あなたと過ごした一年
拝啓、ご主人様へ
なんというか、こうして改まって文字に書き起こすというのは恥ずかしいものですね
手紙は毎日ご主人様宛てに書いているのですが、返事は一向に返ってきません
まぁそれもそうですね。宛先の住所はこの家のものなのですから
わたしはいつも通り、家の掃除に洗濯、お庭の手入れ、それにご主人様の眠るお墓も毎日かかさず掃除を行なっていますよ
ご主人様が天国に旅立たれてから一年が経ちました
時の流れとは早いものですね
実はわたし、ご主人様が天国に行かれてしまってから日記を付けるようにしたんです
今日あった出来事や記憶に残ったもの、それをいつでも思い出せるように
もちろん、ご主人様と過ごした思い出もわたしの心の中にずっと生き続けております
でも、ようやくわたしもご主人様の元へと向かうことができます
だから最後、ご主人様と出会ったあの日から過ごしたあの一年の日々を、日記に書いてみることにしました
ご主人様と出会ったあの日から始まった、たった一年の短い、けれどもわたしがこの世に生まれて良かったと思えた、あの一年の日々を――
◆
人間は産まれたその瞬間から、人生が当たりか外れかが決まる。
だとすれば、新河玲央はこの世界に産み落とされた瞬間から、人生は大外れだったと言えよう。
母――柚葉は玲央を出産直後、容体が急変して三日後に帰らぬ人となった。
父――浩一郎も玲央が四歳の誕生日に、交通事故で命を落とした。
『呪われた子』『関わると不幸が訪れる』
幼くして両親を失った玲央を引き取る親族は誰もいなかった。関わると災いが自分、自分たちの家族にも影響を及ぼしかねないと思ったからだ。
程なくして、玲央は近くの施設に預けられることになった。
元々、自分が進んで話すような性格でもない玲央だったが、親族から嫌というほど聞かされた「お前が両親を手にかけたのだ」という呪いのような言葉が、彼の性格に上乗せされてより一層陰気な性格になった。
施設でも仲の良い友達は一人いない。
誰とも心を開こうとしなかった。自分と関わると、他人に迷惑がかかるから。
施設でも腫れ物扱いされるのに、そう時間はかからなかった。
人と関わらない時間を、玲央は勉強に注いだ。
自分の知識として蓄えられるのは気持ちが良かったし自分が積み重ねた分それは見える結果として現れる。何より数字は嘘をつかない。
小学生から中学まで成績は不動の一位。
高校も特待生枠を利用して全額免除で入学。おまけに顔面偏差値も高いときた。
もちろんそれに寄ってたかってきた女子はいたが、玲央はそれを全て払い除けた。
必要最低限の人付き合いのみを必要とし、それ以外は全て不要と、頭のネジが外れたかのような思考回路とあまりにも拗らせ過ぎた性格を、既に学生時代に確立させていた。
進学校、有名な国公立大学を卒業した玲央は、超一流の企業に就職した。
最終面接で相当の苦労はしたが、持ち前の地頭の良さと上手い機転の効かせもあって、無事第一志望の会社に内定を貰うことができたのだ。
入社一年目から学歴だけの『無能エリート』などと言わせることなく、バリバリと仕事を完璧にこなしていった。
仕事はできても性格に一口も二口も難のある玲央だ。当然先輩や上司との口喧嘩も頻発し、玲央に近づこうとする社員はいなくなった。
だが玲央からすれば、これこそがいつも通りの状況。むしろこちらの方が過ごしやすくてやりやすい。仕事ではいつも求められている以上のクオリティーを出してくるのだから、会社側としても何も言えない状況だった。
玲央は高校卒業と同時に、投資も行っていた。
彼にはその才能もあったのだろう。順調に資産を増やしていき、玲央が社会人として現在の会社に就職するには、自然豊かな土地に別荘が一軒と、マンションを購入できるくらいまでの貯蓄が貯まっていた。
数字と金は嘘をつかない。
それが玲央の信条だ。
簡単ではあるが、これまでが新河玲央のこれまでの人生の全てである。
そして現在――
二十八歳の玲央は、余命一年の余命宣告を受けた。
