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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
二章

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10.日暮


 日が落ち始め、あかりの灯された応接室の中はまるで誰もいないかのように静まり返っている。

 しかしその部屋の長机を囲むようにならんだ長椅子には、王族、侯爵、伯爵一家という錚々たる顔ぶれが並んでいた。


 各自の手元の茶は冷え切っていたが、マルクスが淹れなおすことはなかった。

 普段ならばそんな不調法なもてなしなどしないマルクスだが、今はそれどころではないのだろう。

 これから語られる機密事項を守らんと、扉の前に仁王立ちしている。

 

 ザルトラ伯爵夫妻は先ほどのフレイアルドの言葉に声を出すことを忘れるほど驚いていた。

 

 伯爵は蒼白になり口髭を僅かに震わせ、アマーリエは手巾で口元を覆った。

 名将と知られた伯爵でさえ、事態を飲み込むのには時間を要しているようだ。


「……まさか、そのようなことが」


 しかし、それだけ口にするのが精一杯だったらしい。

 フレイアルドは夫妻の受けた衝撃に配慮することなく淡々と続ける。


「事実です。ーー最初に気づいたのはラインリヒでした」


 夫妻は勢いよく息子の方を向いた。

 ラインリヒは沈痛そうな表情を夫妻に見せる。


「……サヨの怪我の治療に使った遺物は、もうあと一度か二度で休眠する状態だった。オレは目の前の怪我人ですぐ頭がいっぱいになるから、その時は深く考えてなくて……でもサヨに使い終わったあと、完全に祝福で満たされた状態の遺物をみて、やっと気づいたんだ」


 今まで話せなくてごめん、とラインリヒは夫妻に頭を下げる。

 アマーリエは目を瞑りこめかみを揉み込んだ。


「このようなこと、あなたの一存で私達に話したりしたら、引っ叩いておりましたよ」


 いい年をして母親に折檻される寸前だったと言われ、ラインリヒは何とも言えない渋い顔をした。

 夫妻がラインリヒからフレイアルドへと視線を戻す。

 夫妻からの圧を感じたフレイアルドは口を開いた。


「サヨはその身の治療に使った遺物だけでなく、触れただけのものも祝福できることを確認しています」

「なんですって?」


 フレイアルドは昼に小夜の祝福を検証した内容を二人に語った。


「ハピの卵ほどの大きさの遺物ならば、その手に持った一瞬で満たしておりました。本人は異常や体調への変化も感じておりません。それから……サヨはまだ加護の確認をしていないので、祝福で満たしても自分では見えないようです」

