4.天敵
月が今日はやけに蒼い。僕は月が大嫌いだ。月は僕を見透かしているように思えてならない。そう、僕の汚い中身を知っているのだ。
「気が重いなぁ……」
正直な言葉。僕は殺し屋だけど、自分の気持ちに正直に生きているから、正直者なんだ。あれ? 違うって?
兎に角、僕が今一番考えなくてはならないのは、仕事の事だ。ヒューは一体、どんな仕事を持って来たのだろう。脳裏には、先程からヒューの“もっと後悔させてあげる”がエコーしていた。
目の前には、僕なんかよりずっと空に近い灰色の塔。パリのシンボル・エッフェル塔だ。
「さて、ターゲットは?」
僕は左耳のマイクロ・フォンに尋ねる。家を出る直前、ヒューが送りつけてきた連絡手段だ。
「ミチル、上を見て御覧」
「あのさ、いくら僕の本名を知っていても、仕事中だけはコード・ネームにしてよ。僕は自分の名前が大嫌いなんだ」
「知っているよ。当たり前だろう。僕はミチルに憎まれたいんだ」
「……はぁ」
全く、僕の雇い主ならちょっとくらい僕の言い分を聞いてよね。
しぶしぶ上を見上げると、エッフェル塔のてっぺん近く、黒い人影が蠢いている。かなり危険だと思うのだけれど、一体何をしているのだろう。
「人……?」
「その通り。名前はジョージ・アーサ、63歳」
「え! そんなに年なんだ?」
「……ミチル、君自分の立場わかってる? 今から君は彼を殺すんだよ」
「知ってるよ」
だってそれが僕の仕事なんだから。そんな事くらい、知ってる。僕が個人的に話しかけたり、仲良くなったりする人は皆、いずれ僕に殺される事くらい、僕が一番わかってる。
でも、僕はそれに一喜一憂しているほど綺麗な人間ではなくなってしまったんだ。
「ミチル? 何を考えているんだ」
「行ってくるよ、ヒュー。ミッションスタートだ」
「その前に」
「何だよー。乗ってきたのに」
僕がエッフェル塔に駆け込もうとした瞬間、突然ヒューの声が制止した。
「ミチル、“ハリー”がいるかも」
「……っ!」
またコイツはそうやって僕を困らせるのか。
「ミチル、僕を憎んでね。もっと、もっと」
「わかったよ、もう行くから」
僕は左耳に響く、嫌に高くて耳障りな笑い声から逃げるように、マイクロ・フォンのスイッチをオフにした。
ガウンッと言って、エッフェル塔内部へ上がってゆく水圧エレベータ。造られた当時のままの構造は、古い物好きな僕のお気に入りだ。
「あぁ、それでエッフェル塔」
ヒューの奴、どこまでも最低だ。
エレベータは、グングン上がって4階へ。ちょうど、先程の老人がいた高さだ。
エッフェル塔は内部から外の様子が見渡せるように、ガラス張りになっている。TOKYOのTOKYOtowerもこれを真似ているとか、いないとか。ともかく、そのガラス張りの窓から、先程の老人が塔内に入ってきた。
「随分と早い時間におられる」
何の疑いもなく僕に話しかける老人に少し驚いて見せて、微笑む。
「貴方こそ」
「これは私の生き甲斐だ」
「これ……?」
もしかして、エッフェル塔をクライミングする事だろうか。僕は考えて、吹き出しそうになった。
「掃除さ。私はコイツが大好きでね」
老人はエッフェル塔のてっぺんまでを見るように、天井を見上げた。
「毎日、ですか」
「毎日だ」
その気持ちは僕にも良く理解できた。
「わかりますよ。僕もコイツが大好きなんです」
思わぬ同類との出会いに、微笑む。でも頭の隅では早く殺さなきゃ、と自分が叫んでいた。
右足の付け根に手を伸ばそうとした、その瞬間。
「久しぶり、“ダスク”」
右手は何者か(いや、本当は声でとっくに誰だかわかってるのだけど)に掴まれてしまった。
僕は、ゆったりと振り向いてソイツの名を呼ぶ。
「久しぶりだね、“ハリー”、いや、ハルビス・グレンジャー……」