◆ ◆
病院からの帰り道。
新河玲央の足取りは軽くもなく重くもない。
ここ数日、体調が優れないと思って小さな病院で診察を受けるともっと大きな病院で診てもらってくれとそれが数軒ほど続いて、ついさっき余命宣告を受けた。
余命は一年。原因不明の難病、不治の病。治療方法もなければ有効な治療薬も現在の医療ではないらしい。
「……ハッ」
玲央の口からはまるで自分を嘲笑するかのような乾いた笑みが溢れた。
そして改めて思い出す。自分の人生は外れなのだと。これまで偶然上手くいっていたことは、それ以上のツケとなって自分へと返ってくる。
自分を産んだ母の命を奪い、自分の誕生日に交通事故に遭った父の命を奪い、身内からはあらゆる罵詈雑言を受けた。
まるで呪いのように、玲央の身体にまとわりついて外すことを許さない。
この先一生、その十字架を背負って生きていけと言わんばかりに。
「いや。だからこそ……か」
一年後に死ぬ。突きつけられた残酷な未来に、玲央は絶望どころか安堵の表情すら見せた。
「ようやく、楽に死ねる」
ようやく、この十字架の重荷を降ろすことができる。
何度も死のうとした。だが、もう一歩のところで勇気を出せなかった。このまま心が焼き尽くされそうな地獄の日々を過ごすのかと、苦悩の日々だった。
でも一年後、俺は確実に死ぬことができる。
死にたくても死ねないと、もう嘆く必要もない。そう思っただけで、心がなんだか軽くなったような気がした。
◆ ◆ ◆
余命宣告をされたその日、玲央は会社を退職した。
死ぬと分かった以上、ここで働く意味はもうないと思ったからだ。もう十分に貯蓄はあるし、投資という稼ぎ口も確保している。
会社側からしても、こんな厄介虫はいなくなった方が会社も円滑に回って伸び伸びとした環境で仕事ができる。
退職の話を出した際、特に引き止められることもなくすんなりと辞めることができた。
それと、別荘に住むことにした。
こんな人と情報にまみれた息苦しい場所より、最後の一年はのどかで穏やかな場所で過ごしたい。そう考えた玲央は、住んでいたマンションを引き払った。
荷物の整理や引っ越しの手続きも順調に進んで、玲央は別荘でひっそりとした生活を送り始めた。
何物にも縛られず、起きたい時間に起きてやりたいことをする。最後の一年を過ごすには十分すぎる環境だった。
そんなある日のこと、玲央はパソコンの画面をじっと見つめては珍しく頭を悩ませていた。
汎用型自律思考ロボット
どの分野にも対応でき、その経験を積み重ねることでAI自らが学習する。近年その技術が急激に高まっていき、現代となっては蔓延るように大量生産されては企業の戦略として社会の歯車に組み込まれている。これはその汎用型自律思考ロボットをレンタル、又は購入できるサイトだ。
見た目は人と大差ない。言語は普通に話せているし、動きもロボット特有のカクカクした動きでなく滑らか。ロボットだと知っていなければ人間だと疑ってしまうほどに。
玲央がこれに手を伸ばしたのは、ロボットならまぁ何とか相手にしていけるかと、ただそれだけの理由だ。
この別荘は自然に囲まれた山奥の中にあって、最寄りのスーパーまでは三十分ほど要する。もし仮にその病気が進行して、身動きがとれなくなったら……
「いや。それならそれでいいのかもしれない」
この世に未練などない。それもまた自分の運命なのだと受け入れても悪くない。
どうせ一年の命。死ぬのが早まろうがなんだろうが、大して変わらない。そもそも自分を心配してくれる人間など、この世に誰もいない。
「ハッ、だからなんだってんだよ」
この金は全て知識と努力の末に貯めに貯め込んだ、いわば玲央の全て。死ぬというのにそれをみるみる残して死ねない。
これは自分の知識と努力の末に貯めに貯め込んだ、いわば自分の生き様そのもの。それを残して死ぬなんてできるわけがない。
「これは俺の人生だ。俺の生きたいように生きて、死ぬのはそれからだ」
玲央はマウスを操作して、『レンタル』をクリックした。
◆ ◆ ◆ ◆
