第一話 2
町、王都を歩く人々。
そこに交じって、フィドルも道を往く。ひどい酩酊状態のような心地であった。
(いったい何者なんだ、あの女)
通行人と肩がぶつかる。舌打ちをされたが、フィドルはそのまま無気力に歩き続けた。
(転生者を殺すなんて、そんなこと出来るはずない)
彼らのもたらした文明、街頭の‘エキシビション’に彼らの戦いの映像が流れている。
地を割り、山を薙ぐ。空を裂く銃弾が、人間の数倍の大きさの魔獣を蹴散らしていく。
(……どうして)
その暴力が自分たちに向けられたのか。そして――
(なんで俺はこんなところに来てるんだ)
目前には、きらびやかな高級クラブの看板があった。
半刻前。夢見心地のまま、フィドルは王都のとある宿に連れ込まれていた。
「ターゲットは‘神の御子’ベル・ブラフォード。奴のギフトは二つだ」
魔女が二本指を立てる。
「一つは無詠唱魔法。魔術体系を無視してあらゆる魔法を刹那に行使できる」
フィドルは、いち村人にすぎないのでそれがどう凄いのかもピンとこない。
「本来の魔法は目に見えない大きな存在に助力を求め、儀式や呪文を用いたり、魔法陣を並べたりして使うものだ。奴にはそれがない。神や精霊、あるいは悪魔の権能のように。もっとわかりやすくなら、竜が炎を吹くのと同じように魔法が使える」
察したように魔女が解説した。
「神と同じに……だから、‘神の御子’……ってわけか」
大きな敵の姿に、フィドルは身震いを覚えた。
「もう一つは魔道具精製。やつ特有の象徴印により、あらゆる道具にあらゆる魔法効果を付与することができる」
「はあ……」
「結論を先に言うなら、正面から挑めば百パーセント返り討ちというわけだ」
とんとん、と魔女は首を狩るジェスチャーをした。
「つまり、全然ダメじゃないか」
「そこでお前の出番だ。ベルはお前が生きているとは知らない。そこに付け入るスキがある」
「俺を見ればその……興味を持つ、と?」
フィドルは自分を指さした。
「そうだ。そしてべルを私の前に連れてこい」
「連れて来いってそんな……どうやって?」
不安を隠せず、弱気が口をついた。
「方法は任せる。ナンパでもする感じでいいだろ、食事にでも誘えばどうだ?」
「適当なコトいうなよ……」
フィドルは頭を抱えた。それを見て、興味深そうに魔女は頷いた。
「ふ、ナンパはわかるのか。それともそう訳された言葉の意味を拾っているだけか。つくづく……適当な世界観だな、ナーロッパというヤツは」
「?」
「独り言だよ、気にするな」
応答はここまでとばかりに、魔女は腰かけたベッドに体を預けた。フィドルは頭を掻くと、意を決して扉に向かった。
「ああ……もし連れていけたとして何をするつもりなんだ?」
「私は魔女だと言ったろう。魔法を使うに決まってるだろ?」
くるくると、からかうように指を回す。それが魔法だったのかはわからないが、フィドルは力なく、素直に頷いた。
2
そして今に至る。一度唾をのむと、分不相応な高級クラブの戸を開いた。
「いらっしゃいませ」
「イラッシャイマセー!」
壮年の黒服と、二人の踊り子が頭を下げた。
「あ……すいません、俺、こういうところ初めてで」
低姿勢にこちらも頭を下げると、黒服は温和な笑顔で頷く。
「武器になるものをお持ちでしたらこちらにお願いします」
(武器か。そういえば何も持ってきてない。これから奴に会おうっていうのに)
「ありません」
首を横に振った。
「では、身分証明書――当サロンのメンバー証をお願いします」
「あ、えっとその」
あるはずもないそれを、ポケットを探り――それは出てきた。金色のカードだった。
「ほお……」
渡すと、黒服は感嘆した。
「どうぞラーズグリーズ子爵様、ごゆっくり、お楽しみください」
身に覚えのない、ずいぶんと箔のありそうな偽名を告げられた。みすぼらしいなりがお忍びの雰囲気を強め、真実味を増す。魔女の仕業か。魔女がいったい何をするつもりなのか、フィドルには想像すらできなかった。ラーズグリーズ(計画を壊す者)、その意味も。
薄暗くも高級感のある通路を抜けると、華やかなステージのあるフロアについた。
ホールには何組かの客が酒を舐め、または舞台にかじりつき踊りを楽しむ者で賑わっていた。
