15.断罪
小夜の右足の遺物が取れたのは、その三日後だった。
寝室の隣、小夜の自室として整えられた部屋には二つの長椅子とその間に置かれた長机、壁際には飾り棚や文机など生活に必要な家具が揃っている。
爽やかな緑と白を基調とした部屋には暖かい光が差し込むよう窓が配置されていた。
小夜はいま、その長椅子の上に足を伸ばし、包帯型の遺物をラインリヒに解いてもらっていた。
全て解くとそこには骨折していたのが嘘のように綺麗な足が見え、小夜は感嘆する。
たくさんあった痣まで跡形もなく消えているのだ。
「すごい……」
「いやいや、オレからしたら体を開いて内臓を治療するサヨの世界の方がすごいと思う」
ラインリヒは小夜の治療の為、正式にフレイアルドに主治医として雇われていた。
そして日中は小夜の部屋に入り浸り、向こうの世界の病院や医療技術についてあれこれ質問してくるのだ。
小夜もあまり詳しいわけではなかったが、ラインリヒがいる間は侍女達も仕事をしてくれるし、話すこと自体が楽しいため断る理由はない。
しかし、フレイアルドにとっては大変面白くなかったらしい。
外出することも多いフレイアルドだが、そうではない時は頻繁に小夜の様子を観にくるのだった。
「またお前はサヨの部屋にっ……」
「よう、侯爵サマ。仕事は進んでるか?」
フレイアルドはつかつかと長椅子に座るラインリヒに近づくと、その首根っこを掴んで部屋から放り出す。
そのまま侍女も皆追い出し、扉を締め切ってから小夜の前に跪くまでがいつもの流れである。
小夜の手をとり心配そうに見上げる彼の顔にも、この三日でだいぶ慣れてきた。
「足は……もう痛みませんか」
「はい」
「ラインリヒが毎日押しかけて迷惑ではありませんか」
「いいえ? 楽しいです」
そう言うとフレイアルドは衝撃を受けた顔をする。
「楽しい……?」
「はい、ラインリヒ様は質問もお上手ですし、わたしの知らないこちらのこともよく教えてくださるので」
「……私といるよりも、ですか?」
ぎゅっと手を握る力が強くなる。垂れた犬耳の幻覚が見えるようだった。
そんな彼を見るといつも心臓が少し跳ねる。
「比べたことなんてありませんが……でも、もう少しだけフレイアルド様と一緒にいる時間も欲しいです」
「サヨ……」
フレイアルドは堪らず、といった表情で小夜を抱き上げると長椅子に腰を下ろし、自身の膝上に乗せて抱き締めた。
フレイアルドは会うたびに必ず小夜を抱き締める。
軽く肩を抱いたり、強く抱き締めたり、膝の上に乗せたりとその時々で体勢は違ったが、小夜は嫌ではなかったし、何より暖かくて好きだった。
「執務がだいぶ落ち着きましたから、明日は約束していた王都見物に行きませんか?」
「! いいの、ですか?」
元の世界でもせいぜい家と学校の間しか知らなかった小夜である。
お店がたくさんあるというだけで、興奮が抑えきれなかった。
年相応の表情を見せた小夜にフレイアルドも自然と笑みが溢れる。
「はい。ただし、足は治っても体は本調子じゃありませんから、お昼の暖かい時間に少しだけになります」
小夜は嬉しくて嬉しくて、何度も頷いた。
「嬉しいです! ありがとうございます、フレイアルド様」
「貴女が喜ぶなら、これから何度でも連れて行きましょう」
それと、とフレイアルドは少し表情を曇らせた。
「貴女の侍女ですが……急ではありますがそれぞれ実家から帰ってくるように連絡がありました」
「それは、リリエスとアルルナのことですか?」
「はい。慣れてきたのに、申し訳ありませんが……」
小夜は首を振る。はっきり言って助かった。あの二人とは完全に馬が合わなかったのである。
誰かがいる時は淑やかに微笑み、進んで小夜の世話を焼いてくれるが、いなくなった途端手の平を返される。
手洗いは相変わらず自力で這って行かねばならなかったし、マーサの目がない食事の時などは、手をつける前の果物を床に捨てられることもあった。
小夜は床に落ちたくらい何とも思わなかったし、もったいなかったのでそれを食べた。
果物なので、皮を剥けば何も問題はない。
それを見た二人は小夜に暴言を吐いていたが、小夜は可能な限り反応しないよう自身を抑えていた。
反応すればするほど甚振る側が喜ぶと知っていたからだ。
「侍女がマーサだけでは心許ないので、他家で侍女見習い中のマーサの娘をこちらに呼ぼうと思っています」
「マーサの……! お会いするのが楽しみです」
小夜はマーサの娘はどんな子だろう、と目をキラキラさせて想像していた。
フレイアルドはそれを微笑ましく見つめながら、小夜の髪を撫でるのだった。
***
ーーその夜、自室で休んでいたリリエスとアルルナの二人は、侯爵の執務室に呼ばれた。
侯爵本人から夜に呼ばれ、これはもしやと浮かれる二人の足取りは軽い。
