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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
一章

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16.秘匿


 二度薙いだ剣を収め、侯爵は失神した二人を見ることなく執務机に戻った。

 気怠げに頬杖をつきながら、淡々と命令を下す。


「マルクス。其奴らが目を覚ましたら、この家で見聞きしたこと一切の口外を禁じる契約を結んでおけ。そのあとはそれぞれの実家へこの書状と共に突き返せ」


 フレイアルドが差し出す丸めた紙を執事長は恭しく受け取った。


「畏まりました。しかし、これだけで宜しいのですか?」


 執事長が見下ろす先には髪をざんぎりに切り落とされた元侍女達の姿がある。

 彼はてっきり、自分の主人は彼女達にその命で償わせるのだと思っていた。

 フレイアルドは執事長の言いたいことに気づいたのか、深々と溜め息を吐く。


「ーー殺してやりたいところだが、サヨの存在を秘匿している以上、公の罪に問えない」


 罪をでっち上げても良かったが、死体を返された向こうの当主が騒いで王宮に訴える可能性も捨てきれない。

 訴えが王太子の耳に入ることだけは避けたかった。


 常日頃フレイアルドの弱味を握らんと周辺を嗅ぎ回る男に、侯爵家への立入捜査の口実など与えるわけにはいかないのである。


「……私の不興を買った、という理由なら断髪が限度だろう。あとはその書状を読んだ当主次第だ」

「冷静なご判断かと存じます」


 執事長は深々と頭を下げると、気絶した二人の侍女を引きずっていく。

 執務室の扉が閉められるなり、マーサはフレイアルドの足元へと倒れ込むようにひれ伏した。

 わっと泣き出す年嵩の侍女にフレイアルドもラインリヒも動きを止める。


「何と……何とお詫びすれば……!! どうか私のことも罰して下さいませ!」

「マーサ」

「私が、サヨ様に近い年頃だからとあの二人を薦めたばかりにこのようなことに……!」

「マーサ、顔を上げよ」


 フレイアルドはマーサの前に片膝をついた。


「お前が推薦してくれた侍女だからと、任じた私にも責はある。いや、そもそもあの女達を当家に受け入れた時点で私が愚かだった」

「ですけれど、それは」


 侯爵は静かに首を振る。

 中級、下級貴族の家から行儀見習いとして子女を預かることは、上級貴族の責務とされている。

 サヨが現れる前は忙しさもあり、屋敷内の人事はマルクスとマーサに任せきりだったが、最終的に選んだのは自分である。

 罪を犯した二人の実家はフレイアルドに敵対しているわけでもなく、無論本人達の素行調査も終えていた。


 しかしこの体たらくである。

 フレイアルドが一番罰したいのは、己だった。


「今後は、より忠誠心が高く、サヨに仕えることに障りのない者に厳選していく。屋敷の人間全てだ。……サヨは、お前を頼りにして心を許している。どうかお前の娘と共に、これからもサヨを支えてくれないか」

「ーーはい……!」


 涙を拭き、しゃんと立ち上がった侍女頭の目は強い決意に満ちている。


「今度こそ、サヨ様をお守りいたします」

「ああ」


 気を取り直したマーサはフレイアルドとラインリヒの前に酒をひと匙混ぜた茶を用意した、

 扉の前で恭しく礼をすると、退出していく。

 淹れられたばかりで温かい茶を飲みながら、二人は暫し無言の時を過ごした。


 ラインリヒがフレイアルドの前に立ったのは二人が全て飲み干したあとだった。


「ーーなぁ。これから、どうするんだ?」

「何が言いたい?」


 ラインリヒの赤毛の下から覗く翠色の瞳は、いつになく深刻だ。


「殿下が仰ってたことだよ。サヨを隠し続けるのか、外に出すのか……オレは、正直言って隠し続けるのは無理だと思う」

「……なぜ、そう思う」


 フレイアルドの中ですでに答えは出ていたが、友人の意見を聞いてみたかった。

 ラインリヒは胸元から、小夜の治療に使った遺物を取り出す。


「これを見て欲しい」


 フレイアルドは遺物を検分するが、特に異常はない。

 至って()()()()稼働する状態だ。


「これが?」

「……サヨに使う前、この遺物は休眠する一歩手前だった」


 一瞬、フレイアルドはラインリヒが何を言わんとしているのか理解ができず、固まる。

 だがすぐとある想像に至ると、ガタリと椅子から立ち上がった。

 

「ラインリヒ」

「嘘じゃない。あの子に使ったらもう休眠すると思っていたんだ」

「それは誰かに気づかれたか」


 首を左右に振る親友の面持ちは暗い。


「外したのはオレだし、その前の状態を知ってるのもオレだけだ。ーーけど」

「秘匿しろ」

「なっ……秘匿って、フレイアルド、お前」


 細長い布の遺物を憎むように握りしめながら、侯爵は眉尻を吊り上げる。


「サヨは表に出さない。ーーこの屋敷からは、出さない」


 そのフレイアルドの発言に、ラインリヒはとうとう激昂した。


「このっ……大馬鹿野郎!!」


 机の向こう側から伸ばされた手に襟首を掴み上げられ、眼前で怒鳴られる。


「また閉じ込める気か!? フレイアルド!! 親に監禁されてたあの子を今度は自分が閉じ込めますって、一体どの面で言ってんだ!!」


 フレイアルドは無抵抗なまま、その怒りを受け止めていた。

 ーーラインリヒが怒るのは想定内だった。


「もう決めたことだ」

「あの子に相談もなしで、か?」


 バルトリアスに問われた時から、フレイアルドの中で答えは出ている。

 その行為を非難されるのは承知の上だった。

 

