10.再会
あれから、僕はシェンの家で厄介になってるけど、あの日以来シェンは顔を見せていない。
よくよく考えてみると、シェンはミタニとは違って、ただの事務所経営者じゃなくて、ヒュー家の人なのだから、忙しいのは当たり前なのかもしれない。
僕はというと、この一週間で傷の大部分が修復しかけていて、シェンが用意してくれた医者によると、驚異的回復力らしい。体の方も、随分動きやすくなった。
動けない時はヒュー家のメイドがお茶とかを持って来てくれていたけど、慣れないし恥ずかしいから、断っていたら変なことを言われてしまった。
「ご主人様の大切なお客様にそのようなことはできません」
「え? ただの部下みたいなもんだよ」
あれ、そういえば僕、シェンの何? 雇われ殺し屋だけど、もうちょっとこう、やわらかい表現と言うか何というか。
「しかしご主人様のお言いつけですので」
「えーっ。だって気恥ずかしいよ」
「ミチル様」
「わかった、わかった。でも動けるようになったら自分でするからね!」
とまぁ、こんな感じだ。今は、パンと卵とサラダと、ちょうど良い量の朝食を食べている。こんなのも悪くはないな、と考えていたら、ドアがノックされた。
「はい」
「ミチル」
うわ、久しぶりだ。
「久しぶり」
「体はどう?」
「おかげさまで良い感じ」
「見せて」
そ、それは医者がするって!
「え、ちょ、待った、うわ、ガウン捲るな馬鹿!」
さっきシャワーを浴びたがら、下着も着けてない。ガウン一枚、というやつだ。僕の制止は無視して、シェンの手がスルリと侵入して来た。触れた手の冷たさに、驚いて小さく悲鳴を上げてしまう。
「ひっ……冷たっ」
縫った傷口の上をシェンの指が滑る。痛みを覚えてしまったそこは、触れただけで震えてしまう。
「綺麗に塞がってる」
ようやくシェンの手から解放されて、少し、いや大変ほっとした。傷は表面が少しだけ盛り上がって、痛々しい痕になっていたけれど、別に気にしない。殺し屋に恋人はできないし、作る気もないから誰に見られるわけでもない。
「つうか、今までどこにいたの?」
「んー? ごめんね一週間も放置しちゃって。寂しかった?」
もー! 何言ってんだよコイツ! そうやっていつも自分の都合が良いように解釈するんだから、困る。
「違うから。あんなに心配してた癖に、意外と薄情だと思っただけ!」
困ったような笑顔だ。はじめて見たなぁ。
そう言えば、シェンは何かと笑っていることの方が多い。けど、多分僕よりもずっと表情が豊かで、理由はよくわからないけど、笑顔でポーカーフェイスを作っているんだろうな。時々表れる今みたいな表情が、普段から表情があまりない僕にくらべてかなり自然なのがその証拠だ。それで、困ったような笑顔の癖に、凄く綺麗なんだから反則だと思う。
「何見てるの。僕の顔に何か付いてる?」
考え事をしていたら、自然に顔を見つめることになっていたらしい。
「違うって。見つめてはいない」
「ふーん。何か変なミチル。まぁいいや。あのね、ミチル。今日はどうしても彼が来たいと言うから」
「ダスク……いやミチル!」
「……ハリー?」
「連れて来ちゃった」
「ミチル、早くこんな所から出て行こう」
手首を力強く掴まれ、無理やり引っ張られる。痛くて振り切ろうとするけど、ビクともしない。
「い……たい! 離してよ、僕と君が逃げたとして、どこに行く? イギリス最大級の大きさを誇るヒュー家から逃れることはできないと思うけど」
「ハルビス・グレンジャー。僕との約束を忘れたのか? もし怪我をしているミチルに手を出すなら即刻追放すると言ったはずだ」
「シェン・チャールズ・ヒュー。俺はこんなに若く、本来なら殺し屋なんて似合わないミチルに仕事を持って来るお前などと交わす約束なんてないと思っている」
「ミチルは事務所一の腕だ」
「だがお前にとっては商売道具だろう? 代わりは幾らでもいる。だけど俺にとってミチルはただ1人なんだ」
え、何この展開。ハリーは本気で僕を連れ出すつもりか。でも僕は、あまり気が進まないな。何故って言われると困るんだけど、その、何て言うか、シェンを放っておくのが、気掛かりと言うか。だってほら、今だってハリーに応戦してる癖に、弱気な顔してるんだ、いつもの僕へ向けるあの不適な笑顔はどこ?
「ハリー、僕はここにいたい」
「ミチル!」
「……ミ、チル?」
シェンが驚愕の表情を見せる。あれ、僕何か変なことでも言ったかな。
「何故だ、ミチル!」
「面倒くさいだけ」
そうだ、シェンをこのまま放っておくなんて、面倒くさ過ぎる。だからだ。
「ミチル、たった今ミッションができた」
ああほら、いつもの不適な笑顔だ。
「何」
「ハルビス・グレンジャーを殺せ」
あーあ。ついにこの日が来ちゃった。僕は命令には逆らえない。そんな汚れた存在になって早15年。
「あーあ。全くハリーがしつこいから。ごめんねハリー、今から君を殺す。大丈夫、痛くしないさ。傷付くのは僕だけだ」
「ミチル……そこまで堕ちたのかお前さんは」
「は? 僕は最初から奈落の底にいるよ。闇の住人だ。コード・ネームのようにね」
右足が地面を蹴った。ハリーの右肩に接近。
「ミチル、お前さんは俺を殺せないぜ」
不適に笑うハリー。その根拠は何?
「何故?」
「お前さんは今までの俺との大戦で、一度も急所に当てられてはいない!」
あぁ、そのことね。急激に表情がなくなっていく。右手が熱を浴びている。まるで早く血が吸いたいと言っているかのようだ。
「それはねハリー」
ハリーの右肩に一発当てる。これでハリーはもう撃てない。
「いつも百発百中で急所を外していたからなんだ」
バン
弾丸がハリーの額を貫いた。
「ミ、チ、ル……」
ハリーの目がギョロリと僕を見ていた。