21.空白
小夜の部屋にラインリヒと共に残ったフレイアルドは、親友の強い決意を肌で感じていた。
ラインリヒは真夏の森のように鮮やかな翠の瞳で自分を睨みつけている。
「座れよ、フレイアルド」
「あぁ」
小夜の不在中に部屋を使うのはいかがなものかと思ったが、移動の時間が勿体無い。
何せ、小夜が湯浴みをしている間に終わらせなければならないのだ。
「オレ、お前のことすっごい怒ってる」
「そうだろうな」
貴族院からの付き合いであるラインリヒがフレイアルドに対してここまで激怒したのは初めてだろう。
小夜の為に作った特注の長椅子に深く腰掛け、フレイアルドは続きを待った。
「サヨに言ったけど、あの後実家に行ってきた」
「あぁ」
「それでオレ、親父とお袋に会ってきた」
フレイアルドはその続きを無言で促す。
ラインリヒの実家は建国から続く伯爵家だ。
伯爵家、とはいっても遡れば王の側室を輩出したことも、逆に側室の子が降嫁したこともある名門中の名門である。
その当主はいまだ健在だ。
「何でって聞かないのかよ」
「……お前と、同じことを考えていたからな」
フレイアルドは長椅子に浅く腰掛け直し、その両膝に手を乗せると、深々とラインリヒに頭を下げた。
「私が間違っていた。ーー悪かった」
フレイアルドは頭を下げたまま、懺悔した。
「ーーサヨを守りたかった。この家の中ならば、他の誰かがあの子に気づくこともないと思っていたんだ」
「ばか、それただの独占欲だよ」
「独占欲……」
ラインリヒの指摘で初めてフレイアルドは心の中の怪物の名を知った。
「ーーサヨが、家族の夢で泣いてるのを見た」
「……」
「その時に、あの子に必要なのは私だけではないんだと、気付かされた」
小夜が心の底で欲する家族の情景。
それは、己一人では決して与えることの出来ないもの。
「サヨ次第だが、私からも頼む」
部屋の中に、深くて長いため息が響く。
フレイアルドが顔を上げると、長椅子にぐったりと上半身を預けるラインリヒがいた。
「……お前が気づくの遅いから、オレただの徹夜損じゃん……」
「だから、悪かった」
伯爵領は王都のはるか西にある。
おそらくラインリヒは夜中から転移の遺物を駆使して往復したのだろう。
それでも不眠不休でなければ、この時間に王都に戻ってくることは出来ないはずだ。
「転移代、請求していいか?」
「……マルクスから貰っておけ」
「オレ捻り潰されない?」
昨夜マルクスが片腕で侍女二人を引きずって行ったのを見ていたラインリヒの顔は引き攣っている。
フレイアルドはふ、と口許が弛むのを覚えた。
「さぁな」
***
小夜の湯浴みが終わるまで仮眠する、というラインリヒと共に小夜の部屋を出た。
その足で執務室に戻ったフレイアルドを迎えたのは、予想だにしない凶報であった。
フレイアルドの前で腰を折る執事長の額には脂汗が滲んでいる。
「ーーどういうことだ」
「……申し開きのしようもございません。一瞬の出来事で……」
フレイアルドと小夜が出掛ける間、マルクスには二人の侍女を実家に返すことを命じていた。それなのに。
「死んだとはどういうことだ!」
「それが……」
侯爵家の空き部屋に拘束していた二人には、昼に食事が与えられた。
フレイアルドからすれば二人は大罪人だが、世間一般的には、いや貴族の常識からすれば彼女達はそれほど大きな罪には問われない。
せいぜいが侍女としての職務怠慢、背任行為程度だ。
しかしそれすらも、小夜という存在を隠しながらでは筋が通らない。
だからこそフレイアルドーーフェイルマー侯爵本人の不興を買った、という理由をつけ、正確な情報を暈しておこうとしたのだ。
それには生きて返すことが絶対条件だった。
「気づいた時にはーー服毒しておりました」
マルクスが昼食後部屋に入った時には、二人は口から血泡を吹いて事切れていたという。
フレイアルドは執務室の椅子にどっかり腰を下ろすと、歯軋りした。
「自殺ーーではないな。この屋敷の者か」
フレイアルドは頭を抱えた。
