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00.プロローグ

 


 父が私を離れに呼んだのはその日が初めてだった。

 同い年の兄も同様のようで、二人顔を見合わせる。


「サリディウス。フレイアルド。こちらに来なさい」


 真冬だというのに、離れの中は暖かい。

 いくつかある部屋の中、一つの扉の前で立ち止まった父は一人づつ中に入るよう促す。


 先に入った兄は出てくると、部屋の外で待っていた私を見て微笑んだ。しかし、何も語らず離れから出ていく。

 ついに私の番がきた。


(意外と広い部屋なんだな)


 がらんとした部屋は、壁に埋められた僅かな本棚の他に調度らしきものはない。

 大きく取られた明かり取りの窓からは冬の冷たい月光が差し込んでいる。

 その明かりの中に浮かび上がるのは、一脚の揺り椅子だった。


 女神の意匠が細密に掘り込まれた揺り椅子。

 一目見て女神の遺物だと分かった。


 食い入るように眺める私の様子に、父は隣で嘆息した。


「ーーやはりお前には見えるか」

「この揺り椅子のことでしょうか?」

「そうだ。……この揺り椅子は我が侯爵家を継げる者にしか目に見えない。サリディウスは見えなかった」


 お前が次期侯爵だと言外に告げられ、私は衝撃を隠せない。


「わ、私は将来、侯爵になられた兄上を補佐したいのです。ですから父上、兄上を」

「ならぬ。椅子が見える者が当主である限り、女神が当主と家に慶福をもたらす。それがこの遺物だ」


 翌日、父は私を次期当主に決めたと内外へ示した。

 そして兄は修道院へ入ることが決まった。

 事実上の廃嫡だった。


 兄はきっと父から何もかも聞いたのだろう。

 私の肩に手を置き、励ましてくださる。


「フレイアルド。私のことなど気にするな。次期当主たる者がそのように泣いてはならぬ」


 兄は全てを受け入れたような、さっぱりとした顔をして、最後に私の頭を撫でてくださった。


「お前はきっと、私よりも良い当主となるはずだ。私は修道院で頑張って修行し、たくさん女神のご加護を得よう。そしてフレイアルド。いつかお前が婚姻の儀を執行う日が来たら、私に任せて欲しい」


 泣き喚く私は上手く返事が出来なかった。

 修道院に入れば簡単には会えなくなるというのに、兄の顔もきちんと見れなかった。


 そして時をおかずして、父からの厳しい当主教育が始まる。

 父の執務机に私が座り、背後で父が鞭を構えるのが日常となった。

 ひとつ間違うごとに一度鞭で打たれた。


「何故こんなこともできん!!」


 日に何度も鞭打たれながら、必死に実務を覚える日々。

 私の背中には今も鞭の痕が生々しく残っている。

 父侯爵の厳しすぎる教育を周囲は止めもしなかった。

 側室の子が正室の子を差し置いて当主になるのだから厳しくされて当然という空気が屋敷中に満ちていた。


 だから、ある日私は爆発した。


(女神なんて、大嫌いだ!!)


 私から兄と平穏な日々を奪った女神が憎くて仕方ない。


 夜間、庭師の手斧を勝手に拝借し、離れへ向かう。

 表の鍵と揺り椅子の部屋の鍵両方を斧で叩き壊し、室内に入った。


 ーー何が慶福だ。

 ーーあんな椅子があるからいけないんだ。

 ーー壊してしまえばいい。


 月明かりの差し込む部屋の中。斧を握る手に力を込めて振りかぶろうとしたその時。

 椅子に何かいることに気づく。

 それは椅子に座り足をぷらぷらと空で泳がせながら、窓の外を眺めていた。


 こちらに気付き振り向いたそれは、女の子だった。

 その子はぱっちりと目を開け、きょとんと私を見る。

 榛色の瞳だ。


「おにーちゃん、だぁれ?」


 斧が私の手から滑り落ち、大きな音を立てた。


***


「ふれいあるどさまっ」


 サヨと名乗るその子は、それから毎晩現れた。

 さらさらと指通りの良い黒髪をした女の子。

 四歳という割には体が小さく、いつもお腹を空かせている彼女のために私は厨房から果実をくすねて携帯していた。


「サヨ、お腹空いてませんか?」


 そういうとサヨは恥ずかしそうにうなづく。

 しかしすぐ慌てたように、


「きょうはね、そうちゃんがおねつなの。だからおかあさんはいそがしかったのよ」


 親としての責任を果たさぬ者を庇うサヨがいじらしくて、頭を撫でる。

 