「付け加えるならば『銘入り』の遺物も、極めて短時間で祝福してみせた」


 フレイアルドとバルトリアスから立て続けに語られる事実に夫妻は目を丸くし、言葉を失っている。


 『銘入り』とは遺物の中でも固有の名と特別な祝福を女神から与えられた遺物である。

 バルトリアスが小夜に祝福の検証で身につけさせた腕輪などがそれにあたる。


 それらはほとんどが、家宝もしくは秘宝として各家で厳重に管理されている。

 小夜が祝福した腕輪はおそらくバルトリアスの所有物だと思われた。


 いまだ衝撃から戻ってこられないでいる伯爵夫妻は、ここへ来るまでこんな話をされることなど夢にも思わなかっただろう。

 ラインリヒから、夫妻には小夜の祝福も医学書の翻訳も伏せた上で養女の打診をし、その許可を得たとフレイアルドは聞いていた。


 二人は最初から損得ひとつ考えずに小夜を娘にしようとしてくれた。

 フレイアルドは表には出さなかったがそんな二人に感謝していたのである。

 しかし、現実を突きつけられた夫妻はこれからどうするのだろうか。


 小夜の現状に伯爵は硬直し、奥方は今にも倒れそうになっている。

 健康そのものという奥方の顔色は今は白く、その額には汗の粒が確認できる。

 伯爵は妻の様子に気付くと、その肩を支えた。


 アマーリエの唇が震えながらフレイアルド達に向かって開かれる。


「あの子は、サヨは……それがどういうことか、分かっているのでしょうか」


 小夜の心配をするアマーリエは、口にあてていた手巾を握りしめる。

 握る指が白くなる程に。

 ラインリヒは悲しげに首を振った。


「多分まだ理解してない。自分にとってそれが良いことか悪いことか……この国で自分がどんな存在として扱われるかも、分かってない」

「あぁ……!!」


 両手の平で顔を覆ったアマーリエは、悲痛な声をあげた。


「どうして……!! 女神はあの子がお嫌いなの!?」


 アマーリエの嘆きは現在のシリューシャの国内情勢、また他国との関係を知る貴族ならば理解できるものだ。


 どの国にも遺物が足りない。


 長い間ーー遡ることが難しいくらいの時間、人々は生活のあらゆることを遺物に頼ってきた。

 比較的遺物を温存してきたシリューシャでさえ、ここ数十年で遺物が休眠したゆえに絶えた貴族の家は数えきれない。


 だが小夜は何ひとつ知らずにそんな力を得てしまった。

 伯爵は妻の傾いた上体を支えながら、彼自身も険しい顔をしている。


「殿下が仰っていた我等に話したいこととやらを、伺えますかな」


 バルトリアスは静かに頷く。


「まず先日の事件により怪我を負ったサヨの治療に、大叔父殿を始めとした複数の貴族に遺物を借り受けた。無論、祝福のことは勘づかれている」

「何ですと!?」


 バルトリアスは今にも激昂しそうな伯爵を前に、落ち着き払っている。

 フレイアルドもここまでは聞いていたため、まだ冷静でいられた。


「サヨのことは一切伏せ、金銭で黙らせたが、大叔父殿は俺の後見人だ。それで済むはずがない」


 バルトリアスが大叔父殿と呼べる人物は一人しかいない。

 伯爵は両眼を揉み込むように押さえ、唸った。


「エルファバル大公……!!」


 それはこの国唯一の大公ーー公爵よりも上の地位に位置する、臣下として最上の位を持つ男の名だった。


 伯爵の動揺を責められる者などいない。


 エルファバル大公といえば現国王と父母を同一にする唯一の弟君だ。

 生粋の王族でありながら現国王即位時に臣下に降られ、以降は大公領を治める傍ら国政の重鎮として辣腕を振るっている。

 現国王が唯一強硬手段に出られぬ相手といえばその権力の大きさ、権勢の強さが分かる。


 またバルトリアスの後見人でもある大公は、その優れた人格によって多くの貴族の支持を集めている。

 あの王太子などが逆立ちしても遠く及ばないほどにだ。


 フレイアルドが何度周囲を探っても埃一つ出さぬ狸でもある。


 バルトリアスの言葉の続きを全員が息を呑んで待った。


「ーー俺は、サヨがザルトラの家系図に載った段階で、大叔父殿にサヨの後見人をつとめて頂くのが最も安全であると考えている」


 バルトリアスを囲む面々の間に、水を打ったような静けさが広まる。

 夫妻は事態の大きさに恐縮しているし、それはラインリヒも同様だ。

 伯爵家からすれば、大公など雲の上の人も同然である。

 無論バルトリアスとて国王の孫で王太子の息子なのだから天上人には違いない。


 しかしザルトラ伯爵とバルトリアスは旧知の間柄らしいから、ここまで砕けた話が出来るのだろう。


 一方のフレイアルドはただ驚いていた。

 バルトリアスがまさかここまで小夜を気にかけているとは思わなかったのである。


 エマヌエルの事件以降、バルトリアスが小夜を心配しているのは知っていたし、その言動から気に入っていることも分かっていた。

 だが小夜を守るために、大公の助力を得るとなれば次元が異なる。


 フレイアルドは嫌な予感を抱えながら、静けさを破るようにバルトリアスの提案へ意見した。

 

「大公閣下はまだサヨのことをご存知ないのですよね? いかにして、後見を願われますか?」

「明かす。それ以外ない」


 フレイアルドはぎりりと拳を握り込んだ。

 それでは、小夜は王族と諸侯の前にいずれ引きずり出されることになる。

 

 フレイアルドの掌から、出て行ってしまう。

 

「サヨの存在を明かす、と?」

「そうだ。既にあの大叔父殿のことだ。貸し出した遺物がどこの誰に使われたか手の者に調べさせているだろう。この屋敷にたどり着くのも時間の問題だ」


 フレイアルドはそれに一切の反論ができなかった。

 この家はただでさえ、事件のせいで注目を浴びている。

 

 そこに貴族になったばかりの、誰にも知られていない娘がいると分かれば。

 大公が小夜と祝福された遺物を結びつけるのには幾らも時間が掛からないだろう。


「ゆえに、そうなる前にこちらから明かす。信頼関係を得るにはそれが最善だ。その上でサヨの後見を頼み、フェイルマーとザルトラで固める。そうすればいかな国王といえど手は出せまい」


 伯爵夫妻は顔を見合わせ、頷きあった。

 長年連れ添い、激動の時代を生き抜いた二人には言葉など必要ないとでも言うように。

 決意を固めた夫妻は真っ直ぐにバルトリアスを見た。


「ザルトラ家の意思は変わりませぬ。サヨにどのような事情があれ、すでに我等が娘です。あの子を守るためには殿下の案が最も有効と存じます。ザルトラ家は、貴方様に従いましょう」


 二人は席を立ち、バルトリアスの前に膝をついた。ラインリヒも追従し夫妻の後ろで膝をつく。

 それは長年中立を保ってきたザルトラ家が、バルトリアスを支持すると表明した瞬間でもあった。

 

 一家を見下ろしていたバルトリアスの、あかりに照らされ昼間よりも陰影の濃くなった顔がフレイアルドに向く。

 その群青色の瞳がまるで、許しを請うているように見えてしまった。

 

「フレイアルド。ーー其方は、どうだ」


 そう言われ、立ち上がった。

 葛藤がないといえば嘘になる。

 

 しかし、フレイアルドが選び取れる道は一つしか用意されていない。

 小夜から嫌われずに、小夜を失わずに、共に歩み続けられる道はこれしかない。

 脇道の幅が一人分しかない以上、フレイアルドが取れる行動はひとつである。


 夫妻とラインリヒに並び、跪拝した。


「フェイルマーはサヨに危険が及ばぬ限り、殿下のご意志に従いましょう」

 

 フレイアルドは跪拝しながら、無性に小夜の顔が見たくなった。

 その声で呼んでほしかった。



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