第四話「鬼」
講道館柔道の歴史には鬼と呼ばれる男が3人いた。
1人は柔道の創始者嘉納治五郎の高弟である横山作次郎。明治神宮大会を3連覇した牛島辰熊。そして、歴代最強柔道家と言われ、力道山との疑惑の勝負により表舞台を去った木村政彦である。
木村政彦から数えて50年以上の時が経った今。新たに鬼と呼ばれる4人目の男が出現した。
それが、豊田一光である。
豊田は鬼神の様な強さで全日本大会4連覇、そしてオリンピック柔道無差別級2連覇を成し遂げた稀代の柔道家である。
そんな豊田が記者会見に現れた。
先のオリンピックで金メダルを獲った為の囲み取材であった。
報道陣の前に現れた男は異様な姿であった。
金髪を撫でつけ、顔は化粧をしている。
濃いアイシャドーに潤んだピンクの唇。
そう、豊田一光は美のカリスマとしても知られており、そのジェンダーレスな見た目と愛嬌のあるキャラクターはお茶の間で人気となっている。
「豊田さん、やりましたね、2連覇。今のお気持ちをお聞かせください」
記者の1人がそう聞くと、マイク越しに豊田は答えた。
「もぉおお〜ヤダァー!!!強烈ぅう〜!!!」
全く要領を得ない回答であるが、会見場は笑いで溢れていた。
「最強と言えば、最近話題の加賀流ですが、戦ったら勝てますか?」
ある記者が豊田にそう聞いた。その瞬間であった、豊田の顔から笑みが消えた。
「……技あり」
豊田は無表情で一言だけそう言った。
豊田の周りの風景だけがグニャリと曲がった様に見えた。彼の殺気が漏れ出て、そのように空間を歪ませているのである。
技あり…とは、つまり、どう言うことなのか?
皆、そう思ったが、殺気だった豊田の前では誰も聞くことが出来なかった。
「ヤダァ〜!!!加賀流とかぁ〜分かんないけどぉ〜、私が負けるわけないでしょぉおお!!!!」
そう言うと豊田は目の前のマイクを手に取った。すると彼は雑巾しぼりの要領でマイクをしぼり上げた。
鉄で出来たマイクスタンドがねじ曲がっていく。完璧にねじ曲げたマイクをポイと投げ捨てながら豊田はこう言った。
「一本取ってえい、技ありぃいい!!!」
豊田は笑みを浮かべていたが、その笑みの下で燃えたぎる様な怒りを隠し切れていなかった。
取材はここまでとなった。
豊田一光。通称鬼の一光は腹に据えかねていたのである。
古くは木村政彦の敗北。そして現代においては加賀流のせいで、最強最新たる柔道が軽んじられている。それが我慢できなかった。
取材を終え、控室に戻る豊田一光。
その隣には豊田のコーチである三谷満具路武とセコンドである日系ブラジル人のナーガグランデーバがいた。
「ちょっと一光、さっきのどうしたの?」
三谷が豊田に声をかける。
「そうよ、一光、あんた、ちょっと熱くなりすぎ」
ナーガも横から豊田をなだめる。
「…だけ」
豊田一光のくぐもった声が漏れ出た。
え?聞き取れなかった為、三谷とナーガが聞き返す。
「加賀流の首、とるだけ〜!!!」
豊田はその言葉を残して行方をくらませた。