「そうちゃんはまだあかちゃんだから。さよはおねえさんだからいいの」


 ーーその弟が生まれてから両親はサヨの世話をすることをやめたのだと、彼女の言動から察した。

 サヨは食事も身の回りのこともみんな一人でやっているようだった。

 けれど幼子の手でできることはあまりにも少なく。

 彼女の体が小さく細いのは、まともに食事も寝床も与えられていないからだ。


 彼女の家にもこの部屋のものと同じ揺り椅子があって、寝床代わりにその揺り椅子で寝ていたら、いつの間にかこの部屋にいたのだという。


 この部屋の窓からは侯爵家自慢の庭がよく見えた。

 自宅の外へ出ることができないから、ここの庭を見れて嬉しかった、いつか散歩したいと話すサヨ。


 家の外にさえ出られないと聞いた時は怒りで目の前が真っ赤になるのを感じた。

 

「またおそと、いきたいなぁ……」


 私は何度も何度もこの部屋から彼女を連れて出ようとした。

 しかし。この部屋の扉を開け外に出ようとすると見えない壁に弾かれてしまい、出られないのである。

 だから私は少しでも慰めにと、本を読んでやることにした。


「……サヨ、今日は新しいお話をもってきましたよ」

「おはなし! ありがとう、ふれいあるどさま!」

 

