43 大切なものを守るために
こんにちは。
前回に続き、ちょっと真面目な話をします。
エッセイを書いて自分を見つめ直せた、たらこです。
活動を始めるにあたって、当初はかなりドキドキしたのを覚えています。
こんなエッセイを書いて誰か読んでくれるのだろうか?
ワクワクよりもドキドキが勝っている感じ。
ちょっぴり不安でした。
というのも変なことを書いて投稿したら『炎上』する可能性があると分かっていたので、最初はとっても慎重になっていたのです。
そこで、エッセイを投稿するにあたって、一つの縛りをかしました。
それは「他人に不快感を与えないこと」です。
これはエッセイ投稿当初から決めていたことで、ずっと順守して活動を続けてきたのです。
具体的には「他人の価値観を否定しない」「安易に他人を非難しない」「強い言葉や断定は避ける」など、様々な工夫をしました。
特に気を使ったのは、意見の相違が生じた時です。
自分と違う意見の方が現れても、そのことを真っ向から否定せず、相手のことばをよく聞いて、何を主張したいのかを読み取ります。
その主張を否定せずに、同意できるところは同意して、感想を返したりしていました。
こうすることで、比較的快適ななろうライフが送れたのです。
まぁ……ブロックしたり、感想を消したりしたこともありましたけどね。
でもレスバトルになるのは嫌だったので、逃げることで言い争いを避けたのです。
議論自体は悪だとは思っていません。
むしろ積極的にすべきだと思っています。
ですが……周囲に対する配慮。
とりわけ、不快感を与えないという点については、絶対に守っています。
感情的になってお相手を罵ったとしても、生まれるのは負の感情ばかり。
なにもいいことはありません。
なにかグサッとなるようなことを言われた時、たらこは素直に「つらい」「くるしい」「かなしい」と言うようにしています。
そっちの方が気持ちが楽になりますし、反論する必要とかもなくなりますからね。
なにより、第三者から見て不快に思われることが少なくなる。
強い言葉で反論したり、お相手を罵ったりすると、周囲からの目は厳しくなります。
だから強い言葉で反することは避け、素直に自分の気持ちを表現することに徹していました。
これでは「訴える力」があまり強くないかもしれません。
エッセイストとして高い評価を得るには、やはり「力」が必要。
なにか譲れないことがあったら、少なからず力が入って、言葉があれてしまうかもしれませんね。
でも……そんな時にこそ、思い出してほしいのです。
どうして「くるしい」のか。どうして「かなしい」のか。なんで「つらい」のか。
それはアナタが傷つけられたと思ったから、ではないでしょうか?
傷つけられたから、殴り返す。
これではいけません。
こうした発言や行動は、やがては「誹謗中傷」に繋がっていきます。
誹謗中傷となった言葉は、相手を傷つけるだけの刃と化し、不毛な争いが続くだけなのです。
それでといいというのなら別に止めませんが。
でも……傷ついて、傷つけられて、おしまいなんて。
ただただ悲しくないでしょうか?
ではどうすれば正当な形で反論ができるのか。
それは「感情的にならないこと」です。
自分の主義主張と相反する意見の持ち主と対峙した時、もし感情的になって相手を罵ってしまったら、それはもう「負け」なのです。
議論とは自身の正当性を理論的に主張することであり、相手を論破することが目的ではないのです。
相手が反論できずに黙っている様子を見て「はい論破」なんてしたり顔で呟いても、全く意味がない。
何故ならジャッジを下すのは、いつだって第三者だからです。
傍観している人たちがどう思うか、なのですよ。
汚い言葉や強い言葉で相手を罵ってしまった場合、傍観者たちは「しょうもない奴」とバカにするのです。
自分の味方になってくれていた仲間が近くにいたら、その人たちもまとめて「しょうもない連中」呼ばわりされることもあります。
誰かを守ろうとして矢面に立っても、これでは意味がありません。
完全に「負け」なのです。
議論は冷静な方が勝利します。
淡々とロジックを積み立てて、最後まで感情的にならなかった側に軍配が上がるのです。
敗北者と烙印を押されたら最後。
守ろうとした人たちも含めて「負け」になってしまう。
だから絶対に「他人に不快感を与えるような表現」を用いてはならない。
前項でもお話した通り、たらこには発達障害があります。
相手の感情を読み取ることができず、不快な発言を繰り返し、リアルでは大失敗を何度も犯しました。
だからこそ言えるのです。
他者を不快にするような発言は、自分自身のみならず、自分が大切にしている人たちまで巻き込んで傷つけてしまうと。
たらこはエッセイを投稿する時、からなず仲良くしてくれるみんなのことを思い出します。
この作品を投稿して誰かを傷つけることはないか、誰かに悲しい想いをさせることはないか。
自分が守ろうとしている大切な人たちを巻き込んでしまわないか。
もし、このエッセイを読んでいる人の中で、何かしら強い主張をして、なおかつ議論をしている人がいたら、思い出してほしいです。
大切に思う人たちのことを。
自分が守ろうとしている人たちのことを。
あなたが述べたその言葉は、大切な人たちを前にしてもなお、正当性を保つことができますか?
もしあなたが譲れない意見を通したい場合。
常に第三者の目を意識する必要があります。
誰に見られても恥ずかしくないような形でエッセイを投稿すべきです。
感情的になって、怒りに任せて書いた作品は、からなず作者の首を絞めるのです。
近くにいる大切な人たちも巻き添えにして。