それから数日。
インターホンが鳴り響き、お待ちかねの汎用型自律思考ロボットが届いたことを認識する。
ネットでは何度か予習したが、玲央はまだその目でまだ見たことがない。果たして現物はどんなものかと、玄関のドアを開けた。
「初めまして。新河玲央様のご自宅ですね」
肩ほどまである黒髪と同じ色の瞳。
黒を基調としたロングスカートと白のエプロンドレスは男なら一度は拝めたくなるような伝統的なスタイル。胸元は赤色のリボンが彩りを添えている。
彼女が丁寧な口調で発した声は、いい意味で人間味を感じさせた。
「……何でメイド服なのか聞いてもいいか」
「レンタルされる大抵のお客様はこのような服装が好きだと、初期のプログラムがそう言っていましたので」
「あぁ、性癖ってことね」
制作側の夢と想いと希望が詰め込まれたもの。
夢もしくは妄想でしか見られないものを技術の進化に合わせてそれを現実に引っ張ってきたということか。
これでは汎用型自律思考メイドロボットになってしまう。実際彼女に頼む業務はそれなので別に構わないのだが。
彼女は頭を深く下げて、言った。
「この度は当社、エウンズ・ランウィーホールディングスのご利用ありがとうございます。今日から三ヶ月担当させて頂く汎用型自律思考ロボット。名をレイヴェル・イチェトラード・ナークルシアと申します」
「え、もっかい言って」
「この度は当社、エウンズ・ランウィーホールディングスのご利用ありがとうございます。今日から三ヶ月担当させて頂く汎用型自律思考ロボット。名をレイヴェル・イチェトラード・ナークルシアと申します」
「違う違う。名前だ名前」
「レイヴェル・イチェトラード・ナークルシアと申します」
随分と長い名前だなと、玲央は眉を顰めると同時に彼女が持っていた鞄に視線を向ける。
「随分と大きい鞄だな」
「はい。これと同じ服があと五着入っていますので」
「そうか。まぁ入ってくれ」
「お邪魔します」
彼女は小さく頭を下げて別荘へと足を踏み入れると、別荘の内装を見渡すようにキョロキョロしていた。
「綺麗にされているのですね」
「ものがないだけだ。ごちゃごちゃしているのは好かん」
別荘にあるのは玲央が必要と思っているもののみで、それ以外は何もない。部屋の内装にまで玲央の性格は反映されていた。
「えっと、レイヴェル……」
「レイヴェル・イチェトラード・ナークルシアです」
「長い。他にレンタルしてくれた人はなんて言ってたんだ」
その内愛着が湧いて名前以外のあだ名を付けてくれる人もいると思ったのだが、彼女は黙りこくったまま何も言わない。
「そーいうのなかったか?」
「……はい。申しわけございません」
「別に謝ることじゃねぇだろ……じゃあそうだな。レイナってのはどうだ」
それぞれの名前の頭文字だけとっただいぶ簡略化したものだが、一々あの長々しい名前を呼ぶのも疲れるしその方が呼びやすい。
「レイ……ナ……」
「嫌か?だったら別に変えるが」
「いえ。滅相もございません。ありがとうございます」
「じゃあレイナ。今日から三ヶ月、お前には身の回りの家事全般、掃除から洗濯、買い物をお願いしたい」
玲央がそう言うと、レイナはスカートの裾を持ち上げて右足を引き、頭を下げる。
「承知致しました。今日から玲央様――ご主人様のお役に立てるよう誠心誠意勤めさせていただきます」
こうしてレイヴェル・イチェトラード・ナークルシアこと、レイナは玲央のメイドとして働くこととなった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆
レイナが別荘で住み込みで働くようになって数日。玲央は早くも頭を悩ませていた。
彼女をレンタルしたのはいいが、問題はレイナの仕事ぶりが壊滅というわけだ。
掃除を任せてふと目を離せば、足を滑らせて転ぶから始まり、何故かさっきより部屋が汚くなっている始末。洗濯もボタンを押せばいいだけなのに、故障させてしまうのだ。