貴族の屋敷で不審な人死にが出たとなれば、王宮へ申告しなければならない。
病死とするには二人同時は不自然すぎる。
「違和感があるのです」
「違和感だと?」
「あの二名はサヨ様を『庶民』であるという理由で蔑ろにしましたが、そもそもそのような情報があの程度の者達の耳に入るでしょうか」
マルクスの指摘にフレイアルドは顎に手を当て思考を巡らせる。
フレイアルドは当初から小夜を『庶民』などと言ったことはない。
小夜は女神が我が家に齎した娘だと、聞かれればそう答えていた。
小夜の世話はマーサが主にしているし、今のところ他の侍女や侍従が小夜と関わる機会は少ない。
そのような使用人達の間では、小夜は「突然旦那様が連れてきたお嬢様で、身分を隠さなければならないご事情のある方」という認識が広まっている。
誰かに何かを教えられなければ、あの二人が小夜を『庶民』だなどと思うはずがないのである。
「……拘束した部屋には監視の遺物を置いていたはずだろう。それはどうした」
「既に破壊されておりました」
監視の遺物の用途を知り、侍女二人に毒を盛ることができーー小夜が初めてここへ来た時の姿を見ている者。
そんな人物は限られていた。
その人物をここに呼ぶよう、フレイアルドがマルクスに命じようとしたその時だった。
執務室にバルトリアスが入ってきたのは。
「殿下」
室内の空気の異変にバルトリアスは一瞬で気づくと、フレイアルドに険しい顔を向けた。
「何があった」
「……昨夜、サヨに暴力行為を働いた侍女二人を捕らえ当家の一室に拘束しておりましたが、日中に殺されました」
「下手人は」
「心当たりはございます」
バルトリアスはどかりと執務室に置かれた長椅子に腰を下ろす。
腕を組み床を睨みつけている。
「あの娘の周りは騒ぎが絶えんな」
「サヨのせいではありません」
「其方に言われずとも分かっている。ーーその者をすぐここへ呼べ」
それこそ、バルトリアスに言われずとも命じようとしていたところである。
フレイアルドが一人の使用人の名を執事長に告げると、彼は素早く部屋を後にした。
部屋には二人しかいないが、バルトリアスは声を潜める。
「今夜侯爵邸が騒がしくなることを、予め詫びておこう」
「ーー昼間の残党ですか」
バルトリアスは否定も肯定もしなかった。
平然とした顔をしてはいるが、その目には複雑な感情がのっている。
フレイアルドはあえてそれに気づかない振りをした。
「サヨが眠っている間に終わらせて頂ければ構いませんよ。ついでにこちらの死体も混ぜて下されば手間が省けますから」
「襲撃を利用するな……そもそもいつ来るか分からんものを指定できるか」
バルトリアスが疲れたように肩を落とした時、扉の外からマーサの声が入室を求めた。
「入れ」
入室したマーサはバルトリアスがいることも気付かず、慌てたようにフレイアルドに訴えた。
「旦那様、お探しいたしました! サヨ様が湯浴みの後ご気分を害され、階段でお倒れに! バルトリアス殿下が咄嗟にお助け下さいまして、そのままサヨ様をーーえ、バルトリアス、殿下?」
そこで、初めてバルトリアスもこの執務室にいる事実に気づいたマーサは顔を青褪めさせる。
バルトリアスの顔も一瞬で強張った。
「待てーーサヨはどこだ」
「バルトリアス殿下が、庭園にお連れしたのでは」
「戻っていないのか!?」
マーサは両手を戦慄かせながら、混乱したようにフレイアルドとバルトリアスを交互に伺う。
「私はーー旦那様をお探ししておりました。サヨ様は、殿下とご一緒とばかり……」
「探せ!! すぐにだ!!」
バルトリアスの雷のような指示で転がるように執務室を飛び出していくマーサを、フレイアルドは棒立ちになって見ていた。
「どういうことです」
「すまん、フレイアルド、俺がーー」
事態を説明しようとするバルトリアスを遮るように、マーサと入れ違いで戻ってきたマルクスの報告で、フレイアルドは今度こそ頭が真っ白になった。
「旦那様! 邸内、隈なく探しましたがーーあの者が、おりません」




