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揺り椅子の女神  作者: 白岡 みどり
一章

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09.嘘吐

 

 泣き疲れて眠ってしまった小夜が気づいた時、陽はとうに高く昇っていた。

 腫れぼったい瞼を開けて初めに見えたのは、椅子に座って舟を漕ぐフレイアルドの姿だった。


(まだ、夢みたい)


 大袈裟でなく小夜は生きてもう一度彼に会えるとは思っていなかった。

 自らを奮い立たせるために監禁されるまで翻訳は続けていたが、広い世界からたった一脚の揺り椅子を見つけることは途方もなく難しいことだと分かっていたのである。


 それがこうして会えて、側にいる。


 この幸せに、いつまでも浸っていたい。


 ーーそう願うには、小夜は元の世界に心残りがありすぎた。


 小夜が見つめていると、視線に気づいたのかフレイアルドが目を覚ます。

 彼は真っ先に小夜の元へとやってくる。


「体調はどうですか。どこか痛んだりは?」

「大丈夫です、フレイアルド様」


 眠る前よりも吹っ切れた顔の小夜に、フレイアルドはほっと息を吐く。


「ではまず食事にしましょう。少しここで待っていてくださいね」


 フレイアルドは廊下にいる誰かに、食事の準備を頼みに行った。

 その背中を見つめながら、小夜は彼にいつ切り出すか迷っていたのだった。


 ***

 

 小夜はまだ足を動かせないからと、寝台の上に簡易の食卓が置かれ食事が並ぶ。

 懐かしい果物から胃に優しそうなスープまであるのを見て小夜は目を瞬いた。

 食事を運んでくれた侍女は小夜が目覚めた時にいた栗色の髪の女性で、マーサと名乗った。


「このように質素な物ばかりで申し訳ございません。サヨ様の診察をされたお医者様からの指示ですので、しばらくご辛抱ください」

「マーサさん、こちらにもお医者様はいるのですか?」


 マーサは給仕を続けながら、にこやかにその質問に答えた。


「私のことは、どうかマーサと。お医者様でしたら勿論いらっしゃいます。オレラセアの加護は貴重なので、大勢という訳ではございませんが」


 小夜はマーサが給仕してくれる順に黙々と食べながら、若干気落ちしていた。

 こちらの世界には病院がないと聞いていたから、きっと医学自体ないのだと勘違いしていたのだ。

 翻訳は無駄になるかも知れない。そう思うと少しだけ、残念な気持ちが湧いてくる。


 だが小夜はそんな自分をすぐ叱りつけた。


(医学があるなら、それでいい。苦しむ人が少ないってことだもの)