裁縫と買い物は難なくこなしているのだが、それでもレイナをレンタルしただけのお釣りが返ってきているようには思えない。はっきり言わせてもらえば期待外れだった。
このサービスはレンタルの場合三ヶ月、半年、一年と三つの期間がある。
もし利用者のご期待に添えなかった場合は、当サービスに連絡すればロボットの返却及びレンタル代の全額が戻ってくる。
そして一週間が経過して、レイナは今日もミスを起こしてしまった。
「ご主人様……申しわけございません」
「いいよいいよ。俺が直しとくからレイナは玄関前の落ち葉の掃除でもしてて。レイナもそれくらいはできるだろ」
「はい……」
レイナは申しわけなさそうに顔を俯かせて、玄関へと向かった。
仕事場でもそうだったが、玲央は後輩が仕事でミスをしてしまった場合、後輩と一緒にそのミスをなくすためにはどうすればいいのか原因究明するタイプではなく、全て一人でこなしてしまうタイプの人間だ。
自分で全てやってしまったほうが早いし、より完璧にすることができる。玲央の悪い癖だ。
「マジで返却しよっかな」
最後の一年を謳歌するためにわざわざレンタルしたのに、むしろ仕事量が増えている。これから自分でやった方がいいとすら思い始めていて、
「直し終わったらレイナとその話でもすっか」
サービス解約の条件はただ一つ。
利用者とメイド間での書面の合意のみ。
といっても、利用者が解約を求めた時点で修復は不可能。ロボットにはその権利すら与えられない。
洗濯機を直し終えて、レイナの元へと向かう。
玄関の扉を開けて、玲央の足は止まった。
レイナがいたのは、別荘に佇む一本の木の根本。そこで掃きほうきを握りしめ小さく蹲っていたレイナの小さな身体は、少し震えていた。
ありえない、と玲央は心の中で叫んだ。
まさか泣いているのかと。
AIが搭載されているとはいえ、ただのロボットだ。そんな感情なんて有しているわけがない。
だが、そんなレイナの姿が玲央の記憶を呼び覚ました。
三年前の社会人時代。
当時二十五歳だった玲央の隣は、入社してまだ間もない二十二歳の青年だった。
その青年は元気で素直な性格の持ち主だったが、仕事の飲み込みは遅いし容量も悪く、ミスもよくしていた。実力主義だった会社では、その青年はすぐに浮いてしまった。
「あ、あの。すみません。今お時間……」
「今忙しいから」
「はい……すみません……」
話しかけられてもそう突っぱねていた。
自分と関わると不幸になる、そんな言い訳を建前に、面倒ごとをふっかけられるのが嫌だった。
やがてその青年の持ち前であった元気すら失われていき、仕事を休むことも度々増えた。
ある日、夜遅くまで残業していた玲央が真っ暗な事務所に戻ると、一台のパソコンがついていて、それは青年のものだった。
窓から覗くと、青年の背中は小さく丸まっていてそして震えていた。
それから程なくして、青年は自主退職した。
その青年の姿と、今のレイナの姿が重なって見えた。
(もしあの時……話を聞いてあげていたら……彼がミスをしないような方法を教えてあげられていたら、彼なりのやり方を一緒に考えられていたら……)
もしかしたら、彼はこのままあの会社を続けていたかもしれない。
そこからメキメキ実力を伸ばして、自分以上に結果を出す社会人になっていたかもしれない。
今更になって、そんなことを考えてしまった。
らしくないことだってことは自分でも分かっている。けれども考えてしまった。
もしかしたら、初めて自分を慕ってくれる人ができていたのかもしれないって。
気がつけば、玲央は歩みを進めていた。
「レイナ」
彼女が蹲る木の根まで歩み寄って声をかけると、レイナは慌てて顔を上げた。
「ご、ご主人様。申し訳ございません。すぐに掃除を……」
「いや、そのままでいい」
立ちあがろうとするレイナを抑制し、玲央はレイナと視線を合わせるように膝をつく。
「あー……レイナ」
「解約……ですか?」
レイナが真っ先にそれを口に出した。まるでそれが分かっていたかのようだった。
