対策マニュアル
とある会社。その休憩スペースにて……。
「おーい、茂森くん」
「あ、部長! お疲れ様です!」
「悪いね、休憩入るところだったんでしょ? ちょうど廊下で背中を見かけたからさ」
「いや、全然いいっすよ! で、どうしたんですか?」
「ああ、実は彼がだね」
「あ、初めまして! 小林です!」
「おー、はははっ。なんか初々しい感じ」
「ふふふ。そう、うちの部署に配属された新人くんだよ。で、君のもとで色々と学ばせてやって欲しいという話なわけだ」
「ははは! 任せてくださいよ!」
「おおう、頼もしいねぇ、さすが茂森くん。じゃ、よろしく頼むね」
「はい! お疲れ様っす! ……ふっー、で、小林くんだっけ?」
「はい! よろしくお願いします!」
「うん、まあよろしくね。まあ、そう硬くならずにさ。
休憩のあとで外回りに行くつもりだったから、それについてきてよ。分からないことあったら何でも聞いていいからさ」
「は、はい! ありがとうございます! あ、あのさっそくなんですけど」
「おお、なに? いいよ、何でも聞いて」
「先輩、お飲み物は何がお好きですか?」
「え? んー、まあ水かなぁ」
「お水」
「うん、なんかさ、口の中に味が残るのがなんか駄目でさ。でもいちいち歯を磨く気にはなれないじゃん? 飯と一緒の時はべつに気にする必要はないんだけどさ」
「あー、なるほど。ちなみにお好きなのは軟水ですか? 硬水ですか?」
「え? いや、まあ軟水かな?」
「お軟水」
「ああ、うん。まあ、あんまこだわってないけどね。家では浄水器の水だし」
「なるほど。お浄水器のお水が好きと」
「うん、まあ、うん」
「ちなみに、そのお浄水器のメーカーは――」
「いや君、マニュアル作ろうとしてない!?」
「はい?」
「わがままで面倒な上司とかの取扱説明書的なものを作ろうとしてない? メモまでしてさ」
「おメモ、お気に触りましたか……?」
「いや、メモを取るのは良いけど、いや、そのいちいち『お』をつけたりつけなかったりのほうがイラつくよ」
「いちいち『お』をつけたりつけなかったりするとイラつく、と」
「だからメモすんなって! あと書くの速いなお前! 気味が悪い」
「書くのが速いと気味が悪い、と」
「書くなっての!」
「それで先輩、好きなにぎりの具はなんですか?」
「おにぎりな! そこで『お』を外すと意味が分からないから! おちょくってんのかお前!」
「ちょくってないですよ。尊敬しているから『お』をつけてたんです」
「ちょくってって、お前……はあ、なんなんだよもう……なんでどうでもいい質問を……」
「だって……」
「ん?」
「だって先輩。僕のことパシるでしょ?」
「パシ、る……いや、は?」
「飲み物とか食べ物とかコンビニとかに買いに行かせるでしょ? で、間違ったもの買うと露骨に機嫌が悪くなるでしょ?」
「しないよ……え、しそうに見える? 見えたんだな、うん。
よし、わかった。大丈夫、パシリにするとか、こき使うとかそういうのは一切しないからさ、そのメモをもう仕舞って、そうそう。
そもそも俺は、そんな面倒な先輩じゃないからさ……」
「先輩」
「ん?」
「好きなタバコの銘柄はなんですか?」
「え……まあ、うん。甘いのだったら何でも。まあ、そんな感じで。え、君もタバコ吸う人?」
「いえ、僕は吸いません」
「そう……」
「吸わないとイライラしちゃったりする感じですか?」
「いや、まあ、そうでもないかな。今は吸いたい気分だけど……」
「なるほど……見栄を張っているがタバコは最優先、と」
「いや、お前メモしてるだろ! ボイスレコーダーかなんかで!」
「何よりもまずタバコ。タバコとライターを常備し、すぐに取り出せるようにしておくこと。
喫煙所の場所を把握しておくことも忘れずに。
タバコを吸えずにいるためか突然声を張り上げるかなりの中毒者。
タバコ休憩と称し、ちょくちょくサボる可能性大。
おにぎりの具を答えなかったことからパン派だと推測。
恐らく、柔らかめのパンが好き。硬めはNG。あとバナナ好きそう。
口の中に味が残るのが嫌いと言っておきながらタバコは吸うという矛盾。信頼性に欠ける恐れあり」
「だから、やめろやぁ!」
「ぐっ、胸ぐら掴むなど自分が思うように行かないことがあると機嫌が悪くなり、すぐ暴力に訴える幼児性。
むしろ動物寄り。スケベそう。共に出張の際は性的マッサージの店を調べ、そっと教えると良さそう。車中のエアコンの温度は低めがいい。多分、暑がり。今、汗臭い。口も臭い」
「お前、いい加減に――」
「なにしてるんだ茂森くん! 彼を放しなさい!」
「ぶ、部長だって、こいつ、こいつが」
「な、何だね君、涙ぐんで……いや、それよりもまったく君なら安心だと思ったのになんなんだ! まだ十分も経っていないのに驚きだよ!
いいかね、彼はうちの社長のご子息なんだぞ!
お父様が秘書としてポストは用意すると言っているのにそれを断り、平社員から始めるという男気溢れるお方なんだぞ! それをなんで」
「え……い、いや部長。多分こいつ、滅茶苦茶、秘書に未練ありますよ……。
一度断って謙虚さを見せてから受けるというパターンに失敗したんすよきっと……」
「なに、わけのわからんことを……なあ、小林くん」
「お洞察力……おあり」