 これまでの翻訳が不要なら、それに越したことはない。

 次の翻訳はフレイアルドにどんなものが良いか聞いてからすればいい。

 ーーその機会が、自分に与えられたなら。


 小夜が自分にそう言い聞かせていると、フレイアルドがもう一人を連れて部屋へ入って来た。

 フレイアルドと同じくらいの背丈をした赤毛の青年は小夜を見て笑顔で頷く。


「目が覚めて良かったな。オレはラインリヒ。医者をやってる。足の調子どうだ?」


 それで小夜は自分の治療をしたのがラインリヒだと気付いた。

 小夜は慌ててカトラリーを置き、頭を下げる。


「治療をありがとうございました、先生」

「せんせい?」


 疑問符を浮かべながら顔を見合わせた彼らによると、どうやらこちらでは医者に先生という呼称はしないらしい。


「所変わればってやつだな。で、飯は食えてるか? 腹はいっぱいか?」

「えっと、食べました。お腹いっぱいです」


 小夜が完食した食卓を示すと、彼は壁際に控えていたマーサと視線を交わす。マーサは何も言わずに首を振った。


「……そうか。食べてる時や、食べ終わった時に気持ちが悪くなったら必ず言うこと。いいな?」

「はい、ラインリヒ様」

「よし! はぁ〜それにしてもフレイアルドと違ってサヨは良い子だな!」


 ぽんぽんと頭を撫でられるが、小夜は聞き捨てならない台詞に釘を刺すのを忘れなかった。


「フレイアルド様は、とても優しくて良い方ですよ」

「あー……、うん、そうだな。オレが誤解してるみたいだな? フレイアルド」

「……」


 ラインリヒの横で腕を組み沈黙していたフレイアルドは、冷ややかにラインリヒを睨んだ。


「治療に必要な時以外、サヨに触るな」

「なぁコレのどこが優しくて良い方なんだ?」


 二人のやり取りにハラハラする小夜だが、マーサがこっそりとこれが仲良しの証拠ですと耳打ちしてくれたので、そんなものかな? と眺めていた。


「ラインリヒの言うことは置いておくとして、サヨに少々尋ねたいことがあるのですが、構いませんか?」


 もちろん小夜には断る理由がない。頷いた。

 フレイアルドは寝台の横に二人分の椅子を並べると、そこへラインリヒと肩を並べて座る。


「今は昼ですが、貴女はここにいる。それには、気づいていましたか?」

「あ……」


 小夜はフレイアルドに言われて初めて気がついた。

 本来なら夜明けと共に日本に帰っているはずなのだ。


「明日詳しい方に調べてもらいますが、おそらくは治療に使っている遺物のせいだと考えています」

「……いぶつって、これですか?」


 小夜は足と手首に着けられているものを示した。

 ラインリヒが頷く。


「そうだ。右足のは骨折の治療用で、左手首は心臓の動きを補助してる」


 ラインリヒに言われて小夜はまじまじと遺物を観察した。

 足はぱっと見、綺麗な包帯が巻かれているだけだし、手首の方は幅広のバングルのようだ。

 触れている部分の肌にほんの少しの違和感を感じる程度で、他には痛みも痒みもない。

 管も電源も必要ないそれは小夜の世界にあるものより遥かに使い勝手の良さそうな医療器具に見える。

 昔来たときはこんな不思議で便利な道具があるなんて知らなかった。しかもだ。


「足は三日くらいで治ると思う」


 平然と言われた日数に小夜は耳を疑った。


「わたしのところでは、骨折治療は、何ヶ月もかかります」

「そいつは不便だ」


 小夜が感心して眺めていると、フレイアルドが小夜の左手をとった。


「足は三日でも、こちらはしばらく着けてもらわねばなりません。ーーサヨ、貴女はもしかしてずっと、閉じ込められるような生活をしてはいませんでしたか」


 フレイアルドの言葉に小夜はザッと顔から血の気が失せるのを感じた。

 彼の顔を直視できず俯く小夜は、それが何よりの答えだとは気付かない。


「……それは」

「話しづらければ、話す必要はありません。ですが貴女の体は、貴女が思う以上に衰弱しています。ーーたまたまラインリヒが居合わせていなければ命の保証はありませんでした」


 話さなくても良いと言うフレイアルドにほっとしながら、自分の体がそこまで酷い状態だったことに小夜は驚いた。

 そして父が言ったとおり聡一を同じ目に遭わされたらーーと想像して身震いする。


「この……いぶつ、というのが外れない限りわたしは帰れないのですか?」

「そうです」


 小夜は項垂れた。

 それではしばらくこの世界にいることになる。

 その様子をフレイアルドは眉根を顰めて見ていた。


「サヨは……帰りたいのですか」


 きっとこれが、フレイアルドの一番訊きたい質問なのだろう。

 彼が発する緊張感がその証拠だ。

 サヨは真摯に、ありのままを答えることにした。


「ーー本当は、ずっとここに居たいです。でもわたしは弟を危険な場所に置いて来てしまいました」

「弟とはソウイチのことですか」


 小夜は目を見張った。彼が覚えているとは思わなかったのである。

 頷き、フレイアルドに微笑みかけた。


「覚えていて下さったんですね」

「貴女に関することなら全て覚えています」


 フレイアルドは片腕を伸ばし小夜の頬から耳をするりと撫でた。


「一度向こうへ帰っても、必ずまたここへ来ると約束してくれますか?」


(そうちゃんを助けたあと、またここへーー)


 あの父にまた捕まってしまえば、もうここに来るのは無理かも知れない。

 そう正直に言ってしまえば最後、フレイアルドは小夜を帰さないーーそんな気がした。

 だから小夜は心を殺して嘘を吐いた。


「はいーーフレイアルド様」


 もう一度ぎゅっとフレイアルドに抱きしめて貰えれば、それだけで小夜は、地獄の中でも生きていけると思った。


 ***


 フレイアルドは、小夜に言ったとおり小夜のことなら全て覚えていた。

 話した内容、好きな果物はもちろんのこと、嘘を吐く時の小さな癖まで。


 右手の親指を握り込むその癖が現れた一瞬をフレイアルドは見逃さなかった。


 ーーつまり、帰したらもう会えない可能性がある。


 そう気付いていながら指摘はしなかった。

 小夜が嘘を吐く時、それはどんな時か分かりきっているからである。


「分かりました。ではまず遺物が外れるまでは、ラインリヒの言う通り治療を受けて下さいね」

「は、はい」

「私は少々仕事があるので午後はいませんが、マーサと他何人か貴女の専属にしますから何かあれば彼女達に」

「ありがとうございます」


 律儀に礼を言う小夜をもう一度撫でたフレイアルドは、ラインリヒを連れて部屋を出た。


「なぁ、サヨについていなくていいのか?」


 言いながら、フレイアルドの顔を覗き込んだラインリヒは息を呑む。


 かつてないほど凶悪な顔をした親友が、そこにいたからだ。


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