかなか着かない決着の行方を、アマーリエは苦笑いで見届けた。

 

 将来この二人が義理の親子となったらーーそんな未来を、ほんの少し想像したりもした。

 しかし全ては小夜が望めば、だ。




「母様、どうかされましたか?」


 アマーリエの視線に気付き、そう問いかけてくる娘へ微笑みかけた。


「いいえ? 何でもなくてよ」


 未だ濃厚な昨夜の記憶と目の前の小夜。

 その二つを照らし合わせたアマーリエは、思ったよりも重症であることに、やっと気づいた。


 もちろん小夜が、である。


(ゆっくり、ゆっくり癒さなくては)


 それが母親になった自分の使命だと、アマーリエは悟ったのだった。



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