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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
一章

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24.清光


 一本だった光が、ゆっくりと幕が開くように広がるのを見ていた。

 

 視界の端に鈍い銀色の光がチラついたが、幕の中から月光を背負って現れたその人だけを見ていたから、何も怖くなかった。


 風切り音が一つ聞こえた。


「ーーう、うわあぁぁぁぁぁああ!!」


 顔を掴んでいた手が離され、小夜はそのまま倒れ込む。

 同時に、目の前にいた少年が小夜の視界から消えた。

 ーーその代わりに目の前に現れたのは。


「フレイ……アルド……さま……」


 息を切らせて小夜を抱き上げる彼は、小夜がもう一度会いたかった人だ。


「ーー待たせてすみません」


 小夜はフレイアルドの胸に耳を当て目を閉じた。

 彼のいつもよりずっと速い鼓動が聞こえる。


「すぐに手当てしましょうーーあちらも終わったようですから」

「……?」

「目を閉じていて下さい。辛いでしょう」


 力強い腕に持ち上げられ、小夜ははっとした。

 言っておかなければならないことがある。

 早く伝えたいのに口が上手く回らなかった。


「フレイアルドさま……その人、ころしちゃ、だめ……ふたり、ころしたの……」

「侍女の二人のことですね」


 頷く小夜に、フレイアルドは大丈夫です、と請負う。


「致命症ではありません」


 それにほっとした小夜は、フレイアルドの腕の中で疲れたように目を閉じた。


 ***


 執事長の豪腕によって無理やり戦闘中の階下へと引きずり出されたラインリヒは、泣きながら剣を振っていた。


「オレは!! 治すのが!! 仕事なんだよ!!」


 バルトリアスの命を取らんと侯爵邸を襲撃した者たちの腕はかなりお粗末なものだった。

 侯爵邸の私兵がその大半を捕らえ、取り零しをマルクス、バルトリアス、ラインリヒの三名が次々と討ち取っていく。


「ザルトラ伯は良い教育をしておられますな」


 痴れ者の一人を難なく片付けた執事長は、邪魔になるからと通路の端にそれを投げ捨てる。


「うむ、流石だ」


 こちらも新たに一人片付けたらしいバルトリアスが同意する。

 

 侍女や非戦闘員の使用人はそれぞれ避難しており、彼等は日頃の鬱憤を晴らすかのように好きなだけ暴れ回った。

 戦闘が終わる頃には物足りなささえ感じるほどだった。ーーラインリヒを除いて。


 バルトリアスは、剣を投げ捨て床に大の字で転がるラインリヒに近づき、労った。


「なかなかの働きだったぞ」

「……もう勘弁して下さい……」

「馬鹿者、サヨの件が終わっておらぬ」


 その言葉に勢いよく起き上がったラインリヒはバルトリアスに食らいついた。


「サヨの件って!?」

「あぁ、其方いなかったな。行方不明だ」

「ゆっ……!!」


 上気して赤くなっていた顔が白くなり、そのうち土気色になる様は見ものだったと、後にバルトリアスは語った。


「早くさがしにーー」

「ラインリヒ!!」


 玄関広間に大きく響いた声にその場の全員が振り向く。

 そこには淡い色の服を真っ赤に染めた小夜と、それを抱えるフレイアルドがいた。


「サヨ!?」


 一瞬で詰め寄ったラインリヒの機敏さにバルトリアスは舌を巻いた。

 フレイアルドの腕の中のサヨは気を失っているのかぐったりとして動かない。

 その光景にバルトリアスの胸がざわりと音を立てた。


 ラインリヒは手早く患部を確認していく。

 