「そう……ですよね。そうしますよね。せっかくご主人様の生活をサポートするためのわたしなのに、そのわたしが足を引っ張って」
レイナは振り絞るように必死に言葉を紡ぐ。
「わたし、不良品なんです。他の子ができることはわたしにはできなくて、本来ロボットは感情を持たないはずなのに、わたしはできないことにうじうじ悩んで、それでまた失敗するので、だからレンタルされてもすぐに解約されちゃうんです。皆さんからは『不良品』とよく呼ばれていました」
会った時に感じた、いい意味の人間味はそういうことだったのか、と玲央は納得する。
「なので、解約されるのには慣れています。失望したような目で見られるのも、暴言を吐かれるのも」
レイナは息を吸って、玲央の目を真っ直ぐ見て、
「ご主人様。わたしと契約解除してください。もう、覚悟はできております」
「……言いたいことはそれだけか」
「えっ……」
思いがけない言葉に、レイナはそう声を漏らす。
「正直、解約も考えた」
「そう、ですよね」
「掃除もできないし洗濯機は壊すし、今もこうしてサボってるし」
「申しわけございません……」
「でも、それも含めてレイナだと思う」
相手はロボットとはいえ、生まれて初めて玲央は他者に歩み寄ろうとしている。
それは自分の過去の経験、命のリミットがあるからこそ、負い目と思ったそれが玲央の心に確かな変化を与えていた。
「まぁその……覚えるのは少しずつでいい。一緒にやっていこう」
「えっと、つまり……」
「これからもここで働けという意味だ」
「解約しないんですか?」
「してほしいのか」
レイナは慌てて首をブンブンと横にする。
「じゃあさっさと家に入れ。まずは掃除の仕方から教えてやる。いくぞ」
言葉は相変わらずぶっきらぼう。でも今の玲央のできる限りの歩み寄りと下手くそといってもいいくらいの不器用な笑顔を向けたあと、背を向けて別荘へと向かう。
「は、はい!ご主人様!」
レイナもその後を追って、別荘へと入っていった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
マンツーマンで掃除や洗濯機の使い方を教えると、始めは不慣れながらも覚えていき、やがて一人でも難なくこなすようになっていった。
初めからそれができていれば苦労しなかったんだがなと思ったが、これはこれで悪くはないと思う自分がいた。
「ご主人様。お茶が入りました」
「あぁ、ありがとう」
新聞に目を通しながら、レイナが淹れてくれたお茶を一啜り。
「美味い」
「ありがとうございます」
今となっては好みの味の濃さで理想のお湯加減のお茶を淹れれるくらいにまで成長した。
「ご、ご主人様……その、一つお話があるのですが……」
お茶を楽しんでいると、レイナがこちらの様子を窺ってきたので、読んでいた新聞を閉じて、彼女と向き合う。
「どうした」
「あの、もうそろそろ三ヶ月経つじゃないですか……」
「そうか。もうそんなに経つのか……あぁ、そういう」
レイナの言いたいことを玲央は理解した。
玲央が本サービスと交わした契約は三ヶ月。ここから再び玲央とレイナ間でのやり取りとなる。
このレンタルサービスは延長制度も設けている。つまり三ヶ月経過して、この先も継続したいのであれば書面での合意を交わしたのち、本社にそれを郵送することとなる。
「レイナはどうだった。ここでの三ヶ月は」
「わたしは、ご主人様に支えることができてとても楽しかったです。あれだけ迷惑をかけたわたしに丁寧に仕事まで教えていただいて、許されるのであればわたしは……」
その先は言わない。いくら支えるものがそれを望んでたって、主人がそれを拒めば契約は成立しないからだ。
「そうか。じゃあ契約延長だ」
「え、そんなあっさり……」
「延長は前々から決めていたことだ」
「そ、そうだったのですね」
彼女は安堵したような表情を見せる。
確かに機械とは思えない感情表現の豊かさだ。
「書類、書かなきゃなんだろ。書いて出してくる」
「あっ、はい!」
レイナが持ってきた契約延長の書類に、玲央は署名と印鑑を押す。そのときの彼女の表情はとても嬉しそうに見えた。
