38 エッセイの読みやすさ
みなさんこんにちは。
エッセイ大好きたらこです。
今回はエッセイ好きのエッセイストが考える、エッセイの良さについて語りたいと思います。
まぁ、そんなに長い話にならないと思うので、肩の力を抜いてお茶でも飲みながら聞いて行って欲しいのです。
エッセイのよさ。
それは読みやすさにあると思います。
エッセイは小説と違って情報量が格段に少ないんですよ。
え? って思われるかもしれませんね。
だって小説もエッセイも文字数が同じであれば、情報量も同じになるんじゃないのって。
そう思うのが普通だと思うのです。
でもね。
全然違うのです。
小説は空想の物事を書き綴った作品なので、架空の存在が多く出てくるのです。
ファンタジー世界であっても、SF世界であっても、その物語にしか通用しない文言が多く登場するでしょう?
そう言ったその世界にしか存在しないキーワードを覚えないといけないので、小説を読むときってかなり脳を使うんですよね。
その点、エッセイは現実世界の出来事なので、設定を覚える必要がないのです。
私たちの世界の出来事ですから、専門性の高いエッセイでない限り、取り分けて難しい事柄が紹介されることも少ないかと思います。
世界観を一から覚えなくてもいいというのは、読者にとってとっても脳にやさしいのです。
だからエッセイは読みやすい。
いや、ちょっとまてよ。
現実世界を舞台にした小説だってあるじゃないか。
そういうジャンルと比べても、エッセイは読みやすいというのか?
もしそのように思われた方がいらっしゃいましたら、改めて申し上げさせていただきます。
エッセイは小説よりもずっと読みやすいと。
なぜなのか。
答えは単純です。
エッセイの登場人物は一人だからです。
……え?
ビックリされる方もいたかもしれませんね。
でもこれはゆるぎない純然たる事実なのです。
エッセイとは、個人が体験した出来事や、考えをまとめて作品にしたものです。
なので語られる内容は個人の体験や思想に限るのです。
小説であれば、主人公以外のキャラクターの考えや行動を制御できますが、エッセイはそうではりません。
筆者ができるのは、自分が体験した「ありのままの出来事」を文章にしたためること。
想像力を駆使して物事を捻じ曲げたりすることはできないのです(まれにいるけど
エッセイによって語られる他人の姿、言動や行動などは、その筆者の目や耳を通して得られた情報によって形作られます。
筆者のフィルターにかけられているわけですから、エッセイの中で筆者以外の人物が登場したとしても、それは筆者が認識した情報の一つでしかないのです。
つまり、エッセイは全編渡ってモノローグが続いているようなものと言えます。
小説であれば、読み手は主人公とキャラクターの関係性や、セリフのやり取り、微妙な距離感の描写など、それぞれの関係性を一つずつ脳にインプットして、お話を読み解いていく必要があります。
エッセイは筆者の一人語り。他者が作品に介入する余地はなく、筆者が語り聞かせるお話を聞いているだけで読み終えることができます。
だからそれほど頭を働かせなくても読める。
というのが、たらこが個人的に思っている、エッセイの読みやすさの理由だったりします。
つまり……小説からキャラクターのセリフを抜き取ってモノローグだけにすれば、エッセイみたいになる?
たまにアニメとか漫画でも、キャラクターのエッセイみたいなお話ってありますよね。
だいたい過去編とかだったりしますけど。
過去編って退屈ですけど、妙に読みやすくて記憶に残りやすいんですよねぇ。
もしかしたらエッセイに似ているからかもしれません。
つまり、エッセイを沢山書けば、キャラクターの背景を作りやすくなる?
過去編を量産できるようになって深みのあるキャラクターが生まれるようになる?
なんてあほな結論に行きついたところで、今回はおしまい。