3.記憶
漆黒のコートに真っ赤なマフラーが映える。色白の肌、青い目。彼女に色があるとすれば、マフラーか目だ。おそらく、その真っ赤なマフラーと漆黒のコートがそれにそっくりだから、彼女のコード・ネームは“ダスク”になったのだろう。
初めて彼女を見たのは、貴族第一子息である自分の15歳の誕生日パーティーだった。彼女は招待客の一人として参加していた。
“美しい”一目見た瞬間に、その言葉が浮かんだ。華やかな美しさではなく、どこか人形のような、冷たい美しさだ。
彼女は例の漆黒のコートにギンガムチェックのロングスカートという、パーティーでは些か不自然な服装にも関わらず、少しもその存在を疑われていなかった。
「欲しい」
思わず口にした言葉に、自分でも戸惑ったのを良く覚えている。貴族第一子息で何でも手に入った俺が、初めて欲しいと思ったのは、自分と同じ年くらいのその少女だった。
「ナサニエル様」
彼女は本物の人形のように笑わず、俺はそんな彼女の事をずっと見つめていた。
暫くして、シャンペンを持った侍女が、耳打ちしてきた。
俺は彼女を見るのに夢中になっていたから、邪魔をされて不機嫌な顔をする。
「お邪魔したなら、申し訳ありません。しかし事態は緊急を要しますので」
侍女のただならぬ様子に、本当に緊急事態だと察知する。
「わかった速やかに言え」
「アルフィス様……お父様が」
侍女は唇を震わせる。良く見ると、酷く怯えていた。
「何、早くして」
自分でも驚くほど冷静だ。なんとなく、感づいていたのかも知れない。彼女を見つけたときから。
「何者かに……っ何者かに暗殺されました!」
まるで他人の代物のように自分の口が動いた。
「わかった。父上の様子と処理は僕が行う。招待客達には上手く言って席を外すから、君は休みなさい」
「ナサニエル様……」
「僕は大丈夫」
侍女に笑って見せる。貴族の当主はいつも毅然としておかなければならない。俺は以前からそういう教育を受けていた。
「ナサニエル様、どうか一人で落ち込まず、私に何でもお話なさいませ。お父様の事は気の毒ですが……」
侍女の目には涙が浮かんでいた。これ以上話していると招待客達に怪しまれてしまうので、早々に引き上げさせて、俺は父上が暗殺されたという、寝室へと向かった。
白い天井に華やかな装飾。そこに俺の父上―――ヒュー家の現当主アルフィス・ヒュー(死んだ今となっては俺だけど)が羽布団の羽を纏って横たわっていた。
その顔は、驚愕を表しており、何とも間抜けだ。額には穴が開いて、そこから血がトロトロと流れ続け、清潔感のある白いベッドを一部真っ赤に染めている。
ベッドも買い換えなくちゃ。俺の頭は冷静に言った。
父上が暗殺されたと知られては、ヒュー家に使えるメイド・執事全般が恐怖し、騒ぎ、不安がってしまう。そうなると辞める者もいるだろうし、病んでしまう者も出てくるかもしれない。それだけは避けたい事態だ。
俺は父上の遺体を運ぶよう、一部の信頼できる部下に言いつけ、全ての処理を終えた。一部の信頼できる部下に、口封じをしておくことも忘れなかった。
ただ、一点だけ気になる事があった。父上を暗殺した者が使った銃弾だ。特注らしく、表面に凝った蝶の彫刻が刻まれていた。
これでは、自分を捕まえてくれと言わんばかりではないか。
俺はある伝手を使ってこの銃弾の調査をさせようとしたが、銃弾を見た瞬間に断られてしまった。
「このマークは何を意味するの」
次第に、俺の興味は銃弾ではなく彫刻へと向かった。彫刻はどうやら個人を表すマークを象っているようだったからだ。蝶々の下には“DUSK”と文字が彫ってあった。個人の名前としては神秘的な響きだが、俺はこの言葉で連想されるある人物を疑っていた。
そう、彼女だ。自分の誕生日パーティーに出席していた、漆黒のコートの少女。
「ナサニエル様、このマークの調査からは身を引いた方がよろしいかと」
俺の執事が、耳打ちしてきた。余程マズいのか。残念ながら、俺はそう言われると燃えるのだった。
「わかった。個人的に調べる事にするよ」
俺がニヤリと笑うと、執事は顔を真っ青にしてこちらを見たが、それ以上は何も言わなかった。
その後の調査で、彼女がコード・ネーム“ダスク”と言う、雇われの殺し屋である事と、彼女の雇い主がミタニと呼ばれる業界では有名な悪徳商人であり、彼女にばかり仕事を押し付けていることが判明した。