彼、ベル・ブラフォードは女の子を2人、席につけて執拗に体を触っていた。
「て、転生者様困ります」
払い除けることもできず、ベルの手の甲に自分の手を添える。
「そういうお店ではありませんので……」
こちら、少し年上だろう女の子が腰を低くお願いする。
「ん? あ、そうでしたか、これは失礼……アハハハハ」
突然、ベルが女の子の服をはぎ取った。
「だったら何?」
「キャアアアア!」
騒がしい音楽を裂いて、悲鳴がフロアに響いた。
「問題ないと思うけど? 誰が俺を止めるんです? たぶん……二秒もあれば全員殺せるよ」
「ひ……」
恐怖から、女の子が声を詰まらせる。
「わかったら。君も脱ぎなよ」
ベルは顎で指示した。踊り子は怯え、震えながら下着姿になった。恥辱に耐えきれず、一人は顔を覆い、一人は膝から崩れ落ちた。
「アッハハハハハ! いいね! かわいいじゃない!」
「あいつ、なんてことを!」
フィドルの口から、思わず嫌悪がついて出た。
厳しい表情で睨みつけると、ベルもまたこちらを睨んでいた。
刹那、首に圧迫がかかる。
壁に後頭部を打ち付けられ、片腕で吊るされる形になった。
「ぐっ!! いつの、まに!?」
攻撃の気配すら感じとれなかった。
(やはり、実力が違いすぎる……!)
「テメェは……村にいた奴か」
腕に万力の力がこもり、呼吸もままならない。
(なんて力だ、明らかに人間のものじゃない!)
「はあ~……面倒くさいな。なにこの想定外のイベント? こういうのいらねえんだよ、転生者様には」
フィドルが振りほどこうと腕に手をかけるも、びくともしない。
「圧倒的パワーとご都合主義でひたすら異世界無双する、それに少しばかりのエログロ、バイオレンス。それが求められているもの、なんですよ?」
さらに腕に力がこもる。げえ、と気道から空気が抜けていった。
「これがどんなイベントかは知りませんけどね。そういうわけで、教えてください。お前……なぜ生きているのです? 答えないと、このまま首を折ってしまいますよ?」
「……」
口を動かすだけで精いっぱいだ。
「え? なんです? 聞こえないなあ」
少しだけ弛緩された。けほ、と空気が抜けた。
「なん、で、俺たちを殺したんだ……!? 誰一人悪いことはしてない! みんなで平和に暮らしていたのに!」
「ええ……? あなた方にも、怒りとか無念とか、そういうのがあるんですか? もしかして怒ってます? NPCのくせに」
訳の分からない侮辱の単語だったが、フィドルのことを人とみていない、そんな感じがひしひしと伝わってきた。
「……それはいいから。教えてくださいよ、なんで生きてるの? 同じこと聞かせないで。それとも同じセリフをくり返すしかできないのかな?」
(よくわかった)
「あーあ、死にたいんですか? 黙っちゃったよ。ったく、まあいいか。村人一匹残っていたって、誤差の範囲でしょ」
(こいつは本当に、俺たちの命や尊厳なんてないものと思ってて)
「『間に合わなかったのか……』『くっ、魔王軍め!』『彼らは、犠牲になったのだ……』なんてね。一匹残ってたら、泣きが足りないよな。そういうことで、じゃ。殺しますよ」
(だったら。殺されるべきなのは、俺じゃない)
「……お、まえ、だ」
魔女がいった、感情。復讐心。或いは憎悪、苦痛、憤り。
それが腹の底から、炎のように湧き上がってきた。
「はいはい。バイバーイ♪」
「後悔するぞ、陰キャ野郎」
「あ……?」
唐突な言葉に、ベルはきょとんとした顔になった。
「イ、ン……キャ……?」
「聞こえないか? 俺は、転生前のあんたを知っている。って、言ってるんだ」
見て取れるくらい、ベルは動揺し、顔を紅潮させ、首から手を離した。
「馬鹿な。そんなはずない。デウス・リベリオンの連中にも話してないんだぞ。いやしかし陰キャ……なんて言葉、こいつらが知っているはずがない」
魔女のぽつりと言った言葉だが、きっと転生者にとって侮辱をあらわす言葉なのだろう。期待以上の反応をベルは見せた。
「お前……何者だ」
胸倉を掴み、ベルは顔を近づけて凄んだ。
「知りたいなら、俺とお茶でもしませんか」
自分でも、びっくりするような乾いた声だった。
殺す。
その感情だけがどす黒く、フィドルの顔に悪辣な笑顔を作った。