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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
二章

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15.朝食


 伯爵夫妻との朝食会を無事に終えた小夜は、午後からの外出を約束して食堂を離れた。


 マーサと共に、広い侯爵邸の中を自室に向かって歩いていく。

 小夜の半歩先を歩くマーサが、ふとこちらを振り返った。


「大変ようございましたね」


 マーサが何について良かったと言っているのか小夜はすぐ分かった。

 

「マーサ……ありがとうございます」


 フロルが提案してくれて、マーサがあの場を整えてくれなければ、このような幸せな気持ちにはなれなかっただろう。


「マーサとフロルがいなければ、わたし、父様が怖いままでした」


 もう小夜の中には、伯爵を怖いという気持ちは露ほどもなかった。

 マーサは侍女に礼は不要でございます、というが、小夜は何度でもお礼を言いたい気持ちだった。

 そして二人を自分の侍女としてくれたフレイアルドにもお礼を言いたかった。


 そんな小夜とマーサが、フレイアルドの自室前を通りかかった時である。


 困り顔のマルクスが部屋の前で、手に料理の乗った皿を持って佇んでいた。


「マルクスさん、どうしたんですか?」


 小夜が問いかけるとマルクスは手に持った料理を示して、肩を竦めた。

 小夜達が朝食会で食べたのと同じような内容が一枚の皿の上にこれでもかと盛られている。

 あまり食欲が進みそうにはない盛り付け方であった。


「これはサヨ様……どうもこうもございません。旦那様がまた、お忙しいからと朝食に手を付けて下さらなかったのですよ」

「フレイアルド様が……?」


 どうやらマルクスが持っていたのは、フレイアルドが残した食事らしい。

 常日頃小夜の食事と睡眠にうるさいフレイアルドだが、彼自身の管理はおざなりだという。


「こう暑いと良くあることですが、あまり眠らずお食事も疎かにされます。何とか改善して頂こうとあれこれ試してはおりますが」


 どうやらあまり改善はされていないようである。

 小夜は料理の乗った皿を見て、一つの提案をした。


「あの……料理長は気が進まないかもしれませんが」


 小夜がした提案にマルクスとマーサは顔を見合わせ、一度試してみようということになった。

 

「どうかサヨ様にもご協力頂きたく」


 マルクスの言葉に小夜はしっかりと頷いた。

 フレイアルドの為ならば、どんな協力でもするつもりである。

 一度厨房に戻ったマルクスを待って、小夜はフレイアルドを訪ねることにした。

 ちょうど、小夜から彼に伝えたいこともあったのだ。


 ***


「フレイアルド様。小夜です。入ってよろしいですか?」


 扉の前でそう尋ねれば、少しも待たずに中から開けられた。

 フレイアルドは小夜の姿を見て驚いている。


「貴女が私の部屋に来るのは珍しいですね」

「はい、その……」


 小夜はまさか、フレイアルドにご飯を食べて貰うために来ましたとは言えず、理由を探した。


「どうぞ入って下さい。私に何か、話があるのでしょう?」

「は、はい」


 フレイアルドに導かれるように入った彼の部屋はすっきりとしていた。

 小夜の部屋のような華やかさはないが、調度には黒檀に似た木が使われ、落ち着いた印象である。

 小夜の部屋と大きく違うのは、壁一面と言っていいほどの書棚と、人が一人横になれるほど大きな執務机がある点だった。


 まるで執務室である。


 フレイアルドは長椅子に小夜を誘導すると、自身も小夜の横に静かに掛けた。

 明るいところで見ると、フレイアルドの眼の下には隈がある。


「ご夫妻と朝食会をしたそうですね」

「はい、フロルが提案してくれました」


 フレイアルドは満足そうに微笑んでいる。

 その顔を見た小夜の胸の奥が、小さな音を立てた。

 その音を誤魔化すように小夜は切り出す。


「あ、あの、実はですね、マルクスさんからフレイアルド様はあまり食欲がないと伺いまして」


 小夜はマルクスに目配せをする。

 心得た様子のマルクスは、先ほど小夜が提案した通りの料理を、二人の前に置いた。

 フレイアルドでも初めて見る料理だったらしく、顎に手を当て思案している。


「これは?」


 フレイアルドが皿から一つ持ち上げる。

 

