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42 視力検査

 みなさんこんにちは。

 今回は少しまじめなお話をしようと思います。

 まぁ、そう気張らずにリラックスして聞いて行って下さいな。


 以前からカミングアウトしようと思っていたのですが、たらこには発達障害があります。

 障碍者手帳はもっていません。

 診断を受けようとしましたが、それほど重度ではないと。

 

 つまりはグレーゾーンですね。


 障碍者ではなく、かといって健常者でもなく。

 宙ぶらりんな存在なのです。


 たらこが幼いころい、ターニングポイントとなった出来事がありました。

 それは視力検査です。


 視力検査を受けて、保健士さんから「目に異常がある」と母は言われました。

 でも母は『たらこがやり方を分かんなかっただけだろうなぁ』と考え、そのことを伝えました。


 ですが、それはそれで大問題だと保健士さん。

 別の日に来るように母に伝えます。

 ですが、母は何をどう受け取ったのか、そんなことは無いと一蹴。

 たらこが”普通の子供”だと思いたかったのでしょう。


 後日、受診することはありませんでした。


 こうした一件があったのち、たらこは小学校に進級します。

 小学校では問題児で、毎回教室の前へ連れていかれ、先生の横で授業を受けさせられました。

 他の生徒は大人しく机に座っていることができます。

 でもたらこはダメでした。


 でもでも、ずっと先生の横にいたわけではなく、少しずつ学校の環境に適応していったのですよ(あせ


 同級生たちは、たらことどう関わったらいいか分からず、困惑しているようでした。

 別にそのことで違和感とかは感じませんでした。


 だって、一人で過ごすのが好きでしたから。


 そんなたらこですが、進級してちゃんと同級生とも馴染めるようになりました。

 友達もできたのです。一緒に遊びにも行ったのです。


 でも年を重ねるにつれ、だんだん違和感を覚えるようになりました。


 まわりの子供と考え方や行動が違う。

 価値観にずれが生じている。


 一番の違いを感じたのは「恋愛」でした。


 人を好きになることや、好きになった相手とどう接すればいいか分からない。

 そんな戸惑いを覚えました。

 友達が勝手に「たらこが好きだって」と同級生に伝えてしまったこともあるのですが、別に何とも思いませんでした。

 ふーんって感じ。


 こう書いてみると、やっぱり変だなって、自分でもよく分かります。


 中学に進学して、高校に進学して、大人になっていくにつれ。

 どんどん違和感は大きくなっていきます。


 友達は皆、流行に敏感で。

 ノリに合わせて大騒ぎして、ついていけないと「空気が読めない」と言われる。

 それだけならまだしも、自分たちの「価値観」を平然と押し付けてくる。


 辛かったのは特に恋愛関係。

 誰かと恋人になりたいと強く思っていなくても、恋人を作れと周囲は急かしてきます。

 好きだった相手に無理やり告白もされました。


 うう……今思い出してもつらいのです。


 そんなたらこですが、大人になりました。

 介護の学校を卒業して、立派な介護福祉士になったのです。

 専門学校では親友と思えるような友達がたくさんできました。

 あの二年はとっても幸せだったなって思います。


 介護の学校って、マイノリティーな悩みを抱えている人が多かったんですよ。

 あと色んな属性への理解も深かったです。

 不良っぽい人も、ギャルっぽい人も、オタクっぽい人も、真面目な人も。

 みんなが仲良しだったのです。


 お陰で違和感を覚えることなく、楽しく2年間を過ごすことができました。


 さて、ようやく社会人となったたらこですが、フリーターになったり、親の紹介で就職したりと、微妙な社会人生活を送っていました。

 当時はまだ若く、お金もありませんでしたが、とっても楽しい毎日を過ごしていました。

 単純に若いって強みですよね。それだけで楽しい。


 でも……あるきっかけで、大きな悩みを抱えるようになりました。


 ぞれが「自分が発達障害かもしれない」という悩み。


 きっかけは些細な事でした。

 とあるネット記事を読んだのです。

 コンビニのアルバイトが問題を起こしたので首にした。金銭の管理ができなかったり、仕事覚えが悪かったり、女の子にセクハラまがいのことをしたりと。

 首になったのは当然だなぁと思いました。


 ですが……その記事で「もしかしたらその人は発達障害かもしれない」と言及されていたのです。


 以前にそういう障害について耳にしていたのですが、少しだけ興味を持ちました。

 そして検索して出て来た「テスト」を何気なく試してみました。


 すると「発達障害の疑いあり」との結果。


 これには驚きました。

 自分が発達障害であると、思ったことは一度も無かったので、なんどか繰り返しテストを行ったのです。

 しかし、結果は同じ。

 発達障害の疑いありとの結果でした。


 それからずっと、モヤモヤしたものを抱えながら過ごす毎日を送っていました。

 今までの自分の周囲とのそりの合わなさや、違和感の数々は、これが原因だったのか?


