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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
一章

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19/85

18.運河


 ーー朝の一件は、フレイアルドが迎えに来てくれた時にちゃんと聞こう。

 そう思っていた小夜は自分の見通しの甘さを後から実感した。


 比較的軽装で現れたフレイアルドは、今日はお忍びですから、と小夜にも町娘風の衣装を渡す。


「こちらに着替えて下さいね。外で待っていますから」

「あ……」


 引き留める間がなくて、この時は聞けず。

 小夜はマーサの手によって貴族のお嬢様から町娘へと早替わりさせられた。

 今まで来ていた服は軽く肌触りも良かったが、こちらは少し重くてごわごわしている。

 長袖の白い肌着の上から、袖の無い茶色のワンピースを着て、腰に幅広の青い布を巻きつけた。

 いつも下ろしている長い髪はその途中を紐で結び、頭を白い布切れで覆ったあと端を顎の下で結んだら、立派な町娘らしい。

 出来上がりを確認するマーサは、どこか心配そうに小夜を眺める。


「はい、よろしゅうございます……旦那様がいらっしゃる限りこれ以上は目立つだけですわね」


 その言葉に上手く擬態出来ていないのかと、小夜は申し訳ない気持ちになる。


「ごめんなさい、マーサ。折角着付けてくれたのに」

「まぁ! サヨ様のことではございませんよ。街においでになれば分かりますが、サヨ様は、どこからどう見ても大変可愛いらしい町娘でございます。ですが旦那様が隣にいますとそうはいかなくなりますので」


 小夜は自分を見下ろしながら、どういう意味なのだろうと思案する。

 

(もしかして、目立つのはわたしじゃなくて、フレイアルド様?)


 王都の街中に出て、小夜はその予想が正しかったことを知ることになる。




 フレイアルドと共に装飾のない馬車に乗り込んだ小夜は、初めて『外』を見た。


「わぁ……! フレイアルド様、家が、大きい家がこんなにたくさんあります!」

「この辺りは上級貴族の屋敷が立ち並んでいますからね」


 馬車の窓に食らいつく小夜は、流れる外の景色に我を忘れそうになる。

 小夜からすればお城がたくさん並んでいるのと同じなのだ。


 道は白い石畳で均され、馬者は軽快に滑ってゆく。

 大きな城のような屋敷群を抜けると小振りだが瀟洒な家が立ち並ぶ地区になる。

 その地区の終わりには街を隔てるように大きな運河が弧を描いて流れていた。


「この運河までが貴族の住まいとなります。ここで降りましょう」


 フレイアルドに支えられて馬車から降りた小夜は、すぅっと大きく息を吸う。

 屋敷では嗅いだことのない匂いで胸がいっぱいになった。

 

 どうやら運河を渡るには、橋を通るか渡し舟に乗るかしなければならないらしい。

 主に馬車のまま行き来する人が橋を使っているらしく、フレイアルドは一艘の渡し舟の漕ぎ手に声を掛けた。

 すぐに交渉は成立したようで、彼は革の袋から硬貨らしきものを手渡している。

 舟に半身を乗り込ませた状態でフレイアルドは小夜に手を差し出した。


「サヨ、手を。ゆっくり乗って下さい」


 人の少ない時間帯なのか、舟は二人と漕ぎ手一人だけを乗せて運河を渡る。

 生まれて初めての舟に小夜は目をキラキラとさせた。


「酔いませんか? 舟は初めてでしょう」

「大丈夫です……お水が綺麗。あ、魚。舟ってすごいですね、フレイアルド様!」

「あまり乗り出すと危ないですよ」


 対岸までは一瞬に感じた。


 貴族側と違い、運河を挟んだこちら側には運河に沿うように所狭しと店が並んでいる。市場である。

 野菜、果物、小間物がその多くを占めていた。

 売る人と買う人、眺める人、食べ歩く人でごった返している。

 フレイアルドは小夜の歩調に合わせて歩きながら街の構造を説明してくれた。


「王都は王宮を中心に上級貴族、中級・下級貴族の屋敷が輪を描くように広がっています。この運河は王都の中を一周していて、運河の外が市民の街なのです」


 運河はそこから市民の街の中へといくつか支流をつくり、王都の物流を担っているのだという。

 それにしてもすごい活気だった。

 こんなにもたくさんの人を見たのは、日本でもここでも初めてのことである。


「あ……」


 見覚えのある果物に小夜は一台の屋台の前で足を止めた。

 蜜柑に似た、皮を剥いて丸ごと中身を食べられる甘酸っぱい果物で小夜の大好物だ。


「おや、可愛いお嬢ちゃん。この辺じゃ見かけない顔だねぇ。幾つ欲しいんだい?」

「あ、う、あの、えと」


 小夜はそこで初めて、自分がまともに買い物をしたことがない、という事実に気付いた。

 助けを求めるようにフレイアルドを見上げれば、彼は口に手を当てて笑っている。


「フレイアルドさま……」

「ふっ……すみません、貴女が可愛くてつい」


 小夜に謝るとフレイアルドはその果物を二つ買った。


「ありがとうございます」

「座って食べましょうか」


 二人で運河の見える場所に腰を下ろす。

 誰でも座れるように石造りの腰掛けが至る所にあり、屋台で買ったものを食べる人が他にもいるようだ。


 しかし歩いている間も、こうして座っている時も小夜は絶え間なく周囲の視線を感じていた。

 その多くがフレイアルドを見つめるもので、小夜はマーサの言葉の意味を実感したのである。


 小夜と違ってそれらの視線をものともしないフレイアルドは、皮を剥くと意外にも大口を開けてかぶり付いた。

 

