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46 諦めが肝心なのです

 みなさんこんにちは。

 たらこですよ。


 復帰して早々低浮上になりかけていますが、まぁ……いろいろあるのですよ。


 エッセイを書いていると色んな人に出会いますが、いい出会いもたくさんあるように、あんまりよろしくない出会いもあるのです。

 エッセイジャンルでのトラブルはよく目にしましたねぇ。


 作家同士でエッセイでレスバしたりとか、稀によくある光景です。

 ランキングの仕様ががらりと変わったので、エッセイの日間ランキングを見に行く機会も減ったのですが、やっぱりトラブルの匂いはほんのりと香っています。



 少し前に、とある『強い主張』をするエッセイをお見掛けしました。



 こちらのエッセイでは何やら『自分の意に反する内容のエッセイ』に反論したようです。

 文章は荒く、喧嘩を売るような論調でしたねぇ。


 感情的に反論してしまったら議論が成り立たないどころか、読んだ人の中には嫌な気持ちになる人もいるかもしれませんん。

 何を隠そう、たらこもその中の一人です。


 詳細は伏せますが、反論『された側』のエッセイを知っています。


 第三者の目から見て、『された側』のエッセイ主さまは感情的にならず、素直な自分の気持ちをつづっておられました。

 読んだ人を煽ったり、感情的にさせたりするような表現は含まれていません。



 にもかかわらず、反論『した側』の方はとっても腹が立ったようですね。



 エッセイの主張が対立するのはよくあることなので、双方の主張に対して、特に思うことはありません。

 ですが、反論『した側』のエッセイの文章は、あまりに感情的で配慮の欠けたものでした。

 正直言って、読んだ後に不快感を覚えるほどです。




 疑問なのですが、意見が対立することで怒る必要があるんでしょうか?




 主張が対立して、双方で異なる意見のエッセイを投稿し合うのは、問題ないと思います。

 以前にも言いましたが、議論自体は悪いことではありません。


 でも意見が対立することで感情的になってしまう理由が分からない。

 違う意見を持った人を見かけても「そう言う人もいるんだな」と、スルーできないのでしょうか?


 できないのは、何かしら理由があるのでしょう。

 譲れない『こだわり』ゆえに、反論せずにはいられない。

 その気持ちは分かるのです。


 ですが……以前にも言いましたけど、配慮の欠けた主張は周囲に不快感を与えるどころか、自分の周りにいる人たちまで巻き込んでしまう恐れまであります。

 感情的になってエッセイを書いてもいいことはない。


 にもかかわらず、リスクを冒してまで感情的な内容のエッセイを投稿する意味とは?


 単に気持ちがいいとか、相手をやっつけたいとか、そう言う短絡的な気持ちではないと思うのです。

 おそらくですが、感情的になって書いた作品は、誰かに読んでもらうことや、誰かに自分の考えを伝えることが目的で書いたのではないと思います。



 ただただ共感して欲しいだけなのかもしれません。



 感情的になってヘイトをまき散らすと、心配や同情してもらえるのかもしれません。

 自分はこんなに傷ついているんだ! ってみんなに知らせることができますらかね。


 だったら活動報告でやればいいじゃないって思いますけど。

 それではダメなのでしょう。

 やっぱり譲れない『こだわり』があるのかもしれませんね。




 だとしても誰かを傷つけてよい理由にはなりません。




 エッセイを読んでくれた人から共感を得て、誰かと気持ちを共有できたら、とても幸せだと思います。

 でもその共感が『ヘイト』に起因したものであったのなら、褒められたものではありません。


 誰かと嫌いの気持ちを共有すると、実はとても『強い力』が生まれるのです。

 好きの気持ちよりも、嫌いの気持ちの方が、人の感情をより強く動かしますから。


 他者を攻撃することで得られた共感は、攻撃性を正当化してしまいます。

 これに味をしめると、何度も同じことを繰り返すようになります。


 その先にどんな結果が待ち受けているか。

 想像するまでもないでしょう。




 でも……誰も止めてくれません。




 注意しても聞く耳を持たず、忠告する人たちを遠ざけ、ただただ暴走を続けるから。

 止めても無理だと諦めてしまうのです。


 肯定する人だけが周りに残り、気づかないうちに一人、また一人と周囲から人が消えていく。

 そのことに気づかないで大声で自己主張を続ける姿はまるで裸の王様。


 何度も同じことを言いますが、感情的になって書いたエッセイは、他人を傷つけるだけで何一ついいことがありません。

 誰かと意見が対立しても、決して感情に流されてはならないのです。



 ◇



 さて、本題に戻りましょうか。

 なぜ意見が対立すると『嫌い』になってしまうのか。


 たらこにも、こういう感情がないわけではないので、理解できなくもないのです。

 原因は『自分の気持ちを分かってもらえないから』ではないでしょうか?


 自分の気持ちを分かってもらえないと、どうしても感情が激しく動いてしまいます。

 こうした感情の動きに対して冷静さを保つには、考え方を変える必要があるのです。




 それは「諦めること」です。




 諦めは心に安らぎを与えてくれます。

 何故なら、人の怒りは「諦めること」からほど遠い場所にあるからです。


 諦めきれないから感情が動いて、場合によっては怒りが噴き出してしまう。

 たらこも今までに何度も「怒り」を覚え、その度に「諦め」によって感情を抑えてきました。


 人生は諦めが肝心、というように、無理に自分の気持ちを押し通すよりも、さっさと諦めて次へ行った方が早いのです。

 要はコスパの問題ですね。


 怒り狂ってエネルギーを消費するよりも、諦めてエネルギーを節約した方が、自分が書きたい物語に当てる分が増えますからね。

 面白い小説をじゃんじゃん書いて、みんなから褒めてもらえて、ランキングにも乗れば、はっぴーはっぴーはっぴーなのです(ぴょんぴょん


 だから諦め! 諦めましょう! 諦めが肝心ですよ!


 他人を論破とかバカな事なんて考えないで、とっとと「無視」してしまいましょう!

 諦めれば何も怖くない! 


 これからの人生はバラ色なのです!



 ◇



 諦めろとは言いましたけど、自分の『好き』は諦めたらダメです(速攻矛盾


 諦めるのは『嫌い』に対してだけでいいと思います。

 意見が対立してどうしても譲れない場合、職場とかだとスルー出来ませんが、ネットだと簡単にスルー出来ます。


 たとえ『ブロックされた! なんでか分からない! 酷い!』と思っても、『しょうがないかぁ、諦めよう』と思えば、すっきり快適! なのです。

 たらこはこうして気持ちを切り替えました(二回


 どうしても我慢できないくらい、自分が納得できない意見を目にしたときも、そっと目をそらしてみなかったことにしましょう。

 視界に入れないよう心掛けると、脳が自動でミュート・ブロックしてくれます。


 でもやっぱり反論したい! 許せない! ありえん!

 そんな気持ちが抑えられなくなった時は、一呼吸おいてから、素直な気持ちを書いてみましょう。


「つらい」「くるしい」「かなしい」


 そんな気持ちを書き綴るだけで充分だと思います。

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― 新着の感想 ―
[一言] 私も最近、反論的エッセイを書きましたが、それはその方が個人自主企画を『悪(馴れ合い)の巣窟』みたいに決めつけ、さも自分が思うものこそ正義だと垂れ流してらっしゃってたからです。それは私に対して…
[一言] 人間誰しも自分の気持ちを理解して貰いたいのは自然な流れですが、高圧的で攻撃的な口調で主張しては相手が納得してくれる可能性は極めて低いでしょうね。 そう言えばヴィルフレド・パレート氏の理論を発…
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