2-1 防人の一族 1
世界の半分を焼き、多くの種族の滅びを引き起こした魔神『不死神の王』。
不死神の王は迷宮深くの牢獄に封じられた。
牢の防人には、人族の中から優秀な魔法使いの家系が選ばれた。
この人選も、不死神の王という大罪人を輩出した人族への罰だったのかもしれない。
魔法使いの家系は牢の防人の役目を賜った。
何百年にも続く呪いのはじまりであると、初代の防人は死ぬ間際の日記に残したという。
世界の半分を焼いた少年は、時と共に人族の少年だったという事実も薄れ『不死神の王』という名前だけが残る。
防人の魔法使いたちは、その存在を不気味に想い、恐れ、牢の中にいる不死神の王に声をかけようとする者はいなかった。
✿
何代目の防人だろう。その魔法使いは、牢の中にいる不死神の王に語り掛ける。彼は一族の中でも変人と呼ばれる魔法使いだった。
「不死神の王よ、私の声は聞こえていますか、不死神の王よ」
「うー……うー」
中から返って来たのは弱った獣のような唸り声だった。不死神の王が封じられた牢には、壁、床、天井一面に魔法文字と魔法陣がびっしり描かれており、唯一ある扉にも覗き窓は無く、外から中の様子を窺うことは出来ない。
不死神の王は、魔法使いの一族が牢の防人の任を賜ってからの三百年の間、一滴の水すら飲んでいないという。
若い魔法使いの父は言った。〝この中にいるのは、世界の半分を焼いた怪物を産んだ魔神なんだ。けして声をかけてはいけないよ〟、と、これは、この魔法使いの一族が代々引き継いできた規則でもある。
それでも、探究者であり変人でもある若い魔法使いは、一族のルールを自分の興味のためだけに簡単に破ってしまった。
その日より若い魔法使いは、牢に封じられた不死神の王に話しかけるようになる。
その大半が他愛もない話題だ。今日は晴れていたとか、最近寒くなってきたとか、珍しい鳥を見たとか……日常で感じたことを、ただ牢に向けて語り掛ける。
何度目だろう。不死神の王がついに人の言葉を発した。
「今日は珍しい魚が朝の市場に並んでいました。見たこともない緑色の綺麗な魚で、日の光で七色に変化するのです。あんな魚がいるんですから、この世界は広いです」
「おさかな?」
幼い声だった……驚いた魔法使いは、発するつもりだった次の言葉を思わず飲み込んでしまう。不死神の王が言葉を発したことに驚き、想像していたものと違う純真無垢な子供の声に、若い魔法使いは言葉に詰まる。
その日は、それ以上の言葉が浮かばなかったが、若い魔法使いの防人は、声をかけるのを止めなかった。
はじめのうち、一言二言で途切れていた会話が、少しずつ続くようになる。記憶を取り戻すように不死神の王の声色も成長していった。
「随分私たちの言葉を喋れるようになりましたね」
その頃には不死神の王の声は、少年のモノに成長していた。明らかに年下と思える声の主。
若い魔法使いの防人は、それでも目上の相手と話すように丁寧に話した。相手は世界の半分を焼いた元凶たる魔神なのだ。これだけは絶対に忘れてはいけない。
「言葉を忘れていただけなんだ……ボクも昔は人間だったから、殴られるのが嫌だったんだ……痛いのが嫌で、ボクは不死ノ神とひとつになった。それでボクは、人の心と体を捨ててしまったんだ。ずっと逃げ続けていたんだよ。この能力がイヤで、自分自身がキライで……キミが話しかけてくれたから、ボクは自分が人間であること思い出せたんだ」
「そうだったんですね……不死神の王、あなたは自分が何をしたか覚えていますか?」
「うん、覚えているよ。この世界で最も強く厄介な二つの生き物をひとつにしたんだ。彼らは物凄く怒っていた。彼らの怒りは、この世界を燃やし尽くしたんだ。ボクはこの世界を壊してしまったんだよ」
感情を感じない淡々とした口調。
世界の半分を焼き、多くの生物を滅ぼした不死神の王は、他人事のように言葉を紡ぐ。初めて若い魔法使いは、牢の中にいる不死神の王を恐ろしく感じた。
危機感なのだろう……生物はいずれ老いて死ぬ。しかし、牢の中の不死神の王は、未来永劫、永遠生き続けるのだ。彼を封じている牢獄もいずれ朽ち果てるだろう、そうなれば彼も外に出てくる。
その時には防人もいなくなっているかもしれない。私たち程度の魔法使いでは、生きていたとして不死神の王は止められないだろうが……。
不死神の王の伝説は残るだろう、この牢のことも、それでも、彼が今なお存在し続けているという事実は、人々の記憶からいずれ消えてなくなる。
若い魔法使いの防人に稲妻が走る。
不死神の王が、自分がしたことを罪であると思えるように、私が教えよう。彼が奪った幾千幾万にも及ぶ命に報いるために、彼に正義の意味を伝えよう。
生物同士の『合成』がいかに命を弄ぶ行為であるかを理解させよう。
決意したのである。
魔法使いは変人だった。不死神の王に興味を抱かなければ、少年はただの不死ノ神の一人として、自我を失い、災いを知らせるだけの存在になれたのかもしれない。