弱小貴族である実家からは、側室でも一夜の過ちでも何でも構わないから、侯爵を籠絡せよと命令されている。
二人一度に、とは少々趣味が悪いが、背に腹は変えられなかった。
しかし執務室に入ってすぐ、彼女達は真っ青な顔でブルブルと震えることになった。
室内には侯爵本人、その友人の医者、侍女頭と執事長が揃っている。
断罪の場である。
「貴様ら、これが何かわかるか」
冷たい、氷のような声に二人はひっ、と息を呑んだ。
甘さ、優しさが微塵もない、彫像のような顔が鉱石を模した遺物を手に二人を詰問する。
「これは置いた場所で起こった出来事を記録する遺物だーー見覚えは?」
「あ、あ、あぁ……」
その場にくずおれる二人を睥睨し、侯爵は遺物を机に置いた。
鉱石型の遺物から湯気のような白い靄がたちのぼり、そこに色鮮やかな映像が映し出される。
フレイアルド以外の三人の立会人は、食い入るようにそれを見つめた。
映像の中では、少女が足を引きずりながら必死に厠を目指している。
ラインリヒは過去の映像と分かっていても叫び出しそうになった。
『ーー見てよ、あれ! また虫みたいに這ってるわ!』
『ねえ、扉をこうしたら……』
茶色の髪の侍女が、扉の前に椅子を置いてしまう。
片足が使えない少女の力では到底動かせないはずの重さの椅子。
それを何とかどけようと力を込める少女を嘲笑う二人の侍女。
『お願い……どけてください』
『自分でやりなさいよ。あんたみたいな卑しい庶民が貴族の厠を使うなんて図々しいのよ!』
映像を見るその場の全員が沈黙している。
しかしそれは、無感情からではなく今にも吹き出しそうな激しい感情を抑えるためだった。
その次の映像では、床の上に食事をぶちまけられた少女を、二人の侍女が取り囲んでいる。
『さすが庶民ね、床に落ちたものでも何でも食べるわよ』
『面白くなーい。次は屑籠に入れちゃおっか』
『……っ』
『何よその目はっ』
藍色の髪の侍女が少女の長い髪を掴み上げる。
『っ!!』
『侯爵様にもそうやって取り入ったのかしら? あんたなんて、すぐに捨てられるんだから!』
『ふっ、あはははは!』
必死に目を閉じて耐える少女を囲み、嘲笑する侍女達の映像を最後に靄は晴れる。
映像を全て見た侍女頭はわなわなと唇を震わせ血走った目で二人を睨みつけている。
執事長は瞬きもせず映像を見て押し黙っていたが、後半からは侍女達に掴み掛かろうとするラインリヒを抑えるのに必死だった。
執務室の中はいまや怒気と冷気とに満ちていた。
その大半は、侯爵その人から放たれている。
執務室の椅子に深く腰掛け膝を組む侯爵の表情は、窓から差し込む月明かりが逆光となって伺い知れない。
「ーーさて。以上を見ても申し開きがあるのなら一度だけ聞こう」
藍色の髪の侍女は、恐怖のあまりすでに立ち上がれず、眼と鼻から大量の水を流していた。
「……あ、あっ、そ、そんなつもりじゃっ」
「ーーあの子が悪いんです!!」
濃い茶色の髪の侍女が叫び出す。
「庶民なのに、侯爵様を誑し込んで正室のお部屋にいるあの子が悪いんです!! あたし達だって、家から期待されてここに来たのに、なのに、なんでっ!?」
最後の叫びは弁明ではなく訴えのようだったが、何であろうと侯爵は無感情な、それでいて研ぎ澄まされた刃のような表情を崩すことはない。
「貴様らは勘違いをしているな」
ゆらりと腰掛けていた椅子から立ち上がる侯爵は、その手を腰の剣に掛けた。
装飾のないその剣は、侯爵から主に実用性だけを求められている。
「サヨが私を誑かしたのではない。私がサヨを囚えているのだ」
「……え……?」
「マルクス、押さえていろ」
侯爵が腰の剣をゆっくりと抜き、二人の侍女に突きつける。
執事長によって床に押さえつけられた二人は、眼前に迫る剣に、ぐちゃぐちゃになった自身の顔が映るのを見た。
「ーーどうしてくれる?」
「どう……へ……?」
王都の貴族でフェイルマー侯爵の冷酷さ、非情さを知らぬ者はいない。
けれどその美しい顔ゆえに彼を憧れの対象とする子女はいまだ多い。
彼らがもし今この場にいたら、その幻想も崇拝もきっと砕かれたのではないだろうか。
「やっと安全な場所に来れたと思ったサヨが、そうではないと絶望してここから逃げ出したら、貴様らはどう償うのかと訊いたのだ」
ーーゾッとするような声音だった。
その場にいる罪人ではない者まで震え上がるような声だ。
現に侍女頭とラインリヒは微動だにできないでいる。
「答えよ」
「ご……ごめんなさい!! ごめんなさいぃっ!!」
「許してぇ!! 赦してください!!」
侯爵は無感動に、命乞いして泣き喚く女達を見下ろすが、その手から剣は離れない。
執事長に目線で合図をする。
侍女の一人が長い髪を執事長に掴まれ、頭を持ち上げられた。
「ひ……っ!! お赦しを!! お赦しを!!」
無言の侯爵はそのまま剣を一閃させた。
9/17 誤字修正