(フレイアルド様が何かを食べるところ、初めて見た)


 小夜も負けじとかぶり付けばフレイアルドは満足そうに微笑んだ。



 食後、小夜は果物の皮をどうしよう、と悩んだ。

 キョロキョロと周囲を見渡すが、屑入れのようなものはやはりない。


「あの、フレイアルド様、ゴ……屑入れってどこかにありますか?」

「屑入れはないのですが……もう歩けそうなら、案内しておきましょうか」


 小夜の分まで果物の皮を持って、フレイアルドは市場の中のある建物を目指した。

 周囲をみれば、同じように手に食べ終わったものを持った人達が来ていた。


「ここでは廃棄物を買い取っています」

「買い……とる?」


 扉の代わりに暖簾のような麻の布が掛けられた入り口を潜ると、簡易な受付台がいくつかあり、そこでは帳面を手に廃棄物を受け取る人達がいた。


 その人達のうちの一人がフレイアルドを見て席を立つ。

 人懐こそうな、聡一より少し上くらいの歳の少年だ。


「閣下、本日はどういった御用向きでいらっしゃいますか」

「私ではなくこの子が初めてだから、教えてやるよう」

「畏まりました。お嬢様、どうぞこちらへ」


 案内されたカウンターには秤があり、小夜は信じられない気持ちで果物の皮を差し出した。


「こちらでは、皆様の不要品をお一つから買い取らせて頂いております。こちらネプルの皮が五八ミンスで、三シーゲルで買い取りますがよろしいでしょうか?」

「は、はい……」

「では、こちら三シーゲルでございます」


 小夜の手に小さな銅貨が三枚載せられる。

 日本にも不要品買取店はもちろんあるし、揺り椅子を探す時にそういった店を端から端まで回ったこともある。

 けれど、こういった買取はなかった。

 目を白黒させる小夜に、フレイアルドは買取をしてくれた少年に声をかける。


「少し奥の部屋を使う」

「はい、ごゆっくりどうぞ」


 案内もなく慣れた足取りで小夜を連れ、受付の奥のさらに奥へと進むフレイアルド。

 木の戸を開けると、そこは木の机と、背凭れと座面に布が掛けられた椅子があるだけの小さな応接室だった。


「少し休みましょう。そこに掛けてください」


 二脚ある椅子の一つに腰を下ろすと、フレイアルドはどこからか水の入った容器を持ってきた。

 冷たいそれを飲みながら、小夜は尋ねる。


「フレイアルド様は、この場所によく来るのですか?」


 あまりにも手慣れているため頻繁に利用する上客なのかと思ったが、フレイアルドから返ってきたのは予想外の言葉だった。


「来るといえば来ますね。ここは侯爵家が運営していますから」

「え……」


 まさかの経営者だったことに、小夜は驚きを隠せない。

 

「看板としてバルトリアス殿下の御名をお借りしてはいますが、王都にあるこの施設の責任者は私です」

「そ……そうなんですか……」


 それはよく来るはずである。

 フレイアルドが日中外出することが多いのは、こういった場所を見回っているからなのだろうか。


「あの、なぜ不要品を買い取るのですか?」


 先ほどの果物の皮なんて、買い取って一体どんな利益が侯爵家にあるのか、全く想像がつかない。

 微笑むフレイアルドには、予想済みの質問だったようだ。


「ーー私が侯爵家を継いだとき、運河のこちら側は悪臭と糞尿に塗れ、いつ流行病が起きてもおかしくありませんでした」


 フレイアルドによれば、その頃まで塵芥や糞尿は道路と運河に垂れ流しだったらしい。

 あの果物の皮のような食べ残しも、そのまま道路へ捨てられていたと。

 

「貴族街は綺麗なものでしたが……貴女を歩かせるには、こちら側は少々目に余る様相でしたので、バルトリアス殿下に上奏して私が一切の経営責任をとるならばとご許可を頂きました」

「そうなんで……え? わたしを歩かせるには?」


 すごくいい話になりそうだったのに、突然の路線変更に小夜は聞き間違いだと思った。

 

「そうです。疫病が蔓延などすれば、貴女に累が及ぶかもしれませんからね。道路や運河への投棄を禁止し、ここと同じ施設を各地に作って買い取るようにしたら、やはり綺麗になりました。歩き易いでしょう?」

「……はい」


 小夜は喜んでいいのか困っていいのか分からず、水の入った器を握った。

 一体どこの世界に、もう一度会えるか分からない子供のために大都市の美化に乗り出す人がいるというのだろう。


「えっと……何といっていいか、分かりませんが」


 小夜は一度言葉を切り、フレイアルドを見た。

 一つだけ、分かったことがある。

 

「フレイアルド様はーーわたしが必ず戻ってくるって、信じて下さっていたんですね」


 小夜が器を握る手に、フレイアルドの手が重なる。

 優しく伏せられた長い睫毛は、陽の光が当たって透けていた。


「ーーはい」


本日と明日は、朝と昼に一話ずつ投稿します。

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