2.彼の名
「俺、貴女が“ダスク”だって、すぐわかったんです!」
グリーンの瞳にブロンドが似合った、美しい青年の声がフラッシュバックする。
すぐわかったんです……か。当たり前じゃないか。
僕は自嘲するように笑った。
あの青年に出会った事が、僕の心に少なからず揺れをもたらした。
そこで終わってくれたなら良かったのに。その方がまだマシだ。
どちらにしても同じ。僕は仕事を放棄できない。そんな汚れきった存在になってしまった。
しかも、青年はあの仕事の依頼主だったのだから。
ルルルル……
僕の携帯が鳴った。この音は、雇い主のミタニ専用だ。また新しい仕事だろう。
溜め息をついて電話に出る。
「“ダスク”だけど」
「もしもし僕の夕闇さん」
その声はまた僕を惑わせようと言うのか。
「何のつもり?」
突然の事に、声も表情も繕えない。僕は何年かぶりに思いっきり眉根を寄せていた。
「あは、動揺しているね」
「……。見えているとでも言うの?」
「そうかも」
「なぜ番号を知っている?」
僕を憎んでよ。青年の声が蘇る。
その声は、青年の姿を見ずとも、青年が僕を嘲笑っているのがわかるくらい、弾んでいた。
「今日から僕が君の雇い主だからさ」
声が、出なかった。何故かはわからない。青年の考えがわからなかった。
僕に、理由もなく子供を殺させて、後悔させて、自分を憎めと言う。楽しそうに。
「お、前の、狙いは、何」
声が震える。怖かった。ただでさえ汚れきった僕が、激しい憎悪を他人に向けるなんて。しかも、今までで経験したこともない憎悪を。
「怖い? ミチル。僕が怖いですか?」
「あ……」
一瞬、青年の声が震えた気がした。本当に一瞬だ。もしかしたら、気のせいかもしれなかった。
「お前は、僕に怖いと思って欲しくないの?」
「……」
そのまま電話は切れてしまった。
青年から再び電話があったのはそれから一週間後だ。
朝早いため、少し不機嫌だった。
「ん……もしもし」
「……ミチル」
「お前は……!」
青年の声だと、すぐにわかった。
「ヒュー」
「え?」
「“お前”じゃない。僕はヒューだ」
「……ヒュー、何の様?」
突然の行動に戸惑う。ヒュー……って事は、セカンド・ネーム?名前なんて明かさないと思っていた。一体ヒューは僕にどうして欲しいのだろう。
「仕事だよ、ミチル。この前よりも更に後悔させてあげる」
「……っ!」
やっぱり普通じゃない!最低な奴!
「そう。もっと憎んでよ」
電話の向こうの楽しげな声。憎い、憎い、憎い!
「でも」
何故か、酷く悲しいのは気のせい?
「どうして」
「?」
「どうして僕なの? ヒューは何故憎まれれようとするの?」
口から出たのは正直な言葉だった。
こんな仕事に就いている僕でも、好んで憎まれようとは思わないのに。
「僕にどうして欲しいの? 憎まれたいわけないだろ?」
「今から仕事に入ってもらうよ」
「答えになってない」
「場所はエッフェル塔」
「ヒュー」
「さぁ、早くして。雇い主の俺を怒らせて良い事はないと思うけど」
淡々とした声。やっぱり気のせいだった。コイツの事を理解しようなんて、間違っていたんだ。
ヒューは僕に憎まれたい。理由はわからないけど、奴が僕の雇い主である限り、僕は一生憎み続けるんだ。
「本当に、ヒュー。君は嫌な奴だね」
その声は酷く楽しそうだ。
「ありがとう。嬉しいよ。じゃあ仕事場へ行ってくれ。ミチルの仕事はちゃんと見届けさせてもらうよ」
電話が切れた。僕はわざとらしく、ゆっくりとシャワーを浴び、漆黒のコートに身を包んだ。
目を瞑ると、瞼の裏にはヒューの綺麗な顔。彼を憎いと思うのに、何故だか僕は、胸が熱くなった。