16.黙去
次あたり最終話になりそうです。
「憎い……」
あまりの憎悪で、僕の自慢のポーカーフェイスが崩れて眉間に深いシワが刻まれている。
殺せと言うのか。実の父上を? 確かに、見たことも会ったこともない。でも、僕は幼少期義理の父上にあんな扱いを受けていたから、普通の父上がどんなものなのかを知らない。だから、本当の父上に会えるって聞いたときちょっとだけ嬉しかったんだ。こんな僕にも、愛を注いでくれる父上がいるかもしれないと思って。
「僕が憎いだろう、ミチル」
「ああ、憎い。憎いよシェン。殺したいくらいに」
「ついに僕の望みが叶ったと言うわけだ」
シェンがいつもの不敵な笑みを浮かべた。
「僕は今シェンを殺すこともできる」
右足の付け根のホルスターから、お気に入りの銃を取り出して、銃口をシェンに向けた。
「うーん、それはミチルの父上を殺した後で。これは命令だ」
僕は命令には逆らえない。僕は義理の父上を刺した後、家を出た。そのまま放浪として餓死しそうな時に、僕の目の前にミタニが立っていた。その時から僕はミタニの事務所で殺し屋として育てられ、拾われた恩義から命令には必ず服従した。ミタニは何も言わなかったが、その目が求めているものを、幼い僕は敏感に感じ取ったのだ。それが体に染み付いていて、僕は今でも命令に背く事に激しい恐怖を感じる。シェンはそれを知っていて、命令したんだ! 本当に憎い奴!
「さあ、ミチル。行って来なさい。僕を殺すチャンスは真実とともに」
「真実?」
一体何の真実? ああ、そう言えば、僕はそんなものをずっと求めていたっけ。虚の裏に、シェンの暖かさを感じた気がしたんだ。でも今ならわかる。シェンは、一流のペテン師だ。あの優しい微笑みも、意味深なキスも、全て僕に自分を憎ませるためのプロセスだったんだ。
「知りたくないか」
「知りたいよ。シェンがどうして憎まれたいのか、どうして僕を選んだのか。シェンの狙いとか。だから、行って来る」
もし、もしも、それが僕以外の誰でも良かったなら、僕はシェンを蜂の巣にする。
「シャワーを借りるよ」
「憎い相手の家のバスルームを借りるなんて、ミチルも神経図太いね」
「単なる死なないためのジンクスさ」
僕は1時間後にヒュー家の屋敷を出た。
左耳のマイクロ・フォンから声がする。
「ターゲットはガフィスラウス・マチルト男爵。男爵の屋敷はどこだかわかるか?」
「ここから約700メートル先のアール・ヌーボでしょ」
「流石は僕の夕闇さん」
望みが叶ったシェンは、どこか幸せそうな声色だ。待ってて、すぐに殺してあげるから。
「もう行くよ。首洗って待ってて」
マイクロ・フォンはそこで切れた。
僕は正面玄関に立ち、ベルを鳴らす。メイドらしき人物が出た。
「どちら様ですか?」
「ミチル・オオサワ。またの名をミチル・マチルト」
「分家の方でございますか?」
「お宅のご主人に僕の名前を言って下さればわかるはずです」
シェンの情報によると、生前母上は、ガフィスラウスと連絡を取り合っていて、僕の存在をガフィスラウスは知っているらしい。僕の名前を聞けば、屋敷に入れてくれるかも知れない。
10分程してから、屋敷の門が開けられた。中から車椅子に乗った老人が出てきた。
「ミチル……ミチルなのか?」
「父上ですね?」
「シズヨと私の子なのか?」
「そう、僕がミチルです」
老人は涙を流す。金髪はもう白髪になり、青い目は僕のそれと同じだ。口髭が何とも言えない程高貴な感じがした。
「おお、私のミチル……!」
大きな手が伸びてくるから、僕は少しだけ屈んでやる。抱きしめられた。
「私の屋敷へようこそ。入りなさい」
僕と父上は書斎へ向かった。
暗い緑の絨毯に金糸で刺繍が施されており、書斎という使い道に良く合う厳重さを醸し出している。辺りには、僕が知っている本、知らない本が本棚に入りきれずにベッドとデスク以外のスペースを埋め尽くしていた。
「ミチル、良く来てくれた。私はね、イギリス人のどの妻よりもシズヨを愛していた。彼女は美しく、気高く、何よりも貞淑だったのだ。ミチル、お前も母に似て美しい」
父上はもう一度僕を抱きしめると、酷く優しい眼差しで僕を見つめた。僕はその優しさに愛を感じて、穏やかなきもちになれた。こんなに満たされたことがかつて有っただろうか。そのまま幸せな時間を父上と過ごしていたら、不意に父上が尋ねてきた。
「ところで、誰に情報を貰ったんだい」
この名前を出すのは癪だったけれど、僕はヒュー家以外の貴族の名前に詳しくなかったし、ヒュー家の名前ならば父上も変に感じないだろうと思い、応えた。
「シェン・チャールズ・ヒューに」
「やはりそうか。ならば間違いは有るまい」
父上は下顎に生えている髭を撫でながら頷いた。
「間違い?」
「私を殺しなさい、ミチル」
「!」
突然の話に戸惑う。何故知っている?
