第7話 マンドリル
「岡島、外回り行くぞ」
「うぃーっす」
岡島は椅子の背もたれに体を預けながら面倒くさそうに返す。
ちゃんと返事しろと入社初日から何度も注意してきたが、専務が甘やかしているのでまったくもって効果はない。
だから今ではもうすっかり諦めている。
「じゃあ、細谷さん行ってきます」
「うん、いってらっしゃい」
細谷さんに断りを入れてから会社を出ようとすると、
「あっ、ちょっと待ったぁっ」
専務が口紅を塗りながらこっちを振り返った。
「はい? なんですか?」
俺が訊ねると、
「あんたじゃないわよ、岡島くんよっ。岡島くんちょっとこっちいらっしゃ~い」
専務が怪しげな笑みを浮かべつつ岡島を手招きする。
「はいっすー」
岡島は調教された猿のようにひょこひょこと専務のもとに近寄っていった。
専務は自分の隣に岡島を座らせるとべたべたと岡島の体を触りながら何やら談笑を始めた。
ここまでは正直よくあることなので気にも留めなかったが、次の瞬間あろうことか専務は岡島の足の上に自分の足を乗せるというキャバ嬢もびっくりの荒業を繰り出した。
ペット扱いされていることに疑問を持たない岡島も岡島だが専務も専務だ。
実の息子が同じフロアにいるというのに、恥ずかしげもなく女の本能をむき出しにしているのだから。
「……還暦近いのによくやるよ」
「え? 何か言ったっ?」
虫のささやきのような俺の声に反応して、専務がマンドリルみたいな厚化粧をした顔を向けてきた。
「あ、いえ……外回り行きたいんですけど……」
「今日はあんた一人で行ってきなさい。岡島くんにはあたしが特別に仕事を教えてあげるからいいわ」
「はぁ……」
「鬼束パイセン、よろしくっす」
別にそれならそれで俺は全然いいんだけどな。
岡島がいない方が楽だし。
だが岡島はそれでいいのか?
俺なら六十間近の太ったおばちゃん相手にホストのような一日を過ごすのは嫌だね。
暑い中外回りする方がよっぽどマシってもんだ。
「じゃあ、行ってきます」
こうしてこの日俺は久しぶりに駄目社員を引き連れずに会社を出た。
☆ ☆ ☆
「ただいま戻りましたー」
取引先から職場に戻るともうほとんどの社員は退社していて、残っていたのは先輩の細谷さんと同期の冴木だけだった。
「あっ、お、おかえり鬼束くんっ」
「な、なんだヤマト。直接帰ったのかと思ってたぜ……」
「いや、大事な資料を家に持ち帰るわけにはいかないからな、置きに来たんだよ。それより二人して何していたんだ?」
俺が職場のドアを開けた時二人はコピー機の裏で何かしていたように見えたが。
「あ、あー、なんかコピー機の調子が悪くなったって細谷先輩が言うから見てたんだよ」
「そうなの。なんか全然コピーが出来なくて……」
「そうなんですか」
俺もコピー機を見てみようと二人のそばに行こうとして、
「あーもういいんだヤマトっ、なんかもう直ったみたいだから。んなことより疲れただろ? お前は早く帰れよ、ここの鍵はおれがかけて出るからさ」
「うん、それがいいよ。鬼束くん、岡島くんのことで最近気を遣ってばかりでしょ」
と二人が言うので、
「はぁ、まあ……じゃあすいませんけどお先失礼します、冴木もまた明日な」
「うん、ばいばい鬼束くん」
「おう、またなヤマト」
俺は二人の優しさに甘えることにして職場をあとにしたのだった。