 そう思うと、途端に不安になります。

 そして悔しくなりました。


 なんで、自分が、こんな目に。


 よく分からないのですが、発達障害との言葉を耳にする前、たらこは自分がとっても幸せだと思っていました。

 なぜなら変わり者だけど、周囲にちゃんと受け入れてもらえて、ラッキーな人生だったなぁと感じていたからです。

 しかし……その変わり者の原因が「障害」だと言われると、今まで見て来た光景が一変するのです。


 発達障害を抱えたまま大人になり、変わり者であることを咎められていた。


 変わり者である原因は障害なのだから、咎められるいわれなどない。

 なぜ変人であることを糾弾するのか。


 糾弾なんてされたことないですけどね。

 被害妄想が発動してしまったようです。

 まぁ……過度ないじりはあったと思いますよ。けっしていじめではなかったですけど。


 当時の自分がなぜそのように思ったのか、今思い返してもよく分かりません。

 ただ一つだけ分かるのは、絶望していたということ。

 絶望の原因は、果たして自立して一人で生きていけるかという不安からでした。


 仕事覚えは悪い。コミュニケーションも取れない。周囲ともめ事を起こしやすい。


 数々の負の想い出が雪崩のように襲い掛かってきて、潰されそうになってしまいました。

 そして、数々の負の想い出がトラウマとなって蘇って、どうしようもないくらいに打ちのめされました。

 いったい自分は今までに、どれほどの不快感を周りに与えてきたのだろうと。


 そして、その周囲に不快感を与える変わり者としての属性は、今もまだ付きまとっています。


 成長したところで、経験を積み重ねたところで、障害が消えてなくなるわけでもありません。

 自分が発達障害であることは変わらず、変人の人生がこれからも続くのです。


 なんとかしようと思って、精神科を受診することにしました。

 この決断に至るまで数年を要しています。


 大人の発達障害を診断できる精神科は限られていましたが、幸いにも市内に比較的大きな精神病院があり、そこで診断が可能だと分かって、さっそく予約をしました。

 数回の面談を経て、医師に障碍者手帳は取得できるかと尋ねたところ、こう言われました。



「君は見た目が普通だから診断は出せない」



 ……と。


 見た目が普通?

 どういうことなのでしょうか。


 医師は、発達障害は一見してその特徴が表に現れている。

 君は普通の態度で診察を受けることができているので、診断は出せない。


 ハッキリとこう言われました。


 今までの自分の人生はなんだったのか。

 真っ暗闇に放り出された気持ちになりました。


 とぼとぼと家に帰って、一人今までのことを思い返します。

 なにもかもがぐちゃぐちゃになって、頭の中がグルグルしました。


 変わり者と言われて来た今までの記憶の原因はなんだったのか。

 発達障碍者でなければ、自分はいったい何者なのか。


 心の整理をつけるのにかなりの時間がかかったのを覚えています。


 思い出すのは視力検査の日のこと。

 帰り道でたらこの手を引く母が険しい顔をしていたのを覚えています。


 もしあの日、母が素直に保健士さんの言うことを聞いて、医療機関を紹介してもらっていたら。

 もしかしたら違った人生があったのかもしれないと、ふと思うことがあります。

 幼少期の頃であれば、医師も違った判断を下していたかもしれません。


 ですがもう過ぎたことなのです。

 過去を振り返っても何も変わらない。

 前を向いて進み続けるしかない。


 そう思い直せたのは、たらこがエッセイを書いてなろうに投稿したからだと思います。


 多くの人から応援の言葉を頂いて、少しずつ自分と向き合うことができるようになりました。

 皆さんのおかげで立ち直れたと言っても過言ではありません。


 沢山の方のエッセイを読ませていただきました。

 悩みを抱えているのが自分だけではないと分かって、強く生きようと変わろうとする人たちの姿を見て、勇気をもらうことができました。


 たらこはエッセイが大好きです。

 それは人の心に触れて、感情を共にすることができるから。

 苦しみも、喜びも、ともに分かち合うことで、自分自身が抱える悩みを素直に打ち明けることができるから。


 たらこは皆様の心に救われたのです。

 本当にありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 発達障害持ちです。 ADHD、ASD、LD(読み書きのうち書くのが非常に困難)の満漢全席です(笑) グレーどころか真っ黒だそうです。 それでも別の病院では診断がつかないと言われました。 …
[良い点] あっ、同じ同じ(*´ω`*ฅ) ちなみに私は小学生の頃、あまりに言動がおかしかったため、母に『この子は障碍者でしょうか?』と児童相談所に連れて行かれ、そこの方に『何言ってるんですか、お母…
[良い点] 私個人の考えですが……。 気づけて良かったのではないでしょうか。 気づけて客観的に自分を見れるということは、まわりの人に配慮できるということですから。これなら、へんに思われることも、相手を…
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