44 同僚が孤独死した話
今回もちょっと重い話なので真面目に語ります。
と言っても、別に怖い内容とかではないです。
思い出話をちょろっとする感じ。
◇
介護の仕事をしていると、人の死に立ち会うこともある。
同じ仕事をしている友人たちから聞いた話と比べると、私はその機会に巡り合う回数が少ないようだ。
私が働いているのは在宅での介護を行う会社。
ご自宅に住まわれている方に通所介護や訪問介護などのサービスを提供する。
サービスを利用していた方々がお亡くなりになったと聞き、同僚とともに枕花を持って最後の挨拶をしに行ったこともあるし、ご遺体に手を合わせたことも何度か。
決して死と無関係な仕事ではない。
だが、死はとても身近にあるようで、死の瞬間はどこか遠い。
医療の仕事をしているわけではないので、その瞬間に立ち会うことは極々まれである。
今日もまた、どこかで誰かが死んでいく現実は確かにある。
しかし、私が死の瞬間を観測することはない。
孤独のまま死んでいった、あの同僚の死もそうだった。
◇
私は今の会社に勤める前、とある入居型の施設で働いていた。
施設と言ってもかなり規模が小さく、民家を改装して作ったものだった。
同じ敷地に建っている二軒の家の中に25名ほどの利用者が暮らしていた。
私はその会社で介護の基礎を教わりながら、片道25キロをバイクで1時間かけて通勤していた。
季節が冬になると指がかじかんでとてもつらく、手袋を二重にしてハンドルにカバーをかけ、なんとか寒さを堪えていた。
雨が降ると水がしみこんで指が震えた。レインコートもあまり意味がなかった。
当時はまだ若かったので何とか耐えられたが、今同じことをしろと言われても無理だろう。
その会社には20人程度のスタッフが働いており、夜勤・日勤を限られた人員で回していた。
現場に配置される従業員の数は豊富で、利用者は手厚い介護を受けられていたと思う。
スタッフは誰もが個性的で、誰もが唯一無二の存在だった。
毎日のようにワクワクする出来事が沢山あって、退屈することはなかった。
後純粋に当時は若かったこともあって、かわいがってもらえたと記憶している。
そんな個性的なスタッフの中に高齢の女性がいた。
肌は土気色で肥満気味の体形。あまり健康そうには見えなかった。少し歩くとすぐに息が切れる。
それでもシフトには休まず出ていたし、特に体調面で問題に思うことも無かったが、ある時から体調を崩して休みがちになり、休職して姿を見せなくなる。
同僚たちはみな心配してた。
また元気に来てくれるといいねと、お昼休憩の時に話していたと思う。
ただでさえ手の足りない業界である。
一人欠けただけでも現場は大混乱する。
幸いと言っていいかどうかは分からないが、その人はパートであまりシフトにも入っていなかったので、影響はあまりなかった。
何が起こっても現場は回さねばならぬ。
みんな覚悟を決めていたので、私も足手まといにならないよう自分なりに努力した。
それからしばらく経ったころ。
その同僚が亡くなった。
◇
あの日のことはよく覚えている。
その日は休みだった。
休みなのに会社に顔を出した。
理由とかは特にない。
ただの気まぐれだった。
休日は特にすることもなく、ジョギングをしているか、料理をしているかのどちらかだった。
ドライブついでに会社へ寄ってみようと衝動的に思い立ち、バイクを走らせる。
出かけるにはちょうどいい天気だった。
会社へ着くと、社長(スキンヘッドのこわもての男性)がトラックを会社の脇に横付けして、何やらあわただしくしている。
そのトラックに主任(社長の右腕の女性)が乗り込んでどこかへ出かけようとしてた。
どこへ行くのかと尋ねると、ちょっと手伝ってほしいと言われ、二つ返事で引き受けた。
何が起こったのか分からないまま、会社の近くにあるアパートへ。
とある一室へと連れていかれた。
室内は閑散としており、日用生活品が転がってた。
今からこの部屋にある物をトラックに積んで、ごみ処理場へ運ぶのだという。
なぜかと尋ねると、この部屋の住人が亡くなったと。
誰が死んだのかと聞くと、あの同僚だと。