「ミチル、お前はあの“ダスク”なのだろう」
「それはシェンに?」
「いや、長く生きているとわかることが増えるだけだ。良いのだよ、ミチル。私を殺すよう依頼した依頼主は私自身なのだから」
父上が依頼主? 一体何のために?
「父上が依頼主?」
「そう……くっ」
父上が突然頭を抱え始める。苦痛の声が鼓膜を刺激した。
「父上、父上!」
「ミチル……早く、殺してくれ」
「何を言っているのですか!」
床に崩れ落ちた父上は次の瞬間、奇声を上げて床を這いずり回った。
「うああああ!」
「父上!?」
僕は焦って父上の肩を抱くと、浅い息を幾度も繰り返し、息継ぎの間に言葉を紡いで来た。
「はぁ、ミチル、私は、病気、なんだ」
「父上、黙って」
「ヒュ……私から離れた、方が良い。あっ! ……く、私はもう少しで、発狂、するだろう」
「発狂?」
「発狂した私は、様々なものが制御できず、破壊し続ける」
「そんな」
「だから、私が私、で、なくなる前に、止めて、くれ」
「そんな……」
「うああああ!」
父上が再び取り乱し、ベッドの脚を掴んだ。あっという間にベッドが崩れ落ちる。握力だけで壊せるものではないことは明らかだ。
「昔から発狂する事が有って、な。でも、そんなに、頻繁じゃなかった。最近、は、30分おき、なんだ」
父上はかなり苦しいようで、話すことも辛いようだ。
「父上!」
「早く、ミチル!」
そんな、父上! どうすることもできないの?
「医者は、原因不明、と言う」
「……わかった」
ならば父上の最後の望みくらい聞いてあげたい。
「ミチル、お前に、ならば、殺されても」
僕は彼の眉間に銃口を押し当てた。
後悔はしない。だって、父上の望みだし、他の誰かに殺されるくらいならば、僕が殺したい。ああ、これって母上の時と同じだ。
父上の遺体は、彼の少し壊れたベッドに寝かせ、僕はヒュー家へ戻ることにした。
シェンは僕のために嘘までついて、父上を殺させてくれたのだろう。母上の時もそうだった。僕はいつもシェンに騙されてしまうけれど、今ならわかる気がする。優しい微笑みを向けたシェンが、意味深なキスをしたシェンが、本当だと確信できるんだ。
マイクロ・フォンに呼びかけた。
「シェン、聞こえる? ありがとう、僕はいつも君に騙されっ放しだ。そしてごめんなさい。もう僕は君を憎んでいない」
でも、次に聞こえた言葉は、僕を絶望に突き落とした。
「私よ、ダスク。ジャン・リー・ヒュー。今日から私がヒュー家の当主になった。シェンは以前から、女王陛下に気に入られていてね。女王陛下の提案で当主を降りて女王陛下のものになった」
「なに言って」
女王陛下? どうして、突然。そう言えば、シェンは時間がないと言っていた。
「女王陛下の“もの”? 何だよそれ! オモチャみたいに! どうしてシェンは従ったりしたんだよ!」
「貴女よ」
「え……?」
僕が、何かした?
「僕が殺すと言ったから?」
そうだと言うのか。でも、シェンは僕に約束したはずだ。真実を話すと。僕が殺すと言ったくらいで逃げたりはしないだろう。寧ろそのくらい僕に憎まれる事が、彼の望みだった。
「わかりきった話はしないで。そんな事でシェンは女王陛下のオモチャになんかならないわ。貴女を守るためよ」
「僕を、守るため……?」
一体何から? 僕は戦えない訳じゃないのに?
「ミチルは、シェンを取り戻したい?」
唐突に聞いてきた声に動揺するけど、頑張って応える。
「取り戻せるなら」
「何故?」
「それは……」
良くわからない。今の僕にはまだ出せない答だった。
「まぁいいわ、きっと答えは1つだから。でもミチル、それは自分で見つけなくては駄目よ。貴女がシェンを救いたいなら、まず真実を知りなさい。教えてあげる。まぁこれはシェンから頼まれているのだけれど、私だってシェンが女王陛下のオモチャになるなんて許せないの。でも私は今ヒュー家を守らなければならないわ。それに、私じゃシェンを救うのは無理」
「今から行くから待ってて」
僕は全力で駆け出した。