「でもどうして……」
「皆まで言わすな。察しろ」
書類を封筒にしまった玲央は立ち上がって、玄関へと向かう。
「わたしがいきますよ」
「外の空気を吸ってくるついでだ。それじゃあ行ってくる」
玲央も、レイナと過ごしたこの三ヶ月はまぁまぁ悪くないものだと思っていた。
それに解約してまた当初のレイナのような者がこられるのは流石にお断りだ。
「ぐっ……!ゴホッ!ゴホッ!」
突然ときたそれに、玲央は口元を押さえて込み上げてくるものを必死に抑える。激しい咳き込みがようやく落ち着くと、玲央はゆっくり深呼吸する。
「時が流れるってのはそういうことだよな」
時間が経つにつれてレイナが仕事を覚えるように、季節が春から夏へと変わるように、玲央の身体も徐々に、確実に病気が蝕んでいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
半年が経過した。
レイナとも再び契約延長を交わして、何事もない平穏な日常を過ごしていた。
「レイナ。ちょっといいか」
とある日。
玲央は窓拭きをしていたレイナを呼んだ。
「はい。少しお待ちください」
窓拭きのタオルと手を洗い終えたあと、玲央と向き合うように腰を下ろした。
「どう、されたんですか?」
急に改まってこんなこと風に向き合うのは契約延長のとき以外なかったので、レイナが纏う空気にも少し緊張が走った。
「いや、いずれは伝えないといけないと思っていたことがあってだな」
出会って半年。
レイナは自分に支えてくれた。当初はこれを告げる気はなかった。そもそもそれまで契約を延長しようなんてことも考えてなかった。
だが、ここまで自分を慕ってくれる彼女にだって、このことを知る権利は十分すぎるくらいある。
「実は俺、余命宣告されてんだよ」
「えっ……」
玲央の突然の告白、余命宣告にレイナは言葉を失った。
「いつから……」
「半年前」
「そのとき、お医者さんはなんて」
「余命一年、原因不明の不治の病。治せる手段はない。特効薬も存在しないだと。もう詰んでるって話」
「じゃあなんで……ご主人様はそんなに普通にいられるんですか……」
平然と自分の現状を語る玲央が、レイナにとってはとても不可解だった。
「そうだな。もう半分くらい人生を諦めているかな、だな」
玲央はレイナに全て話した。
小さい時から両親を亡くしたこと。
両親の死には全て自分が関わって、『呪われた子』など酷い言葉を言われたこと。
いつしか誰も信じられなくなったこと。
「なんで……ご主人様が、そんな目に……」
「さぁな。そういう運命だったってことだろ」
別に今更悲観することもない。
悲観してから運命が変わるならいくらでもそうしてやるが、そういうわけでもない。
「でも、ありがとうございます……話してくださって……」
「いいよ。俺とレイナの付き合いだし」
「じゃ、じゃあわたしのことも知ってください!」
そう言ってレイナも語り始めた。
今、この世界に蔓延するかのように大量生産されてい汎用型自律思考ロボットだが、彼女はいわゆる初期ロット。
実用している企業のそれはまさに最新版だが、彼女の性能はそれより何段階か落ちる。もちろんそれは個体によって差はあるが、レイナはその中でもかなり下のランクに該当する。
ではなぜあのサイトは汎用型自律思考ロボットを指名制にしないのか。当然、性能が最新のものほど人はそれを求めて、古いものは蚊帳の外。
求める人がいなければ処分しなくてはいけない。だが処分するコストは当然会社側にある。
どうせ処分するなら使い倒してから処分しろ、というのが、指名制でなくランダム制にしている理由だ。
当然クレームの連絡はあるだろうが、そこは会社の力で揉み消しているのだろう。
レイナが担当した家はどこもこぞって『ガラクタ』『ゴミ』『スクラップ』『不良品』と言って一ヶ月以内に返却した。
それに最新型のものは搭載されたAIが全て管理、自己補完を行っているためミスもしないし感情すら持たない。