「これはサンドイッチといいます。パフタでお肉と野菜を挟んでもらいました」


 パフタというのは、向こうでいうところのパンだ。

 バゲットと食パンの中間に位置する食感と風味で、どんな料理にも合う。

 小夜はそのパフタに、食べやすく切った肉と野菜を挟んでもらった。


「お忙しくてもこれなら片手で召し上がれます。本当は、きちんと食べて頂きたいのですが……」

「……私に」


 ぽつりと呟くと、フレイアルドはサンドイッチの一つを手に取り、齧り付いた。

 小夜は食べるフレイアルドの横顔を、ドキドキしながら見守っていた。

 一つ目があっという間に消えそうだ。

 

 最後の一口を飲み込んだフレイアルドは、感心したように何度も頷いた。


「不思議ですね。挟んだだけなのに、とても食べやすい」

「良かった……!」


 フレイアルドが食事をしたことに、マルクスは驚いてる。

 小夜もほんの少し自分が役に立てたようで、顔が緩むのを抑えきれない。


「もう少し食べても?」

「はいっ」


 その言葉通り、フレイアルドは火がついたように小夜の前で食べ進め、なんとマルクスが持ってきた全てのサンドイッチを完食した。

 小夜とマルクス、マーサは顔を見合わせ、無言で成功を喜びあったのである。


 食後は、マルクスが消化に良いというお茶を淹れた。もちろん小夜の前にも茶器が用意される。

 お茶を飲み、緊張が解けゆったりと流れ出した時間が流れる。小夜はフレイアルドに伝えたかった思いを、この場で話すことにした。

 

「フレイアルド様、わたしにマーサとフロルという素晴らしい侍女を付けてくださって、本当にありがとうございます。それから……」


 小夜は自分の服をぎゅっと握りしめた。

 朝食会の時から、フレイアルドに伝えたかったことがあるのだ。


「父様と昨夜話し合ってくださったと聞きました。ありがとうございます」


 昨日の応接室では剣呑な雰囲気さえ出していた父と、フレイアルドは話し合ってくれた。

 その上小夜が伯爵領と侯爵邸を行き来できるよう頼んでくれた。

 小夜にはそれがとても嬉しかった。


 フレイアルドは長い睫毛を伏せると、茶器を置く。


「……私の希望を伝えただけです。貴女のお父君が貴女のことを思って、決めた。それだけですよ」


 そうは言っても、朝の父の様子ではきっと一筋縄ではいかなかったことだろう。

 けれどフレイアルドは、説得に苦労したなどとは一言も言わなかった。

 

 フレイアルドは小夜の知らないところで小夜の為に奔走しても、決してそれを押し付けがましく話したりはしない。


「……父様母様と一緒にいられるのはもちろん嬉しいです。……でもわたし、とても欲が深くて……フレイアルド様のおそばにも、いたいんです」

「……サヨ」


 自分の顔に血が集まるのが分かったが、小夜はちゃんと伝えたかった。

 照れ臭さからフレイアルドの顔が見れず、俯いて自分の膝ばかり見てしまう。


「むかし、朝も昼も夜もずっと一緒だって、フレイアルド様が言ってくださったので」


 子供の頃のことだ。

 彼はとうに忘れているに決まっている。


「フレイアルド様が貴族院へ行かれる少し前でしたが……嬉しかったです」


 親から愛されず、まるでいないものとして扱われていた幼い自分。

 その心を救ってくれたフレイアルドに小夜はずっとずっとお礼が言いたかった。

 けれどこちらに来てからは色々なことがあり、ゆっくりお礼を伝える機会がなかなか得られず、小夜の心の中には彼への感謝の気持ちが溜まる一方になっていたのだ。


 勢いをつけて顔を上げると、そこには口を少し開けたまま固まるフレイアルドがいる。

 彼の目をまっすぐ小夜は見つめた。

 

「ありがとうございます、ずっと……待っていて下さって。それから……今も、こうして守って下さって。だからわたしも、出来る限りフレイアルド様のお役に立てるよう頑張りますね」


