5.月明かり
笑う。長い脚は黒いスラックスとリーガルのせいで、更に長く見える。
髭。それがあるせいで、彼は年より幾分か上に見えた。それは今でも変わらない。あれ、ハリー今何歳だっけ。
「何回も言ってるだろ、ハリー。髭は老けて見えるって」
勿論からかうつもりで言うと、髭男はその癖毛をポマードで撫でつけた髪を更に撫でつけ、わざとらしく溜め息をついた。
「はぁ……。いつ会ってもお前さんはマイペースだねぇ。やっぱり殺し屋なんて向いてないよ。まだやってたのか」
「新しいもの好きの君がこんな所に来るなんて、仕事以外有り得ないな。誰がクライアントだい? 髭面ボディガードさん」
「ヒューって言ってたけど。あのイギリス貴族のヒュー家かな」
「……やっぱり」
ヒューの奴、懲りないな。僕はどんなに嫌がらせを受けても、憎んでと言われたら憎めない性格をしているのに。
「若いの、もしかして私のボディガードかな?」
背後から聞こえて来たその声の主がそれまで黙っていたせいで、僕は老人の存在を忘れかけていた。
「そうです。ボディガードのハルビス・グレンジャーです。この麗しの俺の妻候補から貴方を守りきるまでの間、よろしく」
よけいなことを。大体、ハリーが本気で僕の事が好きだとは思えないし。あ、でもハリーに会った時だけ、自分が女性なんだなぁ、って実感するけど。
「何と! お二人は、婚約者なのですか!」
関心する老人、僕を見てニコニコするハリー……。
溜め息が出た。
「はぁ、違うけど」
「え!?」
「えー! 冷たいなぁ、セニョリータ! 君が今すぐ殺し屋なんか辞めてくれたなら、俺は君を通報なんかせずに、妻として幸せにするよ?」
「ありがとう、ハリー。でも前から言うように、僕は髭が大嫌いなんだ。それからジョージさん。僕の正体がバレたからには、もう殺す以外の道はありません。すみませんが、貴方の命、いただきます」
カショリ。僕はハリーに掴まれた右手を振り切って、お気に入りの銃を老人に向けた。
「おっとぉ、そう焦るなよ、セニョリータ」
「あ、“セニョリータ”とか呼ばないで、キモイから」
「ひどいなぁ。じゃ、セニョリータも俺の事“ハリー”なんて言ってないで、“ハルビスさん”とか呼んでよ〜」
「……うざっ」
パンッ。僕がハリー向けて撃った銃弾は、あと少しの所で避けられた。
「流石だね、ハリー」
「危ないなぁ、もう。セニョリータはツンデレが過ぎるよ。お仕置きしないと」
“お仕置きしないと”僕はその言葉にピクリと反応した。
僕とハリーは過去に幾度も戦っている。そのうち僕が仕事を達成したのが30回、ハリーが達成したのが、31回。わずか1回だけ、僕が負けていた。
ハリーが“お仕置き”と言う言葉を使ったときは、本気という事。僕となら、戦闘開始と言うことだ。
「“お仕置き”ねぇ。受けて立つよ、ハリー」
「ん、そうでなくちゃね」
まずはハリーが一歩、横にズレる。僕も一歩そのまま先攻に移り、撃った。
が、避けられる。これは予想していた。だから、そのままハリーを追って撃つ。ハリーの肩に命中。でも利き腕じゃないから、ハリーが戦闘不能になったわけじゃない。
「ちっ……!」
僕は舌打ちをして左にターン。
バンッ
しまった!
「痛いなぁ。読んでたの?」
「勘さ」
左脇腹に被弾。くそ、左足に力が入らない入らない。
タラタラと血が流れ落ちる。こういう時に、漆黒のコートは誤魔化してくれるから、止められない。
「痛い? ごめんねセニョリータ」
「棒読みでよく言うよ」
「悪いけど今日は俺の勝ちだよ、セニョリータ」
ハリーの銃口は、僕の右手を狙ってる。撃つ瞬間、僕は体を捻って避けた。でも。
左脇腹から血が吹き出た。クラクラする。視界が霞む。体が、左にゆっくりと傾く。
あぁ、僕は死ぬのかな。まぁ良いか。その方が僕はこれ以上、汚れなくて良いのだから。
ミチル
みちる
満ちる。
蒼い月明かりが僕の真っ赤な血を照らす。
僕は死ぬ
僕を愛した男の手によって
愛?
本物の愛を知らない僕は、男が僕を愛したかもわからないのに。
僕は死ぬ
僕を愛した男の手の中で
「おい! おいっ!“ダスク”!……ちくしょー、俺、本名知らないんだった!」
ブラウンの瞳が僕を見てる。やっと、視界が戻った。
「ハリー……痛いじゃん。君、本当に……僕のこと好きなの?」
「ダスク? 生きてるのか?」
ブラウンの眉が、下がってる。どうしたのかな、こんな表情はじめて見た。
「うん……いった……!」
抱き締められる。強く、強く。
「良かった。愛してる」
「……」
こんな状況なのに、僕はまだ仕事の事を考えているんだ。本当、僕って最低。どこかでヒューが笑っている気がした。
右手に力を入れてみる。よし、動くな。ハリーに気付かれないように、銃口を老人に向けた。
バンッ
命中。途端に、男の腕から開放された。急いで立ち上がる。銃口はハリーの額。驚愕の表情を浮かべるハリー。
「ダスク……お前さん、おかしいよ。こんな状況でも仕事か!」
ホリが深くて精悍な顔立ち。僕なんか早く殺せば良いのに心配しているお人好し。僕は精一杯笑って見せた。こうでもしないと、理由はわからないけど、泣きそうだったんだ。
「そうだね。でもね、ハリー。僕は君が思ってる程綺麗じゃない。僕の内側は、常闇みたいに真っ黒だ」
「止めろ! そんな事を言って自分を傷つけるな!」
「傷付く? そんなこと、とうの昔に忘れたよ」
「それはただの強がりだ! ダスク……お前さんは殺し屋なんかやってちゃいけない。お前さんの瞳は、綺麗だ。地球上のどのダイヤモンドよりも。俺がそれを教えてやる、だから俺の所に来いよ!」
「……っ。やめろ!」
「ダスク!」
「僕はミチルだ!」
「え……!」
逃げろ。体が警告していた。僕はハリーと一緒にはいれないんだ。そんな資格なんて、ないんだ。
「……!」
僕は地面を蹴った。空高く舞い上がる。エッフェル塔の四階から脱出した。
「ミチル!」
ハリーの声が聞こえる。うるさい、うるさい、うるさい!
「……っくそ!」
視界が滲んだ。どうしようもなくて、こすってもこすっても滲みが消えないんだ。
ねぇ、誰か僕にこの状態の名前を教えて?
どこかでヒューが僕を嘲笑っている声が聞こえた気がした。