「後頭部と首、顔ーーは殴りやがったな、畜生!」

「……ん……ラインリヒ、さま?」

「サヨ、あとは何をされた? どこが痛い?」

「おなか……けられた……」

「ーーっ! 寝室へ!!」


 フレイアルドは返事をする間も惜しいとばかりに、人を抱えているとは思えぬ速さで階段を駆け上る。

 ラインリヒは既にいなくなっていた。

 おそらくは遺物を取りに行ったのだろう。


 執事長と共にその場に残されたバルトリアスはその光景を眺めながら、拳を握りしめた。

 掌の皮が破けるほど、強く。


 ***


 小夜の容体は重かった。

 ラインリヒの手持ちの遺物では到底足りず、何度も生死の境を彷徨った。

 バルトリアスがあらゆる権力を用いて遺物を集めていなければ、最悪の事態さえ考えられた。


 幾日も目覚めぬ小夜の側をフレイアルドは片時も離れない。


 襲撃以来多忙を極めるバルトリアスだったが、時間を作っては様子を見るため侯爵邸を訪れていた。


 この日も、執務を終わらせた深夜に顔を出した。


「入るぞ」

「……どうぞ」


 扉を開ければ申し訳程度に礼を取る男がいる。

 上げたその顔を見て、バルトリアスは思った。


 ーーこの男は死んでいる。


 バルトリアスが見た瞬間そう感じるほど、フレイアルドは窶れていた。

 幽鬼と言ってもおかしくない。


「まだ、目覚めないか」

「ーーはい」

「少しは寝ているのか、其方は」

「寝ても……サヨの、嫌な夢ばかり見ますので」


 バルトリアスは歯噛みした。

 あの時、小夜を一人にしたのは己だった。

 フレイアルドかマーサが来るまで、何故一緒にいてやらなかったのか。

 ーーあの時の笑顔が瞼の裏にこびりついて今も離れぬ。


「傷自体は回復しているのだ。いずれ必ず目が覚める。ーー其方も気を強く持て」


 首肯だけで返答し寝台脇の椅子に座り直す男。

 その姿を見ていられず、バルトリアスは小夜の寝室を後にした。


「主が申し訳ございません、殿下」


 見送りに現れた執事長は項垂れている。

 小夜が床に伏してからというもの、この屋敷は火が消えたようにひっそりとしている。

 もともと華やかさとは無縁の屋敷だったが、やはり主家に女性が居るのと居ないのでは大きく違うらしい。


「この俺にも責があるからな。ところで話したいことがある。構わぬか」

「はい。我が主の代わりに、何なりと」


 二人はすぐに用意できる部屋、ということで執事長の私室で机を挟んで向かい合った。


「あの下手人のことだ」


 二人の侍女を殺め、小夜をあのような目に合わせた少年は、フレイアルドにその右腕を切り落とされていた。

 刃物で小夜を襲ったーーということから、その一瞬を避けるためのやむを得ない措置だったのだろう。


 捕縛された少年は、王宮の取調官が音を上げるほど常軌を逸していた。

 一日中フレイアルドを呼び続けているらしい。


『フレイアルド様ぁ……フレイアルド様ぁ……どうして、どうしてそんな女がいいんですか、僕が一生懸命お仕えするのに、どうしてどうしてどうしてどうしてどうして……』


 小夜の件を伏せたとしても、貴族を二人も殺めた少年には極刑しか道がない。

 詰まるところ、この件は国王と王太子の耳に入ってしまった。

 無論、貴族どもがこんな美味しい話題を逃すはずもない。


 今や国中の貴族が涎を垂らして、フェイルマー侯爵家の醜聞を見守っている状態である。

 手を打とうにも当主があの状態では、手段は限られていた。


「フレイアルドは敵が多い。わざとそうして来たツケとも言えるが……」

「しかし、殿下はお味方下さる。我らにはそれが何よりの加護でございます」

「仕方あるまいーーこれも女神の導き、いや、悪戯だろうよ」


 そう。ここまで来て降りることなどもうできない。

 マルクスが手ずから淹れた茶で、バルトリアスは唇を湿らせた。


「しかし一点腑に落ちぬ……何故フレイアルドは、下手人があの場所にサヨを連れ込んだと見抜いたんだ?」


 小夜が連れ込まれたのは、侯爵邸の端にある肥料小屋だった。

 人糞や残飯、腐葉土、家畜の血。それらを集め、より効果的な肥料の配合を研究し、醸成する場所だ。


 マルクスは遠い目をし、おそらくは、と答える。


「あの者がーー初めて旦那様に仕事を任された場所だからかと」


 それ以上多くを語らない執事長も、此度の件では目を掛けた若者を失ったのだと、バルトリアスは己の失言を恥じた。


「ーーどのみち、我等には前進以外ない、か」


 バルトリアスは自分と同じように巻き込まれ、降りることができなくなった者の顔を思い出し、同情を禁じ得ないのだった。


 ーー小夜が目を覚ましたのは、それから更に数日後のことである。





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