「そうだ」

「〜〜ほんとに、お前は、バカだ!!」 


 掴んでいた襟首を乱暴に解き、自身に背を向け出て行こうとする親友に、フレイアルドは声を掛けずにいられなかった。


「ラインリヒ、理解してくれ」


 扉の把手に掛けていた手をぴたりと止め、一度だけ振り返るラインリヒのその翠の目には、拒否の色しかなかった。


「しないに決まってんだろ。お前がその気なら、オレにだって考えがあるからな!」


 バタン!! と強く閉じられた扉に、フレイアルドは頭を抱えて項垂れるしかなかった。


 一体どれくらいそうしていたのか。

 頭を持ち上げ、天井を仰いだ。椅子の軋む音が反響し返ってくる。


「どうしろと、言うんだ……」


 一人呟くフレイアルドの眉間に、皺が寄る。

 時刻はすでに夜明けの方が近かった。


 どうせ眠れないからと、領地から上がってきた決裁に目を通していくが、頭に入ってくるはずもない。

 おもむろに立ち上がり、執務室を出た。


 消灯後の廊下は暗いが、一定の間隔で置いてある鉱石型の遺物のおかげで視界には困らなかった。

 仄かに明滅するそれは、夏の庭の虫が放つ光に似ている。

 光に導かれて辿り着いたのは、少女の寝室だった。


(サヨ……)


 扉の前に立ちつくしていると、中で啜り泣く声が微かに耳に届いた。

 

「サヨ……?」


 そっと入れば、泣き声は寝台からだった。

 枕に隠れるように小夜が泣いている。

 呼び掛けるとそろり、と顔を上げた小夜の目は赤い。


「……フレイアルド、さま? なんでここに……?」

「貴女の泣く声が聞こえたので」

 

 小夜は慌てたように起き上がり、掛布を顔まで引っ張り上げた。

 耳まで紅くなっている少女を見ていられず、視界を泳がせる。


「ごめんなさい、うるさかったでしょうか」

「そんなことは……」


 寝不足のせいもあり、どくどくと耳の奥で脈打つ音が煩い。

 

「ーーフレイアルド様は、この時間までお仕事ですか?」


 気まずい沈黙に耐えられなかったのか、小夜は気遣わしげな言葉をフレイアルドへ掛ける。

 その場を離れることを諦めたフレイアルドは、小夜の寝台の端に腰を下ろした。


「はい」

「ーー眠らずに?」


 フレイアルドは小夜の質問にどう答えるか迷うが、その間が何よりの答えだった。


「明日……あ、もう今日でしょうか? 王都見物行かなくてもいいですから、どうか休んで下さい」

「これくらい何ともありません。貴女との約束の方が大切ですよ」


 自身の言葉に小夜が大きくかぶりを振る。

 ダメです、と小さく絞り出すような声にフレイアルドはぴくりと指が動く。


「フレイアルド様が過労死したら、嫌です」

「……カロウシ?」

「働きすぎや、休みが少なすぎると急に亡くなることがあるんです」


 小夜の言葉にフレイアルドはここ十年を振り返る。

 日暮れから夜明けまでは離れで小夜を待つため仮眠程度しかせず、日が昇ってから朝食の時間までが自分の睡眠時間だった。

 ただ待つだけではなくその間は仕事をしているのだが、特に体調に異変を感じたことはない。


「睡眠はあまり取らなくても問題ありませんから」

「だ……だめです、そんなの」


 いまだ自分を心配そうに、若干責める色が混じった視線を向けてくる少女にふと悪戯心が湧いてしまった。


「一人では……よく眠れないのです。サヨと一緒なら、眠れるかもしれません」


 フレイアルドは、きっと小夜は顔を赤らめつつ狼狽し、首を振るだろうと予想した。

 そうしたら残念だと告げ、小夜を眠らせてこの部屋を出よう。

 ーーそう、思ったのだが。


「そうなんですか? じゃあ、一緒に寝ましょう」


 言うなり小夜がいそいそとその隣を空ける。 

 狼狽したのはフレイアルドの方だった。


「サ、サヨ、そのーー今のは、違うんです」

「気にしないで下さい。弟ともたまに、寝付けない時はこうしましたから」


 どうぞ、と首を傾げる誘惑の塊にーーフレイアルドは屈した。


 上着を脱ぎ適当に椅子に掛けると、少女の隣に潜り込む。

 サヨがふふ、と笑う。


「子供の頃みたいですね、フレイアルド様」

「あぁ……そう、ですね」


 小夜の言うとおり、子供の頃は夜明けまでこうして過ごしたのを思い出す。

 果物を与え、本を読み聞かせ、少女と眠ったあの頃に今だけ戻りたいと思った。

 場をもたせる言葉が見つからず、疑問が口をついて出てしまった。


「……そう言えば、なぜ泣いていたんですか?」


 小夜は自分が泣いていたことを思い出したのか、苦笑している。


「夢を、みたんです」

「怖い夢でしたか」


 ふるり、と首を振る小夜は目から一粒涙をこぼした。


「……母が台所に立って、わたしがそれを手伝うんです。手際が良くなってきたねって褒めてくれるんです……そのあと、ご飯ができたよって呼んだら父と弟がきて、みんなで、食卓を、囲んで……」


 フレイアルドは何も言えず、小夜の頭を抱き寄せた。


「そんなこと、ありえないのに……」


 ーー声も上げずに泣く小夜は、やがて腕の中で寝息を立て始める。

 

 フレイアルドは眠るまで、再会したあの時から今日までの小夜の言葉、反応、仕草を反芻していた。

 そして一つの結論を導き出す。


(そう、なんですね……サヨ……)


 眠る小夜を起こさぬよう、髪を一掬い口元へと運ぶ。

 花の匂いがした。



 

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