 サヨは非常に利発な子だった。

 ここが自分のいたところとは違うと理解した上で、こちらの物語を話してくれとせがむのだ。

 私は子供向けの本を持ち合わせていなかったから、幼少の頃から私の面倒を見てくれている侍女に頼み手に入れてもらった。

 膝の上にサヨを乗せ、その本を読むのがひとときの幸せだった。


 どうやらサヨの住む場所とここでは、言葉は通じるのに文字は違うらしい。

 それでも毎晩読み聞かせをしていると、サヨはこちらの文字をすぐ覚えた。

 二年足らずで成人貴族が覚えている文字は、ほとんど読み書きできるようになるほどに。

 やがて子供向けの本を全て読み終えると、揺り椅子の部屋の中に置いてあったものを読み聞かせるようになった。


 少々難しいそれらを噛み砕いて教えてやればすぐに理解するサヨ。

 私はそれを微笑ましく思っていたんだ。

 ある日サヨが頬を腫らして現れるまで。


「それは、ーー誰にされたんですか」

「おとうさん……」


 サヨの父が殴ったという。

 原因は私が教えた文字だった。


「サヨ、もうすぐしょうがくせいなの。なのにへんなもじしかかけないっていうの」


 夜しか現れず、朝になれば消えてしまう彼女。


 私は愚かにもこの時まで、本当の意味で理解していなかったんだ。

 サヨにはサヨの世界があり、文化があり、生活があること。

 ーー彼女が、私と違う世界に住んでいること。


「……私が文字を教えたばかりに痛い思いをさせてしまったんですね」


 サヨは首を振る。

 泣いた痕が残る目元が痛々しい。


「サヨはずっとここにいるからいいの。ふれいあるどさまとおんなじがいいから、いいの」


 そう言ってふにゃりと笑い、私に抱きつくサヨ。私は堪らずその小さな背中を抱きしめ返した。

 出会った時から少し伸びた背。

 だのに、少しも幼子らしい膨らみのない体。


 相変わらず食事も満足に与えられず外に出られない彼女は、小さく痩せたままである。

 その目にはいつも泣いた跡があった。

 侯爵の仕事程度でこの世を恨んでいた自分はどれだけ甘えていた馬鹿者なのか、気付かされた。


 私を見つけると嬉しそうに笑う彼女を、求められるまま抱きしめる。その都度、気持ちは膨れ上がっていく。

 親に庇護されずーーそれに気づくことさえできないサヨに、私はいつしか庇護欲以上の感情を抱いていた。


「サヨはここにいたいですか?」

「うんっ」


 サヨと初めて出会ってから二年半近く。

 私は十四になり、月が変われば貴族院へと入学する。

 この小さな女の子なしでは、とうに生きていけなくなっていた。


「サヨ、私もね、来月から貴族院へ行くんです」

「……きぞくいん?」

「サヨのところの学校と同じです。たくさん学んで、サヨがずっとこっちにいられる方法を探してきますからね」


 この世に数えきれないほどある女神の遺物。

 その多くがすでに動きを止め、残りの動く遺物を巡って国同士が戦争をし始めている。


 もしもまだ動く遺物の中に、サヨをこの世界に繋ぎ止められるものがあるならば。

 私はたった一人でもそれを得るため戦う。


「……ふれいあるどさまと、ずっと?」

「そうです。朝も昼も夜も、ずっと一緒です」


 そういうとサヨはボロボロと大粒の涙を流し始めた。


「……ほんと?」

「ええ。だから、それまでは、こうして夜しか会えませんが、我慢できますか?」

「ん……がまん、できる」


 涙を拭ってやると晴れやかな、見ているこちらが蕩けそうな笑顔を見せるサヨを、しっかりと抱き上げた。


「大好きですよ。サヨ」


 翌月の初め、私は貴族院へ入った。

 侯爵邸から通うと思っていた私は、父が寄宿生として申し込んでいることに入学の朝まで気づかなかった。


(サヨが待っているのに!!)


 昨夜はーー明日から貴族院だから、どんな場所だったか話してあげると言って共に眠りについた。それだけだ。

 貴族院は卒業まで最低でも二年はかかる。

 寄宿生は、卒業まで親の許可なく家へ帰れない。


 ーーサヨに、何も言えずに二年も。


 私は貴族院に向かう馬車の中、父への怒りと自身の愚かさへの後悔で発狂しそうになっていた。


 入学後は社交もせず友人も作らず、一日でも早く卒業するため勉学に励んだ。

 文字通り寝食も惜しんだ。倒れるほど。


 その結果幸か不幸か、形振り構わぬ姿に興味を引かれたという王族と誼を結ぶことができた。

 


 私が卒業したのは入学して一年と数ヶ月後。

 貴族院開校以来、最短記録での卒業だった。

 国王から直々に渡される卒業証を奪うように受け取るとその足で侯爵邸へ帰る。

 本来なら真っ先にするはずの父への卒業報告もすっ飛ばして離れへと駆け込んだ。


 ーー部屋にはサヨの拙い字で何通も置き手紙がされていた。

 日に焼けたその手紙は私に会えなくて寂しい、この手紙を読んだら会いに来て欲しいーーそのようなことが書いてあった。


 手紙に日付はなかったが、文脈から私が来れなくなった後数ヶ月間、彼女が一人この部屋で待ち続けたのが分かる。

 だんだんと弱々しくなっていく文字に胸が張り裂けそうになる。

 最後の手紙を読む手に力が籠る。


(この手紙のあとは、一体何があったんだ)


 彼女の無事を祈るしかできない自らの無力が、悔しくてならなかった。


 私は今夜会えたらたくさんたくさん謝り、そしてもう絶対に帰さないと決意して日暮れを待った。

 サヨが揺り椅子を介してこの部屋に来ていることも理解していたので、サヨが帰る前に椅子を破壊するつもりで斧も用意してある。


(サヨはきっと……お腹を空かせて、来るはずだ……)


 簡単な食事を並べ、母屋へ連れ帰る為の着替えも手配して置いてある。

 父の目も、周囲の目もどうでもいい。

 あの子を側に置いて二度とこの手を離さない。


 ジリジリとした気持ちで、私は揺り椅子を見続けた。


 しかし。

 その晩も、次の晩も、その次も、その次の次も。

 サヨは現れなかった。


 ーー私の前に、二度と現れなかったのだ。











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