8 怒りの季節
以前にジョジョの奇妙な冒険の著者である荒木飛呂彦さんが、単行本の前書きで「怒りの季節」について語っていたのが記憶に残っている。
何やら世の中とか規則とかに怒りがわいてくる時期があるそうだ。
これ、すごくよく分かる。
実は少し前までたらこも「怒りの季節」に陥っていたのだ。
何事もないことに無性に腹が立ち、延々と脳内でその思考がループして、感情がどんどん高まっていくのだ。
あまりよくない状態である。
そんな時に何をするかと言うと、小説を書いている。
実は「怒り」の感情は創作の推進剤になったりするのだ。
実は、ラジオ大賞の作品を書いている時がまさに「怒りの季節」のど真ん中で、あふれんばかりのエネルギーを全て創作へと向けていた。
それが功を奏したかどうかは分からないが、気づいたら50作品も書き上げていたのである。
ほんとのことを言うと42作目あたりから怒りが収まり始め、スピードダウンし始めていた。
48作書き終えたころには「もう何もかもがどうでもいい。世界は平和だ。毎日が幸せ」な気分になっていたので、書き始めた当初の勢いはなかった。
49作目と50作目は完全に「怒り」が底をつき、ヘロヘロになりながら書き上げてゴールインした感じだったりする。
感情は創作に良い影響を与える。
しかしながら、怒りをそのまま「怒り」として表現してしまっては面白くない。
読まされる方もたまったものではないだろう。
以前にモヤモヤをエネルギーにしてエッセイを書くと、とある作品の中で書いたことがある。
実はそのモヤモヤの中には「怒りの感情」も含まれていたりする。
たらこは基本的に大人しいと思われているが、実は内心は地獄の業火のように燃え上がっていたりするのだ。
無論、その感情をありのまま吐き出してしまったら、間違いなく炎上する。
だからこそ言葉を整える必要があるのだ。
吐き出した言葉は必ず整えなければならない。
こうして勢いに任せて書き綴ったエッセイであってもそれは同じだ。
吐き出す瞬間に整えて、丸くするのだ。
ごつごつした岩が川を流され、下流でまん丸な小石になるように。
私と言う川を流れた感情は穏やかな言葉に変わる。
しかしながら、流れを保つには、やはり感情が必要である。
落ち込んでいる時は流れがよどんでうまく言葉が紡げない。
怒りの季節はたらこにとって最高の創作日和なのだ。
感情をエネルギーとして変換し、たまっていたものを押し流して作品として世の中へ放つ。
50作品書いて実にスッキリした。
しかし、スッキリした後に待っているのは凪である。
凪の時は大人しく連載の続きを書きながら、お気に入りの作品でも読んでいよう。
そうして怒りと言う風が吹くのをひたすら待ち続けるのだ。