それはレイナのみが特異だったのだろう、それは自我を持ち、レイナの感情というものを表現させた。
汎用型自律思考ロボットには人間の心臓と同じ場所に『コア』というものが存在して、それの寿命が彼女たちの寿命。
そしてレイナの寿命は、あと一年半しかないというものだった。
「わたしのこの命も、残り僅かなものということです」
「つまり、どちらも二年以内には死ぬってことだな」
「はい。そういうことになります……」
「……レイナ。契約を新しく更新することは可能か?」
「えっ、はい。そのときは少々手続きがありますが……」
「問題ない」
ずっと考えていた。
だが、その話を聞いて決心がついた。
その想いを今レイナに伝える。
「レイナ。契約内容を変更する。俺が死ぬまで、レイナの命が尽きるまで、俺の傍にいてくれ。お前の残りの人生、俺に買わせてくれ」
「……へっ?」
一瞬、レイナの脳内の思考回路が止まり、そしてオーバーヒートを起こした。感情が豊かなおかげかレイナの顔の表情ならどんな心の持ちようかよく分かる。
顔を朱色に染めて、両手で顔を押さえるレイナはなんとも可愛らしかった。
「えっ、エラーですエラー。思考回路停止。直ちに自己補完を……」
「急にロボットみたいな反応やめろよ。まぁロボットなんだけど」
「だ、だってそれ、プロポーズ……じゃないですか」
「わーってるよ。分かった上で言ったんだよ」
柄にもないことを言っているのは承知。
だが、すぐにでも言っておかなければと思ったのだ。
命が燃え尽きるその前に。
パートナーという心と心の永久契約、その永遠の誓いを。
「なんか言えよ……」
「えっ……」
「返事だよ返事」
「あっ、えっと……」
オーバーヒートさせた脳は簡単に熱を逃さない。冷静な判断なんてできっこない。でもこれは、その気持ちは、ずっと前から決まっていた。
「不束者ですが、よろしくお願いします」
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
そこから半年は、とにかく楽しんだ。
レイナとの思い出をたくさん作った。
遠出をして、ひっそりとした旅館にも一緒に泊まって、眺めのいい夜景で指輪も渡して、どれもこれも玲央にとってかけがえのない思い出になった。
そして三月――
桜の蕾が花を咲かせようとしていた頃、玲央はベットで寝たきりの状態になっていた。
筋力は完全に衰えて、レイナの支えがなければ立つことすら叶わない。
「なぁ。レイナ……」
「はい。ご主人様」
玲央の視界にはまるで陽だまりのような優しい声で微笑むレイナの姿がある。
「俺、ずっと考えてたんだ。なんであの日、あのサイトで、レンタルをしようと思ったんだって」
自分で稼いだ金は自分のもの。それを使わずに死ぬなんて出来はしない。確かにそれもあった。
だがそれなら、他のところに使うことだってできた。その金で食べたいものを食べて、一人で海外旅行を楽しんで、いくらでも使い道はあった。
でも、それがようやく分かったような気がした。
「俺、誰かと話したかったんだ。誰かと同じ家に住んで、くだらない話をして、そんな普通の日常が欲しかったんだ……」
それを自分の人生は外れだとか、環境のせいにした。その結果、長い間一人で過ごすきっかけを作った。
後悔していることなんて山ほどある。上げたら数えきれないくらいだ。
「そう……ですか」
「けどなレイナ……レイナと出会って、たった一年だったが、俺の人生も少しは当たりだったんじゃないかって思えた。最初はとんでもないやつが来たって思ったがな……」
「それもこれも、ご主人様のおかげですよ」
「でも、そのおかげでこの一年。退屈しなかった……ありがとうな」
「こ……こちら、こそ……です……」
「なぁ。レイナ……」
「はい。なんですか?」
「この一年、楽しかったか?有意義だったか?」
「はい……ご主人様のおかげで、本当に楽しい一年でした」
「そうか……」
「ご主人様はこの一年、わたしと過ごした時間は有意義なものになりましたか?」