この部屋で亡くなっているのが見つかったと。
特に衝撃を受けることはなかった。
むしろ「やはり」という所感だった。
体調が悪いと聞いていたので、ありえない話でもなかったなと。
不思議なことに、悲しいとか、辛いとか、感情もわいてこず、ただ事実だけが当たり前のように目の前にあった。
人が一人暮らすには広すぎると感じた2DKの一室。
床はキレイでどこも汚れていない。嫌な臭いもしない。開け放たれた窓からは爽やかな風が吹き込んでいる。
普段から掃除を欠かさなかったのか、埃っぽさも感じない。
この場所で一人の人間が亡くなった。
にしては随分と部屋の空気が明るい。社長と主任が掃除をしていたからかもしれない。
すでに片付けは半分くらい済んでいたようだ。
その日はよく晴れていた。
空には雲一つなく、たいして熱くも寒くもなく、湿度も高くも低くもなく、爽やかな過ごしやすい気候の日だった。
だからこそ、部屋の明るさが記憶に残っている。
わずかな風を孕んで膨らむ白いレースのカーテンが特に印象的だった。
とても人が亡くなった部屋とは思えなかった。
社長と共に荷物をトラックの荷台に乗せる。
残っていた家具は軽い物ばかり。元同僚はあまり物を持たない主義のようだった。
荷物を載せて処分場へ向かう間、運転主を務める社長と、助手席に座る主任が口論を始める。
私はその間の座席で身体を小さくしていた。
この二人が言い争いをするのはいつものことなのだが、間に挟まれたことはなかったので、随分と居心地に悪さを感じたのを今でも覚えている。
処分場に荷物を下ろす。
やはりそれほど大変には感じない。
淡々と作業をこなした。
社長はよくしゃべる人だったので、会話が止まることはなかった。
主任もよくしゃべる人だった。
暗い雰囲気にはならず、むしろ賑やかすぎるくらいだった。
雑談をしながら作業を済ませ、トラックへ乗り込む。
席順は行きと同じ。帰りも言い争う二人に挟まれながら身体を小さくする。
この時は安易に手伝うと言ったことを、さすがにちょっと後悔した。
二人の言い争いを聞き流しながら、亡くなった人の部屋がなぜあんなにもキレイだったのか、その理由について考えてみた。
答えはすぐに出る。
迷惑をかけたくなかったのだ。
物を大量に所有したところで、ペットを飼ったところで、孤独感を紛らわすことはできない。
自分に死期が迫っていることはなんとなく理解していた。
だからできるだけ迷惑をかけないよう、部屋を整理していたのではないか。
なんとなくそんな結論がでた。
会社へ到着したのは確か昼過ぎ。
昼食をご馳走になった気がするが、何を食べたのか覚えていない。
それどころか、その日、残った時間をどう過ごしたのかも覚えていない。
私にとって重要な記憶は、あの部屋の光景と、遺品を整理した時の出来事だけだったのだろう。
だから他はすっかり忘れてしまったのだ。
そうに違いない。
◇
数日後、社長から正式にスタッフへ告知があった。
ご自宅で亡くなられていたと告げ、次の報告へ移る。
みんな淡々としてた。
私自身も淡々としていた。
なかには心の底から悲しんで涙を流していた人もいただろう。
しかし、報告があったのは亡くなってからだいぶ後になってからだ。
なのでみんな心の整理がついていたのだと思う。
私は亡くなった同僚と特別深いつながりがあったわけではない。
もともとシフトもそれほど入っていた人ではなかったので、一か月に数回顔を合わせる程度だった。
それでも、その日の出来事はよく覚えている。
あの部屋の光景を忘れられそうにない。
なぜ、あんなにも明るく、暖かく感じてしまったのか。
日だまりの暖かさがそう思わせてしまったのか。
今振り返っても不思議に思う。
◇
人はいずれ死ぬ。
当たり前のことだ。
それがいつのことなのか、予測を立てるのは困難である。
自分自身が死に直面するとき、大抵の場合は手遅れである。
なぜならもう選択できることがないからだ。
身体の自由が利くうちに、どのように死を迎えたいのか、考えておくべきだろう。
なるべく残された人に迷惑がかからないようにしたい。
ふと、あの部屋の光景を思い出すと、そんな風に思う。