 彼の開いていた口が、何かを呟くように小さく動いた気がした。

 しかしそれきりフレイアルドは小夜を見つめたまま黙ってしまった。


「……フレイアルド様?」


 フレイアルドの目がすっと細められ、指が小夜に伸びる。

 人差し指と中指の背で、すりすりと小夜の頬を撫でた。


「どうして貴女はそうやって……私の欲しいものばかりくれるんでしょうか」

「欲しいもの……?」


 小夜はただ、これまでの感謝と今後の抱負を述べたつもりだった。

 フレイアルドは小夜を撫でていた指で、髪に触れる。

 細められていた目が蠱惑的に小夜を覗き込んだ。


「ええ。ーーサンドイッチ、というのも非常に美味しかったですしね」


 小夜はなるほどと思った。

 フレイアルドは相当サンドイッチを気に入ってくれたらしい。

 自分が考案したわけでも、調理したわけでもないが彼の力になれて良かった。そう思った。


 それに、フレイアルドがご飯を食べているところを見ると、小夜はなぜか幸せな気分になる。

 だからと、深く考えず発言した。


「わたし、今日父様と母様と朝ごはんを食べられて、とても幸せでした。なので今度は、フレイアルド様とも一緒に朝ごはんを食べたいです」


 ーー小夜がそう言った瞬間。


 室内の空気が、凍りついた。


 フレイアルドも、マーサもマルクスも、部屋の空気と共に凍り付いたかのように微動だにしない。


 フレイアルドは目を見開いて固まってしまったし、マルクスはお茶を注ごうとしていたのだろう、中腰のおかしな姿勢で止まっている。

 壁際にいたマーサは両手で顔を覆っている。


 小夜は自分の顔から血の気が引いていくのが分かった。


(え、も、もしかしてこれは、言っちゃだめだった……?)


 小夜はただ、フレイアルドと朝ごはんを一緒に食べたいと言っただけである。

 どうしようと小夜が慌てふためいていると、再起動したフレイアルドが、静かに立ち上がった。


「サヨ」

「ご、ごめんなさい、フレイアルドさまーー」


 慌てて謝ろうとする小夜を、立ち上がったフレイアルドがふわりと抱き上げる。

 耳元にそっと囁かれた。


「いきましょうか」


 そしてフレイアルドは何を考えたか、ーーそのまま隣の寝室へと足を向けた。

 抱き上げられて呆然とする小夜は抵抗していいのか分からず固まったままだ。

 あと数歩で寝室の扉、というところで正気に返ったマルクスが叫ぶ。

 フレイアルドに追いつくと小夜を運んでいる腕を掴んで止めた。


「旦那様!! なりません!!」

「サヨの望みだ」


 フレイアルドはマルクスを一瞥することなく寝室の扉に手を掛けようとする。

 だがマルクスは先んじて扉の前に立ち、通せんぼをした。


「伯爵に殺されます!!」


 伯爵、殺される、どちらの単語にかは分からないがフレイアルドはピクリと反応した。

 マルクスは脂汗をびっしりとその額に浮かべている。


「サヨ様とてそのようなおつもりはないはずです!!」

「ーーサヨ、そうなんですか?」


 問われた小夜はこくこくと必死に頷いた。

 ただ一緒にご飯が食べたかった。

 それ以上に含めた意味など無かったのだが、こちらではどうやら別の意味を持つらしい。


「……わかりました」


 そのまま小夜を下ろしたフレイアルドは、小夜に目線を合わせるよう腰を落とす。


「サヨは本当に私とご飯を食べたいだけ、ということでいいんですか?」


 残念そうな顔に小夜は酷い罪悪感を覚えるが、その通りである。

 むしろ違う意味があるなら教えて欲しかった。


「は、はい……ごめんなさい、あの……」


 小夜が言い終わる前にフレイアルドは小夜を強く抱き締めた。そのまま小夜の肩の上で、長くて深い溜め息をつく。


「……いえ。愚かなのは私なので忘れて下さい」

「ほんとにごめんなさい……」


 小夜は反省した。

 自分の無知のせいで、なにやら大変な誤解を与えフレイアルドを苦しめてしまったようだ。


 今日の夜からアマーリエがこちらの文化を教えてくれると言っていたから、その時にでも正しい意味を教えて貰おう。

 小夜は忘れないように心の中でメモをした。

 

二章も折返し地点となりました。

引き続きお付き合い下されば嬉しいです!

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