「さっき……退屈しないって言ったろう……」
「それ、楽しいとも言ってくれていませんよ……」
「皆まで言わすなよ……あぁ、最高の一年だった……レイナと出会えて、良かったって……心から思える……」
「そうですか……ご主人様、わたしの最初で最後のお願い、聞いてくださいますか……?」
「あぁ……」
「叶わない……ことは、分かってます……遅すぎるってことも……分かってます……でも、やっぱり寂しいです……生きて、生きてくださいっ!死んじゃダメですっ!わたしを一人にしないでくださいっ!せめてっ……わたしの命が尽きるまで、一緒に……一緒にいてください……」
「……ハッ。まさか、そんなことを言われる日が……来るなんてな。余命宣告をされたその日から今日まで……死ぬ覚悟はできてたっていうのに……そんなことを言われたら、死にたくなくなっちまうじゃねぇかよ……」
「嫌っ!嫌ですっ!あと少し!あと一年だけでいいから、わたしとっ!わたしと生きてっ!生きてくださいっ!神様っ!お願いですからわたしからご主人様を取らないでくださいっ!」
「あぁ……死にたく……ねぇな」
初めて吐露した、生きたいという意志。
だがそれは無情にも、身体を蝕む病気によってその可能性を少しずつ、確実に詰んでいく。
「レイナ、どこだ?見えねぇよ……」
視力は奪われた。真っ暗な暗闇の中、必死にレイナの姿を求めようと、手で彼女を探す。
「ご主人様……っ!」
自分はここにいると、玲央に伝えるために優しく、でも限りなく強く握りしめる。
しばらくしてその手の感触すら失われる。けれども、まだ微かに残る力を振り絞って、この言葉をレイナに送った。
「レイ、ナ。レイナ……」
「はい……わたしはここにいます……」
「レイナ……ありがとう……あい、し……てる」
「はい……わたしも心から……ご主人様のことを深くお慕いしております……あいして……おります……」
レイナの震えながらも振り絞ったような声が聞こえて、玲央は穏やかな表情を浮かべて――
ここで新河玲央の辛く短くも、けれども最後は優しげな眼差しを向ける一人の女性の前で、その生涯を終えた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
懐かしいですね。
目を閉じれば、今でも昨日のように思い出せるというのに、気がつけばもう一年です。
ご主人様が旅立たれてから、きっと寂しさで死んでしまうのかと思ったのですが、不思議と寂しくはありませんでした。
きっと、ご主人様がそこにいてくれたからのだと思います。
それに、ご主人様がくれたこの指輪。本当にわたしには余り余るほどの愛をいただきました。
……わたしもそろそろ時間です。
もうじき、わたしのコアは寿命を迎え、その役割を終えるでしょう。
ようやく、ご主人様の元に向かうことができます。
最後は、あの場所で眠らせてください。
ご主人様が初めてわたしに寄り添ってくれた、あの笑顔を見せてくれた、あの木の下で。
わたしは木の根にその身を預けてそっと目を閉じわそのコアが終わりを告げるのを持った。
命が尽きるその瞬間、わたしの手のひらに確かな温もりを感じた。
何も感じない世界で、光が差し込んだ。
何も考えず、ただひたすらそれを追いかけて走った。それを逃したら、二度と出会えないような気がしたから。
それに手を伸ばすと、景色が一変した。
何もなかった無限に続いていた世界は辺り一面花畑と変わる。
そして、わたしたちの家のシンボルともいえる一本の木。そこに立っていたのは、ずっと会いたかった、その胸に飛び込みたかった、ずっと慕っていた男性がいた。
この一年、ずっとそこで待っていてくれたのですね。
やっと……また会えましたね。
『ご主人様』
それとも、こうお呼びした方がよろしいでしょうか。
『あなた』
お読みいただきありがとうございます。
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